とある冬の朝の巡視にて

 まだ日も登りきらない薄明るい街に一歩踏み出して、男たちはどちらからともなく寒さを訴えるうめき声を上げる。吐く息の白さにきゅっと眉間を寄せると、自然と縮まる体をほぐすようにアレクサンドルは肩を上下させ、首を回した。空気の冷たさに体を馴染ませるアレクサンドルの仕草とは反対に、隣に並ぶ同僚はそれらを拒絶するようにネックウォーマーを整え限界まで制服のブルゾンのジッパーを上げる。一通り肩周りをほぐしたあとにアレクサンドルも同様に首までジッパーを上げた。
「とうとう息が白い」
「もうすっかり冬だなぁ」
 日も短くなった、この時期は酔っ払いが少なくていい、と世間話をしながら歩き始めた二人の視界に、ほどなくしてツイードのロングコートのポケットに両手を隠し道端の街灯に寄りかかってぼんやり立つ背の高い男が映る。見るでもなく石畳に視線を向けているその物憂げな姿はともすれば映画のワンシーンのように様になっているとはいえ、それこそ酔っ払いもいない冬の早朝の街ではそこだけ妙に浮き上がる。
「あれ、お前の彼氏じゃねえの」
「彼氏ではないな」
 ふざけた口調の同僚の肩を自分のそれでドンと押すと、アレクサンドルはなにやってるんだと呟きながらそちらに向かう。立ち止まったままの同僚はどうやら静観の姿勢らしく、にやにやとそれを見送った。
「ちょっと、そこの方」
 斜め後ろからかけられた聞き慣れた声に男はぱっと表情を明るくすると、にこやかに振り返り声の主(あるじ)を見てさらに目尻を下げる。
「やあ、お勤め中か。こんな時間からご苦労様」
「こんなところで突っ立って、朝からなにしてるの」
 男――シャルマンのいつもよりも血色の薄い顔色と色のない呼気は長らくそうしていたために冷えているのだろう事実をたやすくアレクサンドルに伝えた。
 青年の呆れた表情を見てもシャルマンは気にせず、何時かと問う。アレクサンドルが腕時計を見ようと上げた手を取り覗き込むように確認すると、もうこんな時間か、とへらへら笑った。
 想定していなかった接触とその肌の冷たさに、アレクサンドルの肌にゾクゾクと鳥肌が湧く。
「散歩だ」
「こんな時間から」
「私は朝の散歩が好きなんだ」
 知っているだろう、と付け加えられた気恥しさをブルゾンの襟を鼻まで持ち上げ口元を隠してごまかすと、アレクサンドルは拗ねた様子で言う。
「もう帰りなよ。随分寒そうだ」
 そっけない態度と相反する気を遣った台詞に「確かに寒いな」と返事をしつつ、それもたいしたことはないとでも言うようにシャルマンは笑って見せた。
「君、仕事は何時まで?」
「……あと二時間くらい」
「そうか」
 ふむと視線を泳がせたあと、なんの迷いもなくアレクサンドルに向かって言う。
「じゃあ、一緒に帰ろう。隣の通りのカフェがそろそろ開くからそこで待っているよ。また後でね」
 当然のように提案された内容にアレクサンドルが目を見開くのを見ると、それを同意と受け取ったのか返事も待たずにシャルマンは歩き始め同僚に寄っていった。先程まで付かず離れずの距離で嫌らしい表情をしていた彼はシャルマンの突然の挨拶に動揺し手招きを拒絶できず、流れるようにされた耳打ちにブンブンと首を縦に振った。ひらひらと手を振ってシャルマンが去っていくのを残された二人で呆然と見送る。
 少しの間があって、我に返った同僚が肩を怒らせながらアレクサンドルに寄ってきた。
「おいアレックス、俺をデートの約束に利用するんじゃねえ。朝からいちゃつきやがって」
 制帽を脱いで耳打ちされた側の髪をガシガシと掻きむしり苦情を述べる姿はいつもの自分に被るなと顔をしかめながら、アレクサンドルは自分のせいではないと盛大に態度で示し、また並んで歩き始める。触れられた手に残る冷たい感触をブルゾンのポケットに突っ込んで覆い隠した。
「……なに言われたの」
「『彼が残業しないように見張っていてくれ』、だとさ」
 苦虫を噛み潰したような顔でお互いに照れを隠しながらゴツゴツとブーツを鳴らして進む男二人の前を、すっかり冬毛に衣替えした猫が横切った。
「まさか男に耳打ちされて照れる日が来るとは、夢にも思わなかった」
「そればかりは同感だ」
「お前、あんなのと一緒にいてよく心臓が保つな」
「それも同感だ」
「……いやでも、俺はやっぱりおっぱいが好きだ……」
「俺だっておっぱいが好きだよ」
「お前にはあんなステキな彼氏がいるだろうが!」
「彼氏じゃない!」
 夜勤明けの疲れとテンションで騒ぐ二人の男を、道端の猫だけがあくび混じりに見つめる。

2021.12.15 初稿
2024.02.09 加筆修正