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あだち充『タッチ』『ラフ』の空気感

学生の頃、あだち充のマンガ『タッチ』をリアルタイムで読んでいた。私が読み始めたのは、連載が始まってしばらく経ってからだった。だから、古い巻は古本屋で探して揃え、順に読んでいった。その後は、週刊少年サンデーの連載が単行本としてまとまる最新刊を待ち、発売日に買って読んでいた。

私は、彼らが暮らしている町の風景や、夏の空気感の中に描かれる、あの世界が好きだった。おそらく本物の写真をトレースしているのであろう街並みは涼しげだった。夏の雲はリアルに描かれていた。幼なじみや離れの子どもだけの部屋に憧れた。ライバルを含めた仲間の距離感もうらやましかった。

私の中の切ない空気感や動悸を、作品に投影しながら読んでいた。憧れや、近づくことができない異性との距離感。そんな言葉にならないような気持ちがあった。あだち充は、繊細な気持ちを拾い上げて、風景とともに描写していた。彼は、大人になってもその感覚を持ち続けていて、描けたのだと思う。

同じ時期に『陽当たり良好』も『みゆき』も読んだ。でも私の中では『タッチ』が特別に好きだった。バイブルのように何度も繰り返し読んでいた。

そして最後には、あまりにものめり込んでいる自分に嫌気がさして、苦労して集めた全巻を、憮然とした態度で弟に全部あげて、読むのを終わりにしてしまった。青い時代を卒業したような感じだったろうか。気持ちの動きも表現方法も、ぶっきらぼうだった。

その後はあだち充の作品を読む機会はまったくなかった。何度か本屋で新しい作品が並んでいるのは、背表紙を見て知っていたが、手にとることはなかった。

再びあだち充の作品に触れることになったのは、実写版映画『ラフ ROUGH』だった。

あだち充の作品は、キャラクターのイメージが漫画の中で完成されてしまっているため、実写版を作るのは難しいのだと思う。漫画の中の浅倉南や達也が最高であって、比較の中では、実在の俳優は必ず劣る。元の作品のイメージを壊す存在にしかならない。また、原作に風景のコマ割りが多いように、イメージを持ってその世界を作っているため、単なる実写化は難しい。あり得るとすれば、原作のモチーフを映像表現としてまったく新しく再構成することなのかもしれない。

もし漫画を先に読んでいれば、映画『ラフ』も同じようにマイナスの感じたのだと思う。今回は、たまたま長澤まさみが見たくて映画版を先に見たものだから…まあ映画がどうかといえば長澤まさみしか見ていないのだったが…それほど実写版に抵抗はなかった。

その後ネットで調べると、あだち充ファンの中では『ラフ』が最高傑作と言われていると知った。それで読んでみたくて、本屋やブックオフで探してみたものの見つからなかった。ネットでも見つけられなかった。結局、通りがかった少し大きめの個人営業の古本屋で全巻揃いの中古を見つけて買った。もったいぶりながら、途中で長い期間を開けつつ3カ月くらいかけて読んだ。

物語としては、すっきりしている印象。繊細すぎる心理描写があまりないことと、ストーリーがややコメディタッチなので、軽い印象。『タッチ』ほどの繊細な透明感のある街の描写もなく、線画中心だった。この「浅さ」が、おそらくファンの中ではバランスが良いという評価なのではないかな。主人公の二人に偏りすぎない物語構成といえる。

一方、私がちょっと好きではない設定は、少し年上のお金持ちの大人びたライバルの登場。そういう大人を高校生の世界に持ち込むのは、高校生は男として大人には太刀打ちできないところがあり、好きではない。タッチのように、高校生の世界は高校生で完結させてほしいな。

水泳選手と飛び込み選手である主人公の二人とともに描かれるプールのイメージは、感覚を拡げる。私はリハビリを通じて、水に救われ水を感じてきた。だからこそ水のイメージを肌感覚で共感できるからだろうか。この作品の水の表現はとても美しかった。


久しぶりに読んで、彼の描く独特の世界がまだそこにあった。

一方、私はやはり少し大人になっているようで、かつてと同じようには没入できなかった。
でも、それは残念なことではなかった。昔のアルバムを見ているような、そんな切なさをもって再び作品に触れることができたから。


文:©青海 陽 2020
画像:『ラフ』12巻表紙 ©小学館

読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀