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パン屋さんのかき氷から学ぶ感情の扱い方のプロセス

この季節になると毎年たくさんの専門かき氷屋特集がテレビで流れ、近所のお店も「天然かき氷始めました」の暖簾をたらす。
別段かき氷にはあまり興味がないが、昨年、お気に入りのパン屋さんで食べたかき氷が美味しかったので今年も行ってみた。

ただの氷でも最近のかき氷は1000円超えるのである。
「苺とマスカルポーネ~天然氷オプション~」で消費税を足すと1300円。
ホテルのロビーのコーヒー並みのお値段である。

幸いその日は次女も保育園でひとり時間があった。
ただ次の予定があり、お店滞在時間は30分しかない。
一瞬迷ったが、まぁ…大体このくらいで食べ終わってこの時間にお店を出れば間に合うかな。という安易な気持ちで注文した。

が、いくら待っても注文した苺マスカルポーネが出てこない。
前の人も注文していたから時間がかかるのかと思ったけど、それでも10分もあれば出てくると思っていた。
結局20分ほど待ち、お店を出る3分前に問題のかき氷が出てきた。
次の予定の時間はどう頑張ってもずらせない。
急いで半分ほどを食べ慌ててお店を後にした。
もちろん味わう暇もなく、ただただ速攻で氷の塊を流し込んだだけの体験をしただけである。
ついうっかり定員さんに「もう出なきゃいけないんですけど…」と少々いらついた一言を投げてしまったことは反省する。
でも、1300円を一瞬でドブに捨てた感じ…
もっと有意義な別のものに使った方が良かったんじゃないか。
何より悲しかったのは、昨年味わったあの感動と美味しさを期待して行ったのに、それが全部この瞬間に台無しになったことだった。

家に帰ってからも何となくもやもやしたので感情を丁寧に取り扱うことにする。
これは私がよくやる「イライラ・もやもやしたときの感情の扱い方の対処法」だ。

「イライラ・もやもやしたときの感情の扱い方の対処法」

①まずはこの感情を思いきり味わう。
悲しみや怒りや「あの定員さんだってひとことくらいお時間かかりますとか言ってくれても良かったのに」というようなこと。

**②出し切った後「私はこう思っているんだな」と一度その感情を客観視する。

③感情と自分を分けて考え「あの時どうして欲しかった?」とその感情に聞く。**

そうすると怒り以外の別の感情が見えてくる。
悲しみや怒りの本当の理由など。

④新しく出てきた感情を受け止める。
「こうして欲しかったんだね」
「ここに傷ついたんだね」
と自分の感情を自分で認めて共感するイメージ。

⑤最後に「そこから学んだものはなんだった?」と自分に問う

「お店を出る時間が決まっているときは予めどれくらい時間がかかるかを聞いておこう」など。

そうして初めて、怒りや後悔や反省を昇華できる。
「今までにない体験だったから、これもひとつの経験値として自分の中に増えたと思おう」
と納得出来たらおしまい。

納得できなかったら、それは感情の扱い方のプロセスのどこかが間違っているか、根本の感情が間違っているので見方を変えてもう一度やる。
「たとえばこういうパターンだったらどうだった?」
など。

これは今回のかき氷に限らず頻繁に子どものころから行っている自分の感情の取り扱い方法だ。
もっと深刻な時は紙に書き出したりもする。
ネガティブなことで感情的になっているときは大体怒りではなく「悲しかった」「寂しかった」に行きつくこともそこで学んだ。
自分の信じていたことや期待が裏切られたことが悲しいのだ。
でも、それは相手の問題であり自分がそれに振り回されることはそもそも無駄なのだ。
だから、自分がいかにご機嫌よくいられるか、自分の感情に集中する。
相手があってのトラブルでも、起きてしまったことはただの出来事で、その感情をおこしているのは自分だ。
だから、自分にとことん向きあう。
そこから何を学べるかを考える。
そうすると人生で無駄なことは何一つないと感じる。

そうやって「またひとつ経験値が上がったな」
(こうやってnoteのネタにも出来たし)
と思うのだ。

人生にはいろんな事があるけど、面白がることの大切さをしみじみと感じる。辛いことも大変なことも。
そして今の積み重ねが自分を作っていく。
良いことばかりじゃなくていい。悪いことだと思っていたことも、10年もたてば良い経験だったと思えるようになることを知っている。
でこぼこの年輪を重ねるように、今を生きていきたい。

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