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商業ディベロッパーからMATCHAのディレクターに転身した理由 井上まりなさん

MATCHAのメンバーインタビュー6人目は、ディレクターの井上まりなさん。会社の雰囲気を明るくし、自律的に様々な事業を率先して進めてくれます。

そんなムードメーカー的な存在である井上さんに、MATCHAに入ろうと思ったきっかけ、この2年間で学んだことを聞きました。ビジョンについて熱い話をしてもらったのが個人的に嬉しかったです。

オフィス移転前最後のインタビューです。ちょうど窓から入る光がいい感じでした。


自分の考えのほとんどはバトンから学んだ

ー 井上さんが会社に入ってちょうど2年が経ちましたね。簡単に自己紹介をお願いします!

井上まりなです。ひらがななので、珍しがられます。以前母親に聞いてみたら、誰にでもわかってもらいやすいようにしたいという思いでつけてもらったとのことです。

1993/1/14の19:00頃、母の実家である宮城県角田市の病院で産まれました。その時外は雪が降っていて、地元の行事で神輿が病院の近くを通ってたそうです。昔は無口すぎて脳外科につれて行かれたこともあったそうですが、今ではそんな事を信じてもらえないほどお喋り。

バトントワリングを3歳から始めて、2年前の27歳の時までやっていました。人生の半分をバトンと過ごしていたことになります。自分の今の考え方はバトンから得たものがほとんどです。

西宮に住んでいて、自分が2歳のときに淡路大震災を経験しました。中学3年生で初めて海を渡りアメリカに行き、現地の人から「侍はまだいるでしょ?」と聞かれた事をキッカケに、国際交流やインバウンドに興味を持つようになりました。

結婚を期に、2年前に東京に来ました。東京に来てから津軽三味線を始めました。

MATCHAに入ろうと思った理由

前職の事務所前での一枚

ー そんな井上さんがMATCHAに入ろうと思った理由はなんですか?

まず、MATCHAとの出会いからお話したいです。

前職で姫路勤務だった時、会社で初のインバウンド担当者に任命されました。前職は商業施設の運営管理をする「商業ディベロッパー」だったので、姫路に来た訪日観光客にいかに自分達のショッピングモールでお金を落としてもらうかを、ひたすら1人で考えてました。会社の中での初めてのインバウンド担当者でした。どこの訪日観光客向けサイトで紹介してもらうかと思い色々探してたところMATCHAを知ったのが出会いです。

もっとMATCHAを知るために記事や会社概要をひたすら見ました。
会社概要でオフィスの写真を見た時「あ、みんな楽しんで仕事をしてそうだ」「どこか日本っぽい」と直感的に感じました。みんなの笑顔や記事の内容に、どこかあたたかさを感じたことをも覚えてます。

たまにMATCHAの記事を読むうちに、興味が湧き「いつかMATCHAで働きたい」と思うようになりました。

東京に来て、コロナのタイミングに直面しました。そこで偶然MATCHAがバイトを募集しているのを見て、バイトとして入り、その後正社員として働き始めるようになりました。

姫路観光コンベンションビューロー主催で、台北で台湾の報道関係者やインフルエンサーを招集して、商談会を毎年夏に開催してました。そこに、ビューロー会員の中から任意でで参加してました。その時の様子です。


ディレクターともう一つの顔

ー MATCHAでの業務内容を教えて下さい

ふたつ担当しています。

ひとつはディレクターという職種で案件の進行管理をしてます。ただ進行管理するだけでなく「いかにスムーズに案件を進行できるか」「いかにクライアントの要望に応えて、最終的に喜んでもらえるか」「どうしたら自分が必要とされるか」を重視しながら進めます。

もうひとつは日本語版Twitterの運用です。会社のマスコットキャラクター「まっちゃん」になりきってツイートしてます。MATCHAは訪日観光客向けメディアを運営していますが、日本人が読んでも面白い、参考になる記事が沢山あるんです。なので、会社の方針にそぐわないかもしれませんが、国内向けの情報発送をしています。

ちなみに、まっちゃんは猫なので、猫好きさんがフォローしてくれてます。一見「いや、猫好きにMATCHAのこと知って貰っても意味ないやん」と思うかもしれませんが、これが大事だと私は考えてます。どんな人だろうが、知らない人に知ってもらわないと、なにも始まらないですし。いつか「国内旅行=MATCHAだよね」って言って貰えるようにもしたいです。


知らないこと、危険なことにどれだけ早く気づくか

ー MATCHAに入ってから、一番成長したこと。印象に残っているエピソードはなんですか?

初めて担当した案件の進行管理をした時「知らないこと、危険なことにどれだけ早く気づくかが鍵」とわかった事が1番の成長でした。都内のとある区のPR記事制作案件が、私にとって初めての案件でした。ただ、そのときは会社のディレクターにおけるルールが統一されていなく、誰にも教えてもらえていない状態でした。受け身だからとかではなく「明確なルールがないから誰も教えられない」のです。正直、自分が何がわからないかがわからなかったんですね。

個々がそれぞれのルールや感覚で仕事をしてることが多くありました。なんとか手探り状態で案件を遂行したものの、モヤモヤが残ってました。それは「ルールを決めたい」という思いでした。「自分が何を分かってて何を分かってないか分からない」ということ、そしてその危険さに気づいたのです。
それからは、会社であやふやになってることは自ら率先して解決するようにしてます。

今だと、ディレクターの業務内容を、岡本竜太さんと一緒に明文化しようと頑張ってます!

岡本竜太さんのインタビュー


「ご意見番」のスキルをアップしたい

ー ディレクターとして、今後伸ばしていきたいスキルはなんですか?

ディレクターは自ら何かタスクをこなすことは少ないです。

やり方を間違えると「便利屋」「伝書鳩」になりかねません。それではディレクターの必要性は低くなります。前述の重視してるポイントも含め、もっと積極的に提案ができる「ご意見番」のスキルをアップしたいです。

その為には、切実に広告の知識が必要と自覚してます笑 ディレクターに聞いたら解決する、そんなのが理想ですね。


今に至るまで残る文化は、何かしら理由があって残っている

ー 残していきたいと思う日本の文化なんですか?

沢山あってどれかひとつと選ぶのは難しいですが、「過去から現在まで受け継がれたもの」です。今に至るまで残る文化は、何かしら理由があって残っていると思っています。そういったものを消さないように、残していきたい。

去年の5月から津軽三味線を習ってます。津軽三味線の原型は幕末にできたと言われてます。それまでは津軽地方の盲人「ボサマ」の収入源でしか無かったそうです。それを、突然、ボサマの仁太坊(にたぼう)が革新的な奏法をとりいれ、その音色が人々を魅力し、今に至るそいです。前述の通り盲人が多かったため、口伝が殆どだそうです。途中で消えても不思議でないのに今まで伝ってる津軽三味線。こんな歴史を知らなくても、人々を魅力してますよね。津軽三味線以外にも日本には、現代人をも魅力する文化・建築・伝統文化が沢山あります。

観光地では函館、長崎が好きです。どちらも港町で異国情緒が色濃く残ってます。鎖国でも異国を受け入れたこのふたつの県。歴史的建築物が多くのこりますが、維持費などが問題で、潰すこともあるそうです。ひとつ歴史が消えるということですよね。

そこに観光客が多くこれば、未来は変わってたかもしれない。そう思うとMATCHAのビジョン「日本の価値ある文化が、時代と共に残っていく」は、まさしく私がやりたいことだと思ってます。


将来の2つの展望

将来の展望はふたつあります。

1つは、近い将来はMATCHA全盛期にMATCHAメンバーとして関わっていたい!コロナ禍のMATCHAしか知らないので、これからインバウンドが復活したときのMATCHAに関わっていきたいです。コロナで会社として厳しい状態が続いていたのですが、だから辞めるというのは違うと思ったんですね。

2つ目は、長期的な展望では「今残る歴史的景観を後世にという残す」「日本文化を消滅させない」ウィーンなどヨーロッパには街が世界遺産として登録される事があるが、日本には一切ないです。しかし、長野の奈良井宿や渋温泉など、街全体が歴史を持っているエリアもあります。

草津温泉の有名な「湯もみ」は、昨今の少子化や街の高齢化により、後継者が一気に減り、存続の危機に面してるとか。

知られていない現状を知ってもらうことで存続し続けることができ、訪日観光客が増え、日本全体が潤う。そこに自分はどんな形でも携わっていたいと考えてます。

井上さん、熱いお話をありがとうございました!


MATCHAでは採用強化中です

井上さんが所属するディレクター職、クライアントの矢面に立ちプロジェクトを作っていくプロデューサー職、バックオフィスを強化する管理部の採用を進めています。他にも関心がある方がいましたら、是非上記の採用ページを見てもらえると嬉しいです。


最後まで記事を読んでいだきありがとうございます。毎日更新をしているので、よかったらまた読んでもらえると嬉しいです。