とあるテーラーの話

 もう随分古い紳士服店の店主宛に、十年近く見ていなかった馴染みのある筆跡の手紙が届いた。相変わらずの仰々しい封蝋とシンプルで美しい字で宛名の書かれたそれを開封する。たった一枚の便箋には、その字と同じくシンプルな文言がいくつか並ぶだけ。
 便りが遅れたことを謝罪する言葉と、こちらと、店の近況を伺う挨拶が挟まれ、友人が亡くなったあとしばらく籠もっていたという言い訳が書かれていた。訃報の知らせ自体は早々にもらっていた、先代の葬式にも顔を出してくれた穏やかな風貌の青い瞳の司祭を思い出す。まめに寄越していた便りが途切れるほどの大切な人を失う悲しみを思いつつ、「しばらく籠もる」の期間が普通の人とはやはり少しずれているな、ともの寂しさとは別におかしさもこみ上げる。
 先代も、先々代も使ったという彼のパターンは、当然まだこの店に残っている。その友人のパターンも未だに保管しているのは、彼の未練が伝染したからか。今となっては寂しさよりも穏やかさが勝る心地でそんなことを考えながら、店主は手紙を読み進める。
 ――この手紙が君のもとに届く頃、私の〝お気に入り〟と一緒に久しぶりに顔を出すよ。それまでどうか元気で。
 最後の一文に動きが止まり、ふと店の外に目をやる。〝お気に入り〟、と疑問が浮かぶと同時に、見知った顔が店のドアを開いた。ドアベルが軽やかに鳴り響く。
「やあ、こんにちは。久しぶりだね」
「あなたはいつも突然すぎる。もう少し事前の相談とか……、あー、こんにちは、お邪魔します」
 突然訪れた騒がしさについこぼれる笑顔は、古い友人と再開したときに向けるそれと同じだっただろう。
 帽子を脱ぎ変わらない姿で笑う彼と、そんな彼に少し強引に、引っ張られるようにして店に入ってきた淡い色の瞳の青年が揃って挨拶する。
「少し見ない間に老けたな」
「シャルマン! 友人に対して失礼だろ」
「十年もあれば人間は老けるものだよ」
 彼の〝お気に入り〟の「友人」という言葉にこみ上げる喜びは格別で、自然と緩む口元は隠しようもない。
「はじめまして。君が手紙に書いていた〝お気に入り〟か」
「はじめまして。突然すみません。……〝お気に入り〟?」
「そうだ、今日は彼の分も頼むよ」
「シャルマン、なに〝お気に入り〟って。あと俺の分ってなんのこと。突然連れてきたと思ったらまたこうやって、あの、ご友人も揃って、なんです? ねえ?」
「服屋に来てなにをもなにもないだろう。君も野暮だね」
「そういう話じゃない。薄給な公務員をこういうところに連れ回して、なにを考えているんだ」
「君に会計の心配をさせたことなどないじゃないか」
「だから困るんだよ! 説明くらいしてよ!」
 にこやかに交わされる会話に反応しながらもきちんと挨拶をする青年の姿に自分の機嫌がどんどんよくなるのを感じながら、まずはお茶でも、と店の奥のソファを勧める。
 グイグイと男に背中を押されながら進む青年を微笑ましく見ながら、また随分とご執心なようで、と店主は自分のことのようにくすぐったい気持ちを抱えて笑った。

2021.11.29 初稿
2024.02.10 加筆修正