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共に生きるために〈withアジア学院レポ〉

昨年のことになってしまいますが、栃木県那須塩原市にある「アジア学院」に行ってきました。短時間の滞在でしたが自給した野菜で作られた昼食をいただき、スタッフの方に学院内を案内していただきました。当時れもん留学中だった〈ぶーすけ〉も一緒に行き、見学レポートを書いてくれたので、ぜひご一読ください。

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アジア学院に飾られていた大きな画

学校法人アジア学院。アジア農村指導者養成専門学校は、栃木県那須塩原市にある農村指導者を育てる専門学校だ。

50年以上の歴史があり、アジアやアフリカ、太平洋地域など55カ国以上の世界各国から学生が集まってきている。日本人の学生も4名在籍していた。

ここでは、日本の進んだ農業を教えるのではなく、自国に帰った時に活用できる方法を自分たちで考えながら学ぶという方法をとっているという。

グローバルな環境に驚きながらも、アットホームな空間にすぐに馴染んでいった。

那須の自然溢れた澄んだ空気と食や人の豊かさ。

いただいた昼食

自給自足で作られた昼食は、なんだか特別な味がして不思議な気持ちになった。自給率は95%にもなる。

人間が作られるってこういうことなのだと一口食べるごとに感じて、自分を大切にしてあげたい気持ちにもなった。

そして学生さんたちみんなが笑顔で昼食をとっていることも印象的だった。

食事は、1人で食べるよりも誰かと食べた方が格別に美味しくなる。
誰かと笑顔で食べる食事は生きる力になってくれる。

チャペル

魅力的だったのは、古民家を改装したというチャペル。

講壇が他の椅子よりも低くなっていることが特徴的で、アジア学院の理念に基づいて作られているという。

集団生活に疲れてしまった時、息詰まってしまった時、ほっと一息をつきたい時、逃げ場所になってくれるような場所だった。

同じ土に同じ作物を育てるのではなく、その都度変えることで土が強くなるとされており、季節ごとに育てる食物を変えているそうだ。

人間も同じものばかりに触れていては弱くなる。多様な視点を取り入れることで柔軟になれる。そんなことと繋がっているのではないだろうか。


食べることが苦手な私は、どんな気持ちで足を踏み入れていいのかわからず戸惑っていたが、食べるという意味、生きるという意味がほんの少しだけ分かったような気がした。

そして人は1人では絶対に生きていけないということも。

生まれてきた子豚は、6ヶ月で出荷されてしまうという事実は衝撃的だった。

自給自足をした食べ物を自分たちで調理して、笑顔で食べる。
そんな当たり前のことが、今の日本では特別になってしまっている。
食事をするということはとても特別なことのはずなのにおざなりになってしまっている。
私を含め、食事をできるということは当たり前でないということを自覚しなければいけないと強く思った時間であった。

by.ぶーすけ

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アジア学院は私が大学時代に出会って惚れた場所の一つです。
モットーは、「共に生きるために」
「共に生きる」と宣言するだけでなく、共に生きるために何が必要なのか、どう行動していくのか、どのように在るのか、それを学び、実践する場だと感じています。

そんなアジア学院のことを、レポートの書き手ぶーすけは、「おっきいれもんハウスみたいだね」と言いました。とても嬉しかったです。様々なバックグラウンドを持っている中で、それぞれがお互いを「いいね」と言えること、共に食卓を囲むことができること、それは確かにれもんハウスの中に根付くものと重なるものがあるように思いました。
もっともっと、人にも地球にも、優しい場になれるように、新宿のとっても小さなお庭での家庭菜園、がんばります。
(kotoko)