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編集者と作家としての作品の見方の違い?

夜通し、とあるスペースを聞いていて、私の中で今の時点で思っているタイトルの件をまとめておこうかと。

私の中の編集者としての観点って、論理的な分析とか構成を把握して骨組み(キャラ、ストーリー)の明確化なのかなぁと思う。

そこを行くと、私の中の書き手&作家としての観点だと、「ここが面白かった大好き」という読み手の時に近いか、「この作品がいかにしてできているか」といった批評よりになる気がする。「感覚」的な部分が大きい。

分析して、「ここが足りない」「ここは多い」というのをなるべく客観的に判断して、「こここそがこの作品の魅力だ」と適切に判断するのが編集者の観点である気がする。

作家としての観点は、「ここをこう書いたり、ここでこの展開は悲しい」みたいな感じな気がする「自分ならこうする」というやつ。

自分の担当編集者さんと話してても、「ここがよくて、ここをこうするとどうなって」という話が多くて、フォロワーさんと読みあいする時は、「面白かった(感覚的感想)」「ここが気になる(文章的な問題)」「このキャラはこうだったらいいかも(掘り下げ)」が多いんだけど、このフォロワーさんの中にも、「既に編集さん目線」「作家目線に振り切れている」があるような気がした。

これって境界線が凄く曖昧というか重複する事もあるんだけど、私個人としては、「自分の主観を押し付けるようなことはしたくない」と現時点では思っていて、「なるべく論理的に説明したい」と思う。

そのために何が必要かと考えると、「構成の骨組みを抜き出す=見つけ出す」ために、数多くの、「構成方法」を知っておくような事が大切なんじゃないかと思った。今受けている講座や過去に受けた講座でも、物語の流れや骨組みを教わったのだけど、もっとその「型」を自分の中に蓄積していく事が重要なんだと思った。

その時に、じゃあどうすれば型がわかるのかってなってくると、「小説の書き方」的な本を読む事が近いと思った。それを読むと、最初は、「作家目線が身についちゃうんじゃ?」と思っていたんだけど、学ぶ観点を、自分が書き手として読むのではなくて、「この枠組みで書かれているかを、今読んでいる小説に当てはめて考える」とすると、すごく勉強になる。

自分で使おうとすると、合うあわないはあるんだけど、いくつものパターンを頭に入れておいて、読む小説がどのパターンのどんな型か判断すると、見えてくるものがあるように思った。

いや、私は文章を書く人になりたいというのはあるんだけれども。

最近、漫画編集にスカウトされたりとか、逆に自分で小説編集に応募したりが重なっていて、「編集さんになるために自分に出来る事は全てしておこう」と思っている。過去に話した編集さんの事を思い出したりしつつ、今は、構成を勉強するための読書が捗る。それがまた、楽しい。

ただ一個思うのは、編集さんも人間なんだよなぁ、と思う。お付合いさせてもらってると、なんとなく「あ、編集さんも不安そうだ」と感じたり、議論になる事もある。いいものを生み出すために、見てもらう⇔見るという観点、忘れないようにしたい。

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