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本質的な価値に立ち返る

人は目の前の形になっているものに、ついすがってしまう。

会社だったらオフィスだったり、メディアだったり。でも、その提供している本質的価値は何か?を考え、今の時代に当てはめた時に、今の形は単なる手段でしかないと捉えることも可能になる。


昨日の朝に話したコウゾウさんから

「もし優が、とある”人形”を作っている会社の5代目だったら、どうする?なにをやる?」

と言われました。うーんと、考えた結果こう答えました。


「おそらくこの会社が人形を作った時代に、人形に求められていたものは願いや希望だったと思うんですよね。時として、それは呪いだったかもしれない。形になり、続いたのが”人形”だったというだけだけで、他の形もありえたはず。

今の時代、人形を部屋に置く習慣は減ってきています。都心の部屋もどんどん小さくなって、核家族化も進んでいる。自分が家に人形を置きたいかかでいったら正直NOです。それは、自分以外にもそうった人は多いはずです。

自分がその会社の5代目だとしたら、そのルーツや本質的価値である”人の願い”とその会社が持っているアセット、例えばデザインする技術や所有している空間等を活かして、新しい空間づくりや場作りをしますかね。」


そう返したところ、コウゾウさんはこう答えてくれました。

「俺は願いじゃなくて、祈りだと思うんだよね。例えば七五三があった時は、子どもたちがその年を迎えることが、簡単ではなかったし、ある種の祈りの要素もあったと思うんだよ。その祈りを、どう今の時代のゆらぎに合わせるかだよね。」


そんな会話を朝からしていたのですが、これはうちの会社でも言えるなーなんて思いました。MATCHAというメディアの形も、求められているものの一つの表現の形でしかない。

メディアの改善ではなく、そもそもやりたいこと、実現していきたいことを考えて、そこから今の形だったら何をやれるか?今までのアセットを活用するとしたらどうするか?を考えていくといいんだろうなと思いました。


ちょうど今日まで行っていた上山でも、自分を呼んでくれた水柿さんも「棚田はあくまで場あり、それを通じた人の交流やふれあいこそが価値なんですよね。」と言っていて、根っこに立ち返る会話が自分に飛び交っている感じがします。

ここから3日間ほどのんびり広島を旅をする予定なので、色々考えてみます。

昨日のエントリーはこちら

色々と会話と眼の前のことが連鎖している感じがします。

最後まで記事を読んでいだきありがとうございます。毎日更新をしているので、よかったらまた読んでもらえると嬉しいです。