見出し画像

お寺で精進料理を学んできました。

青豆です、本日、赤坂のお寺で精進料理を学んできました。ずっと習いたかった精進料理…!

赤坂の寺庵さん♡
https://akasaka-teran.net

 
青豆、料理は子どもの頃から本当に苦手で、家庭科は2でした…
しかし、お料理教室は、20代でABCクッキングスタジオに通って、お料理、パン、ケーキのコースも一通り習いました。一応、結婚したし料理もできるようになろうと、努力してみたんですね。ただ、どうしても毎日料理するのが苦痛で…

離婚して29才で風俗嬢になったあと、成功哲学を学んで私が出した答えは…
「料理するのは私のお役目ではない」とか「美味しいものが食べたければ外食すれば良くない?」でした。

今思えば、本当にお恥ずかしい限りですが、そんなふうに、私は「合理的に」自分の「理想の人生」を作っていきました。

ほぼ外食、人と会う時は外で食べる、会わなくても買ってくる、そして大量のサプリメントや健康食品で、なんとか帳尻を合わせようとして、不健康な食生活を続けた結果…

健康が危機的状況に陥りました。ある日仕事に行こうとして、全身が動かない、力が入らない、なにこれ…あたし死ぬのかな。

幸い、死にはしませんでしたが、思い描いていた理想の人生とはほど遠い、みじめな状態にじぶんが突き進んでいたことに気がついてしまいます。

食の重要性に、本気で向き合ったのは、この時でした。外食もコンビニごはんもやめて、神楽坂の和食教室に、ご飯の炊き方やお出汁の取り方から学びに行きました。

鍋でご飯を炊き、お出汁を取る、という楽しさを知り、料理の楽しさ、奥深さも学ぶことができて、幸い健康も取り戻しました。


そして、精進料理を学びたいという気持ちが、ふつふつと、数年前からわきあがってきまして。それはミニマリストになろうと思った頃から、少しずつ育ってきた感覚だったのです。

精進料理は、仏教の禅のお寺で作られ食べられてきたもので、動物性の食材を一切使わないお料理です。

でも、それだけじゃなくて、私には「生きるとは何かを教えてくれる」お料理のような気がしたのです。

禅の修行僧の皆様は、究極のミニマリストでもあります。本当に少ないモノで生活していて…お食事の際の食器も、応量器と呼ばれる5つの器(全て重ねられる)で、使い方や、置く位置もすべて作法で定められています。

もう、なんかこれだけでも、ものすごく憧れます…!憧れるなんて言ったら失礼かもしれませんが、我が家の食器もそれにしたい!!て思ってしまいます。私にはこのシンプルさが、最高に美しくて、やっぱり憧れなのです。

なぜ、このミニマルなあり方に憧れるのか。その理由は、モノの多さが不幸の源だったから。

昔から、モノがあふれた空間にいると、すごく心がざわついて、疲れてしまって、精神が集中できない自分がいました。でも、私が生まれ育った家はいつもモノがあふれていたし、結婚して家庭を持ったあとも、どれほど工夫して収納しても、どこに何を置いたかわからなくなって、探すのだけでクタクタ。

イライラして、突然発作的に捨て、よくそれで夫婦喧嘩しました。なんで、取り憑かれたみたいに捨てるのか、しかも「俺のモノまで!」てなるわけで、それはもう、喧嘩になって当たり前です。でも、もう発作だから(笑)捨てるのを止められない、モノに憎しみを覚えてるレベルまでいっちゃったから。

それでも、なぜか次から次へと何かを買うことがやめられなかった。買ったモノを収納するための収納ケースとか買い始めると本当に怖い。もはや、中毒みたいな状態でした。あれは立派な買い物依存だったと思います。

そうなった理由は、幼少期にあります。

私は、子どもの頃すごく貧しい家庭で育って、欲しいモノをほとんど買ってもらうことができませんでした。そして、お金さえあれば幸せなんだと、強烈に金銭欲や物欲の強い大人に育っていきました。

大きな家に住んで、たくさん収納があって、なんでも欲しいモノが買えたら幸せだと、そう思っていたんです。

でも、よくわかったの。モノがどれだけあっても、幸せではなかった。好きなだけ買い物ができて、欲しいモノがなんでも買えても、その幸福感は一瞬だけで、、、欲しかったはずのモノはもう邪魔になっていて、毎日大量のモノに囲まれた私は不幸でした。

お金は必要、モノも必要、でもその「必要」を超えていったときに、それは私には「不幸」と結びついていったんです。皮肉なことでした、あれほどお金がたくさんあって、モノが好きなだけ買えたら幸せだと思っていたのに…

自分の望みを叶えているはず、自分の理想の人生を生きているはずなのに、なぜ苦しいのか…
達成してるのになぜ幸せじゃないのか。

理由はあとからわかりました。

自分に原因があったのです。わたしは、本当は心で繋がりたいのに繋がることができないから、他のモノで代替して、かりそめにつながっていると思い込もうとする、そんなことを繰り返してきたんだと。

モノやお金は、自分の価値と直結すると思っていたから、何をどれだけ持っているかとか、男性にどれくらいお金をかけてもらえるか?とか、それが自分の幸せの指標だと思っていた。

 
だから、それはどうやら違うと気がついたとき、思いつく限りのモノを手放し、食べ物を減らし、過剰になってるものをとにかく人生から取り除こうとしたのです。

なんでも足し算や掛け算していくことが良いことだと思い込んできた自分に、引き算させることをやってみた。

だから、あえて極小物件に住み、収納家具をほぼ無くして、最低限しか収納できないようにしてみました。ソファもベッドもテレビも書棚も食器棚もない。その中で、モノを増やさないように、作り付けの棚やクローゼットにしまえる量しか持たないことをやってみたのです。

あんなに大量のモノを持っていた自分には、やっぱり無理じゃないかと最初は怖気ついたけど…

これが、やってみるとすごく心地よく、人生ではじめて、「まだ足りない」という強迫観念みたいな、自分への思い込みを手放すことができました。


料理も同じで、過剰になっていた自分への期待を下げたの。色々作らなきゃならないのは、私には無理だから、一品を大事に作って食べようと思ったら、すごく楽になりました。


精進料理を習いたいと思ったのは、禅に対する尊敬とか憧れもあったけど、ひとつの食材をどう料理するかをすごく考えているところに、なんだか強く惹かれたというのが、本当のところです。

あらゆるものを無駄にせず、限られた食材を使い切る、それもできる限り最高に美味しく作る。だけど、決して「高級食材」を使うわけではないし、ふつうのお野菜やお豆腐などを工夫して料理していくのです。

いつもの食材でいい、基本の調味料でいい、あれもこれも買わなくていい、ていうのも、冷蔵庫が小さくて、食材や調味料多すぎるとストレスになる私にちょうどよかった^_^


そんなわけで、今日は念願の精進料理を学べて、本当に嬉しく、幸せでした。

人が何に幸せを感じるかは、それぞれなんだ。そのことの意味を、最近やっとわかってきた気がします。

私には、多機能なものよりシンプルなもの、流行より長く使えるもの、たくさんの物より愛着ある少ない物、が幸せでした。

そんなことに、やっと気がついた青豆です。

 

私が大好きな一冊。

なぜか高いお値段のリンクになっていますが、お手頃なお値段でも出品されているので、気になる方はぜひ探してみてください。

この本を眺めているだけで、心が落ち着くので、私のバイブルみたいな存在になりました。
お料理も美味しそうです(*´꒳`*)

 
そして、本日のお料理。
先生に教わりながら、もう一人の生徒さん(なんとプロの料理人さん!)と作りました。
全部本当に美味しかったです!心も体も満たされて幸せでした(〃ω〃)

いただきます、ごちそうさまでした。