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親友伊藤玄太の夢、次の一歩。

2018年12月22日。とある日本人が歴史を塗り替えました。
世界中、皆が知る歴史を変えた訳ではありません。

でもその日本人の一歩は、未来に対しての大きな一歩でした。

その一歩を踏み出した男の名前は、伊藤玄太。
本人は、認めてくれませんが僕の高校時代の親友です。
今日は、彼の一歩とそして、彼の夢について書かせてください。


彼との出会い

僕は、高校に入学してすぐに単身アメリカへと渡りました。1年の現地での生活を終えて、日本に帰国し、高校に復学するのですが高校のルールの関係で学年は1つ落ちました。

なので1つ下の子達のクラスに1人だけ先輩がいる感じでした。もっぱら、誰も僕のことを先輩だと思っていませんでした。(アンパン買ってきてとかコーラ買ってきてっていう生活をイメージしていたのですが全然違いました)

そのまま高校2年となり、クラス替えがあり、隣の席になったのが伊藤玄太でした。

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(今では想像がつかない高校時代。漂う男子校感)

伊藤玄太は、三重から野球のスポーツ推薦で僕の高校へと入学してきたもののなぜか3日で野球部を辞めて、アメフト部にスカウトされ、入部し、ランニングバックとしてすぐに抜擢された変なやつでした。

僕の母校は、神奈川県にあり、スポーツ校という呼ばれる部類に入り、多くの部活がインターハイや関東大会などの常連となる高校です。尚、僕はスキー部です。笑

中高大一貫校で僕は中学から入学をしていたので元々の学年の友達たちから伊藤玄太というやつの名前をずっと聞いていて、奇しくも隣の席になったことから、話しかけ、色々話すようになって行きました。

一緒のクラスになった2011年4月は、3.11があった翌月でもあり、またスーパーボウルで僕の住んでいたウィスコンシン州にあるパッカーズが優勝した年でもありました。

お互い?ほぼ僕が一方的にアメリカでの暮らしや3.11後の日本の社会のことなど色んな話をするようになった高校時代をとてもよく覚えています。

彼は、学校の近くで1人暮らしをしていたので僕はよく学校帰りに泊まりに行ったり、遊びに行ったりしていました。


夢への挑戦

結局高校を卒業してから彼は、アメリカへと渡り、僕は慶應へと進学し、バラバラになりました。

アメリカは、NCAAという全米大学体育協会が強く、アメフトやバスケ、野球、アイスホッケーなど多くのスポーツを全米で放映し、プロに負けないレベルの人気を誇っています。

全米大学体育協会(ぜんべいだいがくたいいくきょうかい、略称:NCAA, National Collegiate Athletic Association の略;アメリカでは“エヌ・シー・ダブル・エー”とも呼ばれる)とは、アメリカ大学スポーツ協会のこと。協会が主催するスポーツのリーグ戦などのことを指すこともある。
本部はインディアナ州インディアナポリスに設置されており、協会が運営する競技会の種目は、アメリカンフットボール、バスケットボール、野球、アイスホッケー、テニス、ゴルフ、陸上競技、アマチュアレスリングなど。大学運動協会としては世界最大規模。アメフト、バスケットボール、アイスホッケーなどのリーグ戦がテレビ中継されるなど人気が高い。

それこそ、カレッジフットボール(大学アメフト)のトップの監督は、12億程度の年棒を得て、指導をしていたりします。また多くの選手も奨学金を得ていることもあり、大学生と言えど職業アスリートに近い存在であります。

まさに伊藤玄太もこのカレッジフットボールに挑戦し、夢を追いかけました。
しかしこの夢は僕らが思った以上に高い壁です。

NCAA1部のチームでプレーする為にはチームから声がかからないと行けません。アメリカの高校でプレーしていた選手ですら多くは声がかかりません。
かつ、日本の高校でプレーし、現地に向かった日本人でこの1部でプレーした選手はこの歴史で1人をいません。

正直、多くの人はこの現実に向き合った時に無謀だと言うでしょう。それでも彼は少しの可能性がある限り、それが現実のものにできると信じてアメリカへと渡りました。

しかしいきなりNCAA1部でプレーできる訳ではありません。まずはコミュニティカレッジという2年生の大学の小さいチームから練習をスタート。それでもそのチームですら相手にもしてもらえない日々だったみたいです。(ここの詳細は、本人が書いていたのでよかったらみてください)


夢を掴み、歴史を変える

信じられない苦労があったと思います。
4、5年の月日を経て、2018年12月22日。

僕は、アメリカ合衆国ハワイ州にあるアロハスタジアムにいました。

NCAA1部のカンファレンスでシーズンを通して優秀な成績を残した2つのチームがここでシーズン最終試合を行います。

第4Qまで進み、試合時間は残りわずか。

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背負う番号は、29番。Genta Itoが呼ばれます。そしてサイドラインを超え、ハワイ大学のユニフォームを纏い、フィールドへと。
QBの声と共に彼の元にボールが渡り、前に進みます。

この瞬間、歴史は変わりました。

日本人が歴史で初めてNCAA1部の試合でボールキャリーをしました。


きっとアメフトを知らない人、NCAAを知らない人、多くの人にとってはわからない話だと思います。

それでも体の大きさが大切なアメフトの本場アメリカで163センチの小柄な日本人がボールを抱え、前に強く一歩を踏み出したのです。

その体の大きさじゃ絶対無理と言われた。
日本の高校でしかプレーしていないのにアメリカでやるなんて絶対無理だと言われた。
NCAA1部でプレーなんて誰もしたことがないから諦めろと言われた。

言い訳や他者の言葉なんてたくさんあったはずです。
それでも彼は自分を信じ、夢を追いかけ、歩んだのです。

僕らは、大人になればなるほど夢を口に出せなくなったり、言葉にできなくなったりします。

でも夢は信じた者にしか叶わない。
彼がそれを教えてくれました。


そんな彼もNFLへの挑戦はしませんでした。
でも彼が切り開いた道は、きっと未来に繋がります。

そしてそんな彼が未来へバトンを渡す為に新しい一歩を踏み出しました。

次の世代に。このバトンを僕も微力ながら手伝います。
新しい一歩をよかったら目を通していただけると嬉しいです。

https://camp-fire.jp/projects/view/240726



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1994年、東京都出身。法政二→ウィスコンシン→慶應卒。起業家。DADA CEO -New Community Maker- コミュニティハウスアオイエ@aoie_tokyoとバスハウス@bushouse_jpをつくってます。 dadainc.co.jp
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