見出し画像

真の意味での地域活性化とは、滋賀県沖島にてコーヒー屋さんが考える

こんにちは、あおみどろです。
今日はいい景色がコーヒーに与える影響についてまとめていこうと思います。ただただ、ぼくが昨日のイベント出店させていただいた場所がきれいすぎて、コーヒーがおいしすぎたという雑談でございます。夜のコーヒーのお供にでもしてくださいませ。後半は少し、今後の地方のあり方について超個人的な意見をまとめてみました。

滋賀県近江八幡は沖島にて

みなさん、沖島(おきしま)はご存じでしょうか。滋賀県が誇る、琵琶湖に浮かぶ島であり、日本で唯一の淡水にある有人島です。そう、有人島なんです。人口は約200名、小さな集落ですが、古くから漁業が盛んで、今も漁師の方々が暮らしています。沖島が非常に素晴らしい島であることは次回の記事で余すことなくお伝えする予定ですが、とにかく景色がいいということだけ今日お伝えしておきますね(笑)

近江八幡の港

近江八幡の港から船で約10分。見えてきたの沖島。ぼくはコーヒー屋としてお仕事で島へ渡らせていただきました。

ご存じない方も多いと思いますが、琵琶湖ってしっかり港があるんですよ。漁港みたいな感じでいくつかあって、本当に海に来たのかなと勘違いするぐらいの景色が滋賀県でも見ることができます。

イベント出店の様子

さあ、店舗も設営できたところで、コーヒーを味の確認という名目で1杯抽出して、コーヒー片手に散策。ぼくの出店日ルーティンです(笑)散策の様子は次回の『沖島の魅力』を伝える記事に温存しておきます。

いい景色がコーヒーをさらにおいしくする

コーヒーって単体でおいしいのはもちろん、雰囲気がコーヒーの味に与える影響はとても大きいと思います。キャンプでコーヒーを飲むとき、たとえインスタントであってもほっこり、心にしみることもあります。コーヒーがおいしいのはもちろんですが、やっぱり周りの景色や、一緒にいる人や、自分のその日の気分など、コーヒーの味はすごく繊細に変化します。コーヒーの味は心の写し鏡ともいえます。美しい景色にうっとりしていると、自然と珈琲にも心奪われ、なんだか涙が出そうにさえなることがあります。

沖島港でのコーヒー

まさに沖島はコーヒーをおいしくしてくれる島でした。こんな朝のきれいな景色を見ながら、挽きたてのドリップコーヒー。最高に決まってます。

木蔭と珈琲

こんな木蔭でコーヒーを飲むのも最強。いや、癒されすぎてどうしよう。ちなみに散策でくつろぎすぎて、開店時間が遅れたことは内緒です(笑)

地方が抱える課題と安易な解決策

ここからは今日の本題です。ここまで記事を読んでくださった皆さんにだけ、ぼくの本当に思っていることを共有しておきたいと思います。ぼくの大学4年間の研究と経験とをもとにお話ししますね。

・地方の課題
ぼくは学生時代、「地域活性化」や「まちおこし」というものに興味を持ち、実際にいくつかのプロジェクトに参加させていただいてり、自分たちで活動をしてみたり、汗を流しながら頭も使いながら地域のためにと頑張っていました。地方の課題で頻繁に議題となるのは、過疎高齢化や景観や文化の保存などのテーマが多く、解決策として安易に観光地化という議論に落ち着くことが多いです。というかそもそも、議論自体が初めから、「どうやったら人が来てくれるか」とか「どんなイベントを企画しようとか」そとから人を引っ張てくることばかりを考えてしまいます。もしくは特産品をブランディングして都会で販売するなど、特産品で外貨を稼げる商品を作るというものです。主に、目に見える結果を出さなければならないときほど、この傾向は強くなる気がします。まあ、売り上げや観光客数など、数字に表れますからね。

・観光地化は果たして正解か
滋賀県のような地方、その中でも田舎といわれるような集落に入って活動をするわけですが、中には観光地化に成功して、たくさんの県外の人を呼び込める「勝ち組の田舎」みたいな場所が出てきます。でもよく考えてください。観光客を呼び込めたらなぜ勝ち組なのでしょう。もちろんその地域に住む方が暮らしが成り立たなくて、観光によって助けられたなどであれば有意義かと思います。けれどほとんどの場合、住民は観光地になることで生活しづらくなったり、とくに個人としてメリットを享受することなく、モヤモヤを抱えている方も少なくない印象です。

・目的と手段を考えて
目的と手段が気が付いたら入れ替わってしまうということがどんな分野でも起きますよね。地域おこしは最たる例であり、観光客を呼ぶというのはあくまでも手段で目的ではありません。〇〇のために観光客が増えるといいよね、じゃあどんな企画で観光客を増やそう。このプロセスは理解できますが。観光客を呼ぶために〇〇をしようと、ゴールが観光客誘致になっているのでは徐々に道を踏み外してしまいます・

・超個人的見解
ここからは超個人的見解パートです。賛否両論すぎるというか否の方が多そうですが、恐れず書いてみますね。

どんな伝統的な景観や昔ながらの暮らしを守りたいとしても、住民たちの生活を圧迫してはならないということが大原則だと思います。正直、外の人間からすれば非日常を味わえるし、そのまま維持してくれれば数年後にはもっと貴重な価値を持つかもしれないので、このまま保存しておきたい。「こんな貴重な文化・景観を壊すなんて言語道断だ」となってしまいます。けれど住んでいる方の暮らしやすいが最も大切だと思います。

そして、観光地化を求めている住民はぼくの経験上の体感だと1割もいないです。だってそうでしょう。皆様のお家の前が明日から観光地になったらどうですか。住みにくくないでしょうか(笑)

でも観光客を呼ばないと、住民は減少する一方だし、限界集落だし、集落自体がなくなってしまうじゃないか。それならせめて観光地としても残った方がよいという意見もあるでしょう。けれど別に集落が集落として存在することに特段の意味はなく、今まではたくさん人がいたけれど、暮らしにくくなって住民はほとんどいなくなった。今ではこの地にこだわりのある方だけが住んでいる。みたいな方が自然だと思います。移り変わる時代の中で、やっぱり変わっていくものです。

そもそも歴史的な景観なんて、当時からしたらそれが当たり前で、暮らしやすかったというか時代背景あっていたというだけで、特に貴重なものではなかったわけです。今後の人口減少でビルが必要なくなったら東京の残されたビルが観光地になるようなものです。そのみんなが地上で便利な暮らしをしている中で、「あなたはせっかくビルに住んでいるのだから、足腰は弱くなって、もうエレベーターもないけれど、そこで住んでいるという文化を守るために住み続けなさい」といわれているようなものです。

いろいろ書いてみましたが、結局ぼくが言いたいのは「その地域に住んでいる方の幸せを考えたまちおこし」が求められる時代だなということです。だから住民が主体となって意見をぶつけながら新たな第一歩を踏み出そうとしている沖島は心強くてなりません。今後の沖島が楽しみです。沖島の今については次回の記事にて。

最後まで読んでくれた方いるのかな、いたらありがとうございます。コメントでご意見いただけると幸いです。ぼくの考えも様々な方とのかかわりの元できているので、新鮮なコメントも、同調のコメントも、反対のコメントもお待ちしております。

では、おやすみなさい。
あおみどろ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?