掌編小説 『アリスの穴』 (約950字)

 アリスのように穴に落ちることに憧れていたのだが、そのような穴にはなかなかめぐり会えなかった。穴を見つけたのは撮影の途中だった。
 可愛い可愛いとちやほやされて育ったので、わたしも当然そう思っていたし、みんなもわたしをそのように扱った。十六歳の春休みのある日、わたしは男の子たちを引き連れてビデオを撮らせていた。わたしの可愛さを撮影したビデオや写真はもう捨てるほどたくさんあったが、わたしはわたしが自転車で坂を駆けおりる場面をどうしても撮ってみたかった。
 長い坂の上と下と途中に、カメラを担いだ男の子たちがスタンバイしていた。彼らは、どこかの大学の映画部から借りてきたというレールを坂に敷き、わたしがすごい速さで坂をくだっても追いかけられるように、何度もシミュレーションを重ねていた。
 いよいよ撮影がはじまり、顔面に思い切り風を浴びたとき、髪がオールバックになった顔というのはひょっとしてあまり可愛くないのではないか、という疑問がふとわいた。ところが別の問題が発生してそれどころではなくなった。前輪が向かっていく先に、なにやら茶色っぽい円形のものが捨ててあるのが見えたのだ。
 ──ピザだ。
 わたしはすばやくハンドルを切った。すると今度は白っぽいものが目に入った。便器のフタだった。それを避けると鉄アレイが落ちていた。のりの缶が落ちていた。食べかけのめんたいこが落ちていた。ドライアイスやら釘バットやら動物の死骸やら、よく見れば坂はしゃれにならないものでいっぱいだった。
 わたしは内心で男の子たちに毒づいた。ちゃんとロケハンをしたのか。なんで事前に掃除をしなかったのだ。オールバックになった長い黒髪を振り乱しながらわたしは猛スピードで坂を蛇行していった。男の子たちは手製のトロッコで並走し、レールの上のカメラは完璧にわたしに向かって固定されていた。かろうじてすべての障害物を避け、ガッツポーズを取ろうとしたところで、三輪車を漕ぐ子供があらわれた。
 わたしは再び急ハンドルを切ったが、何か硬いものに前輪がぶつかって自転車から弾き飛ばされた。わたしの体は三輪車の子供を超え、坂の下に控えた男の子たちの頭上を超え、道路を挟んだ柵の向こうの草がぼうぼうに生えた空き地にまで飛んでいった。その空き地にアリスの穴が開けていた。

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