Il fait très froid de dormir seul.

「雪が降り出したようだよ」
 重たいカーテンの向こう、遠くに街灯が光るだけの真っ黒な窓を覗いたシャルマンが、中身のほとんどなくなったロックグラスを傾ける。
「どおりで寒いと思った」
「薪を足しておかないと」
 先程までシャルマンが着ていた厚手のカーディガンを肩から下げたままソファを離れたアレクサンドルが、すぐそばで同じように窓の外を覗いた。室内の明かりにチラチラと照らされて光る緩やかな動きのそれを見て「ほんとだ」と小さく呟く。静かではあるものの、翌日を憂慮する程度の賑やかさで小さな粒が窓の外を舞う。
「積もりそうだね。明日の朝には雪景色だ」
 シャルマンがカーテンの隙間を埋めて隣に立つアレクサンドルを見やると、心底残念そうな表情でずり落ちていく袖を引き上げていた。
「革靴で来ちゃったな」
「積もる前に今日は帰るかい?」
 翌朝の靴の心配をしていたところに出された提案は少しも考えていなかったもののようで、アレクサンドルは一瞬きょとんと目をしばたかせ、すぐに曖昧な笑顔で取り繕う。
「うーん……」
 思案しているのはその選択肢か言い訳か。下がった眉と張り付いたままの笑顔が若干の情けなさを醸し出しているが、シャルマンはそのまま返事を待つ。
「明日は休みだし」
「だし?」
「……」
 笑顔で先を促され、いくらかの焦りと羞恥がその表情に追加された。
官舎いえでゆっくりしていればいいだろう」
「でも」
「でも?」
 追い打ちをかけるシャルマンの質問にアレクサンドルは口を曲げ、隠れるようにカーディガンの前身頃をしっかりと閉じて自分の体を包み込む。
 それほど寒くない室内でほんのりと浮かぶ汗は暑さ由来のものではない。苦しい言い訳ではない、と言い聞かせるための笑顔はそのまま、声は嫌にはっきりしていた。
「俺の部屋は寒いんだ」
 苦しい言い訳を、と思いながらも、シャルマンはうふふと笑ってその言葉を飲み込んだ。その代わりか、幼子のわがままを咎め許すように目を細める。
「素直に泊まりたいと言えばいいのに」
 曲がった口はそのまま、今度はくしゃくしゃと顔全体をしかめてアレクサンドルは抵抗する。
「そんなんじゃない」
「じゃあ帰る?」
 シャルマンの畳み掛ける言葉に「今日は意地悪な日か」とぶつぶつ文句を言いながらも、アレクサンドルはやっとはっきりと返事をした。
「帰らない」アレクサンドルがテーブルの空のグラスを振り返りながら続ける。「まだ飲み足りないし」
 シャルマンは酒ならどこでも飲めるという事実を思い浮かべながらもまたも言葉を飲み込み、まあいいだろう、と小さくため息をついた。甘さが溶け出してくるような空気を無視して、アレクサンドルがひとりごちる。
「靴は諦めよう」
 さっさとソファに戻るアレクサンドルを窓辺で見送り、シャルマンは上機嫌に手元のグラスを空にした。焼けるようなアルコールも彼の顔色一つ変えられない。
「前に新しい靴を履いて帰った日に、スニーカーを置いていかなかったかい?」
「ある。でもスーツに合わせるのはダサくない?」
 なんだそんなことか、と肩をすくめるシャルマンを、チェイサーとして出された水のグラスをもてあそびながら窺う。氷で冷えたグラスの側面を伝う水滴を、アレクサンドルはいじけたように指で弾いた。
「では今度はスーツを置いていけばいい。他にも着替えを置いてたろう。必要なら私の服を貸すよ」
 またしても甘いため息とともに寄越されたその言葉に、弾みを隠しきれない声音が返ってくる。
「本当? サイズ合うかな」
「セーターなら多少大きくてもおかしくないさ」
「確かに」
 アレクサンドルは今まさにいくらかサイズの大きいカーディガンを羽織る自分を見下ろし、両肩を上げた。
「じゃあ、やっぱり帰らない」
「ふふ。いいとも」
 シャルマンがおかしくて堪らないと顔をほころばせる様子を、アレクサンドルは片肘をついて受け流した。困った人だとお互いに思いながらも口にはしない。
「こんなに寒いし、今晩も一緒に寝るかい?」
「……、それはちょっと考える」
「左様で」
 お好きに、と同じように肩をすくめてみせるシャルマンを、アレクサンドルは肘をついた片手で口元を覆い隠しながら盗み見る。その手の内側の表情は誰も見て取れない。
「寒いし、次はホットウイスキーにしよう」
「いいね。チェイサーは?」
「ミルクだ」
「えぇ、ミルク」
「おいしいよ。体もあたたまるし」
「ふうん?」
 テーブルの空のグラスを回収したシャルマンが、厨房に向かう前にアレクサンドルの髪を掻き混ぜる。アレクサンドルはくすぐったそうに拒否しながらも、まんざらでもない顔は隠しきれず、見られまい、とチェイサーのグラスを口元に運ぶ。
「眠たくなるから、準備しているうちにシャワーを浴びておいで」
「はぁい」
「いい返事だ。湯船で寝ないようにね」
「未知の味が楽しみなのでダイジョウブでーす」
「ごゆっくり」
 肩から落ちるカーディガンを押さえながら立ち上がり部屋から出ていくアレクサンドルを、それは返してくれないんだねぇ、と呟くシャルマンが見送った。

タイトル日本語訳:一人寝はとても寒い

2022.02.16 初稿
2024.04.25 加筆修正