私と四畳半の追憶

大学1回生の秋だった。

夜中11時に京都市北区はわら天神前のマックで2人席の片方に腰掛けて、2個目のクォーターパウンダーにかぶりついていた私の前に忽然と酔っ払いが現れた。

「すいません、向かい座らせてもらっていいですか」

私の許可を待つまでもなく2人席のもう片方にくずおれるように座り込んだ若い男は、同じ大学の学生とみえて、酔っているのは飲み会の帰りであろう。

ヒップな風貌にがっちりとした体つきの、DJサークルにでもいそうな男であった。

私は男を無視してクォーターパウンダーを食い続けることに決めたが、DJ野郎は二言目に

「あなたに本をおすすめさせてください」

と勢いこんで話しかけてくる。

私が先を促すと、酔った男はろくろ回しの手付きをしながら熱くプレゼンを始めた。

「四畳半神話大系というんです。いやあ僕は大学に入ってあれを読んで人生が変わりましたよ。大学生のうちにぜひ読むべきです。大学の図書館にもきっとあるはずですから絶対に借りてください」

語り終えるとDJ野郎は急に居心地が悪くなったものか、くどくどと席を借りた礼を述べながらそそくさと立ち上がり消えた。

私はクォーターパウンダーを食べ終えた。

後日大学図書館に行って宗教学の棚を探したがそんな本は見つからなかった。

DJ野郎とは2回生の春に英語の再履修の講義で再会した。夜中にわら天マックをふらついているような学生は単位を落とすのである。

大学3回生になり、当時愛人業を営んでいた私の下宿にもパトロンから贈られたテレビが入った。

ある深夜、帰宅して何気なくテレビをつけたときに写ったのは幼児の描いたような稚拙な絵柄のカウボーイが画面を埋め尽くし、大声で何事かを喚き散らしている場面であった。

あまりに突飛な場面出会ったので、私はテレビが壊れているのかと思った。

それこそがアニメ版四畳半神話大系で、羽貫さんの自宅に招かれた「私」が内なるジョニーと論戦を繰り広げるかの場面であった。

一瞬で虜になった私は以降毎週真面目に番組を視聴し、原作を読んだ。

秋が来るまで夜中は琵琶湖疏水や賀茂川デルタに原チャリを走らせて過ごした。昼間は百万遍や北白川をそぞろ歩き、恵文社や1928ビルで過ごした。友人らと建て替え前の廃墟然とした吉田寮を訪ねた。寮内の個室には万年床と古びたこたつがあり、中庭では山羊とブロイラーが闊歩していた。

あの時代、京都で大学時代を過ごすことのあの無為さ、伸びきった時間の長さ、虚無とデカダンスを私は味わい尽くしたのであった。

そして当然の帰結として留年した。

あのアニメの放送時に大学生であったということはなんと幸福なことだったろう。あの作品がテレビ画面を通して、「私」と同じく己を見失っていた学生たちに語りかけて来る同時代性のメッセージには、抗い難い魔力があった。

四畳半神話大系のせいで私はこんなデカダンなものになってしまったと言っても過言ではない。

「私」よ、小津よ、鴨川デルタよ、恵文社一乗寺店よ、上賀茂神社の古本市よ、責任を問わねばならない。責任者はどこだ。

責任者に出会えるまで僕たちの現在を繰り返すことだらけ、でもそう、いつか君と出会おう、そんな日を思って生きてゆこう。

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