掌編小説 『カラオケ大会』 (約850字)

 たぶんなのだがきよしは帰る家がないのだろう。さっきからカラオケ館の前をうろうろしている。
 T駅前のカラオケ館でカラオケ大会が開かれた。大会といってもネットの同好会が企画した小さなもので、参加したのは二十人ほどの男女だった。
 自分の持ち歌を披露したあと、シートに座ってほっと緊張を解いたときに隣にいたきよしと目が合い、私はきよしに対して不思議な親しみを感じた。私たちは参加者が歌っている合間や、ときには歌っている最中にも、顔を寄せ合って談笑をした。
 きよしは二十歳くらいに見え、青いデニム生地のキャップ帽のほかにこれといって特徴のない男の子だった。居酒屋でバイトをしていると言っていた。しかしそれも嘘かもしれない。室内にいるときは大学生じゃないかと勝手に思っていたのだけど、そんなふうでもない。日差しの下で見るときよしは全体的に薄汚れており、好青年風に見えたさっきとはだいぶ印象が違って見えた。
 きよしが歌ったのはコブクロだった。きよしは、というよりもコブクロを一人で歌おうとすればそうなるのは必至だが、黒田のパートを歌唱しており、そこへ機転を利かせたある参加者の男性が、小渕のコーラスパートをアドリブでぶっ込んだ。手拍子が巻き起こり、それで会場は大いに盛り上がった。
 きよしはテーブルに足を乗せんばかりの勢いで、体を前後に揺らし、膝を折って下半身を低く落とし、飛び込みの男性もまた立ち上がり、きよしに熱い視線を送りながら身悶えするように絶唱した。きよしは二番Aメロの四小節目に強くこぶしを効かせ、男性もそれに応えるようにビブラートを響かせた。真っ白な照明が男性の禿げた頭頂部を煌々と照らしていた。T駅前のカラオケ館は古く、私たちは工夫のない白々しい照明の下に気まずく剥き出しになっていた。
 精算を済ませると、私たちはほっとしながらまだ明るい屋外に出てきたのだが、きよしだけは違って、ひどく屈折して見えた。小渕を歌った男性は歩道の上で大きく伸びをし、それからたぶんきよしを探してしばらくあたりを見回していたのだが、見つけられずに帰っていった。


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