私のスマホ写真で振り返る今年のイベント体験 2023 【4月-その4】
🔷吉田美奈子
二十代の頃に聴いていた吉田美奈子のアルバム”EXTREME BEAUTY”に入っている”LIBERTY”を聞きたくて、何度も彼女のライブに足を運ぶことになった。今回は、昨年の10月に続き2回目だった。
何十年も経った今、こんなふうに過去の記憶をなぞって、何人かのミュージシャンのライブを訪れている。自分が歩けるうちに、彼女らが歌い続けているうちに、会っておきたい。自分の生きて来た時間を確かめたい。そしてできるならば、「ありがとう」と伝えたいと思っている。
アルバム”EXTREME BEAUTY"は1995年の発売だった。私が、旅先で出会った犬を探すために、免許を取って初めてのレンタカーで、夜中に茨城の海に行った話(「再び海へ ジムニーSJ30への道のり⑦」)を前に書いた。その時に車に持って行ってカーステレオで聴いていたカセットが、吉田美奈子だった。時速100キロで走る夜の常磐道。流れていくオレンジの常夜灯のリアリティがない光景の中で、彼女の声が夜に溶けていた。吉田美奈子は、夜のイメージの人だと思う。
初めて吉田美奈子を知ったのは、中学生の時だった。マクセルカセットNewUDのCMで”BLACK EYE LADY"が流れていた。同じシリーズでは、大貫妙子の”黒のクレール”とラジ(Rajie)の”ブラック・ムーン”が使われていた。「すべての色がまじりあう黒が本当の黒だよ」が吉田美奈子のキャッチコピーだったと記憶している。
流れるのはそれぞれのワンフレーズなのだが、いずれも「黒」のイメージで、透明感があってかっこよかった。それで、何件ものレンタルレコード店を回ってそれぞれの過去のアルバムを探し出し、録音して繰り返し聴いた。
このCMは、ラジオだけでなく、テレビでも流れていた。あの頃は、ミュージシャンの「動いている姿」を見ることはめったにできなかったので、貴重な機会だった。大貫妙子を見るために、CMの流れる時間にテレビの前で待っていた。この三人のミュージシャンは、このあと高校の頃までずっと、新しいアルバムやラジオ出演を探して、聴き続けた。
私が聴きたいと願っていた”LIBERTY”は、私の就職からしばらく経った1995年の発売だった。でも、実は私は高校生の頃に、この曲をFMで聴いたことがあった。
秋の日の夕方、誰もいない家の中で、スピーカーでFMを聴いていた。当時私の家は4階で、窓からは富士山の方向に夕暮れの空が見えていた。
流れているのは、野外フェスの録音音源のようだった。演奏が始まる前の静けさの向こうに、虫の音が聴こえていた。歌っているのは鈴木雅之と吉田美奈子。夜空の下のステージにライトが当たる様子が目に浮かぶ。歌が、すべての音を吸い込むように消してしまっていた。
最後の音が止んだ後に、湧き上がるような拍手と歓声が上がった。これが”LIBERTY"だった。
調べると、この曲が鈴木雅之2枚目のシングルとして発売されたのは1987年で、私の記憶と時期がずれている。しかし、更に以下のような記述があった。これ以前に吉田美奈子から鈴木雅之に曲が提供されていたのだろう。私はたまたま、発表前の音源を聴いたのかもしれない。
去年、吉田美奈子のライブを探していて、見つけることができた。まだまだ現役で歌っているようだった。昨年初めて行ったライブは、やや緊張するシチュエーションだった。その時のことを少しだけ書く。
かつて繊細なイメージだった吉田美奈子は、悠然とした、温かい存在感を湛えた人になっていた。艶のある声は、深みが増していた。揺るぎない歌声は、凄みさえ感じるものだった。
生きてきた時間、人と歌への思い、音楽への造詣が深く沁み込んだ歌声は、深く重かった。
私が”LIBERTY”を聴くのには、もう少し時間がかかりそうだった。
何度でも、会いに来たいと思った。
文・写真:©青海 陽2023
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