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お盆|子供たちが見ていたもの

前からずっと気になっていた。お盆や盆踊りを思い出すとザワザワするこの感覚は何だろう。ドキドキだけではなくて、どこかザワザワする。


いつものお宮が、提灯に彩られた特別な場所に変わっている。盆踊りの夜の特別なおこづかい。いつもは外に出てはいけない時間に友達と会ってもいい特別感。お盆の夜、子供たちはわくわくした気持ちを押さえきれない。

盆踊りを、そうした子供時代の思い出として残しながら、私たちは大人になってゆく。だから盆踊りに、気持ちがざわめくのだと思っていた。

けれども、最近になって思う。子供たちが見ていたのは、実は別の風景だったのではないか。

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例えば、大人たちの奇妙な行動。迎え火で、母が門の前で茄子や胡瓜に割り箸で足をつけて、わらを燃す。野菜に足をつけるのも、家の前で火を燃やすのも、ずいぶんおかしなことなのに、真顔で真剣にやっている。

盆踊りの夜には、意味のない歌詞の踊りを、大人たちがそろって踊っている。

父親たちは近所の男たちと昼間から酒を飲んでいる。夜になると親戚が揃い、みな酔って赤い顔をしている。嬉しそうにふるまっているが、どこか淋しげな空気がある宴会だ。

特別な日には、大人たちのルールがいっせいに変わってしまい、どうやら何かを思い出したり、忘れたりしようとしているらしい。普段、厳然たる規範としてある大人、親たちが、奇妙な行動をとって、ルールを壊そうとしている理由が何かある、と子供たちは感づいている。

普段見たことのない大人の違和感を通して感じる死の悲しみのような気持ち。大人たちの、亡くなったものへの思いの切なさを、子供たちは感じ取っているのではないか。

「お盆には帰ってくる」と信じて振る舞う父の姿を見て、じいちゃんやばあちゃんや、そのまたじいちゃんへの思いの重さを無意識に感じている。そして、大人の世界を通して、知らない向こう側の世界を感じている。いつもは恐れられ閉ざされている異界との道が、親しい人が通る道となり開けている特別な日に、子供たちはざわめきを感じているのだと思う。

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何年か前、北陸を歩いて旅行しているときに、海で迎え火を見た。

青い夕闇の砂浜で、大きな火が遠くに近くにいくつも燃えていた。子供たちが火のまわりを歌いながら回っていた。「爺も婆も 来ようテ 来よテ」というような、その土地の言葉の歌を繰り返し歌っていた。子供は嬉しそうにみなはしゃいでいたが、誰の目もギラギラと光っていた。

子供は、大人以上に何かを感じ取っているかもしれない。そして火は、こちらの世界とあちらの世界をつなぐ道具だ。

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お盆の間、海はご先祖さまのものになるという話は、どの地方にもある。にぎやかだった子供たちの海が、お盆の間、静かになる。

そしてお盆が終わると、夏の日差しが少し淋しげになり、夕方の風が涼しくなる。何かが行ってしまった感覚が残る。

今年もまた夏の終わりに、あちこちで火が灯された。
そして都会では、街角に小さな火が、思いを込めて灯された。

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文 &  写真 Ⓒ2022青海 陽



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