花の諸相/擬く・ではない・象る

花の諸相/擬く・ではない・象る
青本瑞季

花位として薄い汽水の字は歌ふ
伸びる歯に花言のうつる虹びかり
木の退花塩のきらめく沼に浮き
花忘れ忌日ののちに張る皮膚も
蝋燭のこゑ花鹿のゐない橋
えれくとろにか千々の夜とて花構せよ

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薄玻璃のふるへに亜木の保つ闇霧
火ざかりの夜を亜名に呼びかはす




*
俳句を書き、読む人にとっての共通の言葉としての季語。繰り返し使われて来たからこそ俳句において季語とみなされない言葉より語の持つ蓄積が大きくなり、その繰り返し自体もまた繰り返される。しかしそれが与えられた言葉であって選んだ言葉でない歯痒さを時々覚える。完全にそれに従うかは個人によって違うだろうが、多くの場合、季語の範囲は歳時記に準じるという態度が選択されている。これも季語と呼びうるのではないか、と新たな季語となりうる言葉を提示することも季語を特権的な言葉として扱うことと地続きにあるように思える。そこでは選択肢を増やすことが議論されているのであり、季語の特権性の中で書くことがいつまでも前提のままだ。
それを選ぶ人のことを糾弾するつもりは全くないのだが、狭い枠の中で作り続けているような窮屈さに耐えられなくなってこの連作の中では季語を捨てた。
俳句の短さの中で語の持つ意味と用例の蓄積は馬鹿にならないのも事実であり、季語は蓄積を持つ語の最たる例である以上、捨てるにも手立てが必要に思えた。季語の蓄積の豊かさとは別の蓄積があるように振る舞う言葉を作り使う。蓄積がない言葉をあたかも蓄積があるように使うことを今回選んだ。「花構」以外は造語として使っているし、「花構」も名詞である以上動詞化すれば元のそれと全く同じ言葉ではない。試みの成否自体は続けなければわからないが、断続的であれ似たようなことをやっていくだろう。




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