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NASAの腕時計選定

人はモノそのものにお金を出すのではなく、その歴史の裏に隠れたストーリーを買っています。
よく知られた話ですが、NASAがオフィシャルウォッチを選んだ話をまとめてみました。

1964年頃、アメリカ航空宇宙局NASAは「宇宙空間での船外活動に耐える腕時計」を求めていました。自動巻き方式は、無重力下でうまく機能しない可能性があったため除外されました。また、宇宙船内の電気系統がなんらかの理由で故障した際にも時間計測ができるように、ストップウォッチ機能が必須とされました。

したがって要求される仕様は、手巻きのクロノグラフ(ストップウォッチ機能付きの時計)となりました。この要求が先見の明だったことは後に証明されます。


選定にはアメリカ国内のメーカーはもちろん、スイスのロレックスRolex、ロンジンLongines、オメガOmegaなど10社ほどから時計が集められました。

検体は70℃で48時間、93℃で30分間の高温環境や、-18℃で4時間の低温環境に置かれ、高熱の蒸気を当てられ、40Gの負荷をかけられ、落下試験や急激な温度変化・気圧変化にも晒されました。

この非常に過酷なテストを経て最後までクロノグラフが作動していたのはオメガのスピードマスターだけでした。


1965年にNASAが宇宙飛行士用標準装備としてスピードマスターの採用を発表すると、アメリカの大手時計メーカー・ブローバBulovaから「国家的プロジェクトには自国製品を使うべき」とのクレームが入ります。

ブローバは代々の重役を国防省から迎えていて、軍やNASAとは親密な関係にありました。当時の宇宙船の計器や計時装置のほとんどを供給し、大統領専用機エアフォースワンのキャビンの時計にもブローバ製が採用されている程でした。

圧力に押されたNASAは、ブローバの技術陣がワンオフで製作した特注のクロノグラフとスピードマスターとで再選定を行いました。しかし結果はスピードマスターの勝利でした。

元陸軍参謀総長だったオマール・ブラッドレー社長はなおも食い下がりますが、「ブローバの製品ではアメリカの威信は守れない」と拒絶されます。こうしてスピードマスターはNASA公認となり、1966年から正式にオメガに発注されるようになりました。

1972年と78年に採用テストが再度行われますが、スピードマスターを凌駕する時計はついに現れませんでした。


1969年7月20日20:17UTC、アポロ11号の月着陸船イーグルが月面に着陸。21日02:56’15 UTCにニール・アームストロング船長が、そしてその19分後にバズ・オルドリン操縦士が、月面に降り立ちます。

この時イーグルの時計が不調だったため、アームストロングは自分の腕時計を予備として船内に残していたので、オルドリンが着けていたスピードマスターが初めて月面で着用された腕時計となりました。

このミッション成功によって、スピードマスターは「ムーンウォッチ」の名を獲得し、以後ケースの裏蓋には「THE FIRST WATCH WORN ON THE MOON」の文字が刻まれることとなりました。

しかしオメガスピードマスターの名を時計史に刻みつけ、伝説として語り継がれることとなったエピソードはアポロ11号の成功ではありません。


1970年4月10日13:13CST、フロリダ州ケネディ宇宙センター39番発射台からアポロ13号が打ち上げられました。3人の宇宙飛行士を乗せたロケットは、アポロ11号、12号に続く3回目の月面着陸を目指して順調に飛行していました。

ところが打ち上げから55時間54分53秒後、まもなく月軌道に到着するという4月13日21:07’53 CST、酸素タンクの攪拌を行うためのスイッチを入れた途端、メインエンジンや燃料タンクなどがある機械船の第2液体酸素タンクが爆発しました。辛うじて飛行は続けられるものの、燃料電池と第1液体酸素タンクを損傷し、深刻な電力と水の不足に陥ることとなりました。

月着陸ミッションは直ちに破棄され、そのまま航行しながら、月をぐるりと回る自由帰還軌道を利用して地球に戻ることになりました。その場で方向転換してUターンするよりも船体への負担が少ない方法でしたが、その代わり期間は4日間必要でした。

最終的に大気圏に再突入するために、司令船オデッセイの電力や酸素をなるべく使わずにとっておかなくてはなりません。そこで機械船と司令船の全機能を停止し、3人の飛行士は月着陸船アクエリアス内に避難しました。

本来2人で2日間過ごすための空間で、3人が4日間暮らさなくてはならないため、アクエリアスの電力使用も厳しく制限されます。二酸化炭素の濾過や尿の処理などいくつもの深刻な問題をジョンソン宇宙センター(コールサイン:ヒューストン)とのタッグで乗り切り、ホットドッグが凍るほどの寒さに耐えて、アポロ13号と3人の飛行士は一路地球を目指しました。

しかし、その針路は予定された帰還軌道から外れていました。

稼働中の着陸船アクエリアスから発生する微量の水蒸気の噴出によって少しづつアポロ13号の軌道はズレていたのです。まもなく大気圏に再突入するはずなのに、進入角度が足りず、このままでは空気の層に弾き返されて宇宙空間に戻ってしまいます。

修正が必要でした。しかし修正に失敗して進入角度を深く取りすぎれば、速度超過となって大気の断熱圧縮による熱で燃え尽きてしまいます。正規の軌道に戻すためにはジャストのタイミングで正確に14秒の逆噴射をする必要がありました。

ヒューストンは軌道修正のために誘導コンピュータを使用することに難色を示します。司令船で大気圏に再突入する最終局面で、全ての電子機器を使用する電力を残しておかなければ誰も助からないからでした。飛行士たちは手動での軌道修正を決意します。

ジム・ラヴェル船長が地球上の影(昼と夜の境目)を目標に姿勢制御装置を操作し、フレッド・ヘイズ飛行士がエンジンの噴射を、そしてジャック・スワイガート飛行士が手持ちのスピードマスターで時間計測を行いました。

14秒かっきりの噴射に成功。アポロ13号は予定していた再突入コースへと戻っていきました。

3人は司令船に戻り、温存した最後の電力で各機器を再起動します。困難な旅を共にした機械船と着陸船アクエリアスを切り離したのち、予定通り大気圏に再突入。4月17日12:07CST、サモア諸島南東の海上に着水します。打ち上げから5日と22時間54分後のことでした。

3人の飛行士は、待機していたアメリカ海軍のイオージマ級強襲揚陸艦の1番艦、イオージマUSS Iwo Jima LPH-2に無事救出されました。


以上が「成功した失敗」「栄光ある失敗」などと称される、アポロ13号の事故と奇跡的な帰還の概略です。

もし、あの時、0℃の無重力空間で、最後の頼みの綱だったスピードマスターが故障していたら、3人の貴重な命は失われ、アメリカの宇宙計画も大きく遅れていたかもしれません。

1957年に誕生したスピードマスターは、その名の通りモータースポーツ用に作られていて、パイロットウォッチですらありませんでした。ただ、元々が潜水用時計のオメガシーマスターシリーズから分岐して生まれたものだったため、温度や気圧などの変化には強かったのかも知れません。

1965年のテストの際、他社は技術者が念入りに調整したり、ワンオフで製作したメーカーズスペシャルを持ち込みましたが、スピードマスターは店舗で普通に売られていた市販品だったといいます。

後日談ですが、NASAの選定にもれたブローバは、めげずに、今度はアポロ15号のデイヴィッド・スコットDavid R. Scott船長に私物として自社のクロノグラフを持たせ、1971年、とうとうオメガスピードマスター以外に唯一月に降り立った時計のメーカーとなっています。当然大々的に宣伝しました。

この時計は2015年にオークションに出され、1,625,000ドル(約1億7700万円)で落札されました。

一方で、宇宙飛行士に支給されたスピードマスターは国有財産だったため政府に返還しなくてはならず、各地の博物館で見ることはできるがオークション市場に出たことはありません。

初めて月に降り立った記念すべきオルドリンのスピードマスターは、1970年台初頭、スミソニアン研究所への輸送途上であろうことか行方不明となっていて、現在に至るまで発見されていません。戦後最大の紛失事件と言われています。


今では最新の技術で作られたタフで正確な腕時計もたくさんあるでしょうが、スピードマスターは、ムーブメントを時々更新しつつも、月面で使われた当時のデザインをほぼ保ったまま半世紀以上人気を保っています。買った人の99.99%は一生月面に行くことも宇宙に上がることもないと思いますが、それでも「命を救った時計」というロマンにお金を払っているのだと思います。

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