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これからの大学受験に必須のスキル!「文章力」はどうやったら鍛えられる?

こんにちは。日本アクティブラーニング協会理事/人財開発教育プロデューサーの青木唯有(あおき ゆう)です。

これまで、総合型・学校推薦型選抜(AO・推薦入試)指導に多く携わってきた経験から、総合型・学校推薦型選抜に象徴される大学受験の変化から見えてくる様々なことを、本ブログにて定期的にお伝えしています。
このような情報や視点を、受験生だけでなく保護者の方にもご認識いただき、大学受験を通じて形成される豊かなキャリアについて親子で考える際のきっかけとしていただければと思います。
※2021年度入試からAO・推薦入試は「総合型選抜・学校推薦型選抜」と名称が変わりますが、本ブログでは便宜的に旧名称を使う場合があります。

総合型選抜・学校推薦型選抜では多くの場合に小論文の試験があります。
また、志望理由書や活動報告書など書類を作成する必要もあります。
ですから、自分の経験や将来、また考え方などについて言葉で表現する力が大前提となっている選抜です。

そうしたことから、総合型選抜入試の受験のためには「文章力」を鍛えることが非常に重要だと言われます。事実、予備校などでは総合型選抜入試などの対策として専門の論文対策講座を設置していることがほとんどです。

ところが、この「文章力」というものは、非常に捉えどころが難しい能力なのです。
なぜならば、どんなに知識を入れてもパターンを覚えても文章力が上達するとは限らないからです。

よく「本をたくさん読む人は、文章を書くことが得意」という認識を耳にします。
たしかに読書によって多くの言葉や表現に触れることができます。言語能力を獲得する際のファーストステップとして大量の言語表現のインプットが重要であることは疑いようのない事実です。自分の中の語彙の引き出しが多ければ多いほど、同じことを表すにしてもより表現の幅を広げることができるでしょう。
かといって、大量の読書が文章力の向上に直結するかというと、必ずしもそうではないようです。

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私もこれまでの中高生への指導経験から、ただ単に本を読むだけでは文章力を上げることにはならないという実感があります。渡された推奨図書リストの書籍を「全て読みました」という生徒が、文章力を向上させたかというとそういう訳でもないのです。

一体なぜなのでしょう?
そして、文章力の本質とは一体どこにあるのでしょう?

総合型選抜入試の場合、志望理由書には当然のことながらその学問分野に対する研究テーマについて自分なりの考察も含めて記していくことになります。
また、試験会場における小論文審査においても、その学部・学科が扱う学問領域に関連する内容が題意として提示されます。
こうした選抜の中では多くの場合、自分のことを何でも自由に書けば良いというエッセイや作文のような文章ではなく、与えられた題意に対して的確に論理的にわかりやすく論じていく必要があります。

そもそも「文章力」の有無を示すための観点はいろいろあると思います。

・わかりやすい簡潔な文体で表されている
・難解な言葉であっても的確に使われている
・文章全体が論理的で矛盾がない
・論拠が明確に示されている

などなど、、、どれも文章力における重要な要素です。
ですが、例えばこうした点が全て押さえられていれば「文章力がある」ということに本当になるのでしょうか?

もちろん、大学受験における小論文審査などでは一定の採点基準がありますから、上記のような具体的なポイントに対するテクニカルな対策が可能ですし、ある程度は功を奏するでしょう。さらに、そうした対策によって得られる文章表現力は、受験後にも役に立つことと思います。

ですが、私は、せっかく受験を通して文章力を鍛える機会を得られるならば、上記のような受験対策的なポイントのみに止まらず、もう少し深いところまで伸ばせるのではないかと考えています。

文章を書くということは、煎じ詰めて言えばコミュニケーションの手段の実践です。
当たり前のことですが、コミュニケーションは自分一人では成立しません。必ず自分以外の他者が存在します。

自分が書いている文章を誰に向けて書いているのか?
このことに対する実感がある文章とそうでない文章とでは、伝わりかたが全く違うように思います。

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以前、ある高校生の志望理由書を読んだ際、「ここはちょっとわかりにくい言葉だな…」と感じたことがありました。
彼にそのことを伝えると、「いいんです。この言葉は〇〇教授がよく使われていて、僕はこの教授の研究室に入りたくて敢えてこの言葉を使ったんです。」とのことでした。

もちろん、誰が読んでもわかりやすい文章といった客観性が重要だという指摘もあると思います。
ですが、自分の文章を伝える相手のことを強く意識している彼のスタンスには、なるほどと感じました。

面接審査などでは対面にしてもオンラインにしても対話をする相手の顔がリアルタイム見えますから、他者を意識しやすい状況だと言えます。
ところが、文章を書く時は顔が見えません。すると途端に伝えたい相手が誰なのかが意識しにくくなるのでしょう。

先日たまたま見ていたテレビ番組で、読み書きを学ぶために20年間夜間学校に通い続け、84歳で卒業したある男性のことを知りました。
その方は戦後の混乱期の中で学校にほとんど行けず、「あいうえお」の読み書きすらもできないまま社会にでて結婚したのだそうです。
そんな事情の中で60歳を過ぎてから意を決して夜間学校に通った理由は、「字がわからない自分を長年に渡りずっと支えてくれた最愛の妻に宛てて、どうしてもラブレターを書きたい」との思いからだったそうです。
番組中、ある年のクリスマスに奥さんに宛てて書いたこの方のラブレターの文面が紹介されたのですが、決して上手とは言えずいくつもの誤字がある文章にもかかわらず、心底から胸を打つ切実なメッセージがしたためられており、思わず目頭が熱くなりました。
「この人に伝えたい!」と強烈に思いながら自分の言葉で書いた文章はこれほどまでに力があるのかと、改めて感じ入りました。

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もちろん、この事例はあくまでも「手紙」ですから、大学に提出する小論文や志望理由書とは異なる性質のものです。
ですが「伝えたい相手」に対して自分の思いや考えを表現するという点については、共通する本質があるのではないかと思います。

実は、私の経験から言えることも、実際に指導している生徒の文章力が変化する時というのは、伝えたい相手、つまり他者を強く意識した時だということです。
自分の考えや伝えたいことを本当の意味で相手に届けるために、表現の仕方や言葉の選び方、運び方が、明らかに変わるのです。
小論文試験についても、論文対策のテクニックで設問に向かう前に「この問題を作った人は一体自分にどんなことを考えさせたいんだろう?」と、出題者の意図を探るようになります。

自分の書いた文章の先に存在する「それを読む他者」を意識した時、自分らしく一貫した文章でありながらも相手に伝わる文章を生み出す土台ができるのでははないかと思います。

世の中には、当然のことながら自分とは異なる価値観や考えが数多あります。目には見えない他者について意識する行為とは、そうした社会の多様性に対して自分の想像力を発揮することそのものです。
つまり、文章力とは、論理的思考や文の書き方や語彙の獲得以前に、本当に伝えたいと思える自らのメッセージを持ちつつ、それを届ける先に存在する他者や社会に対する洞察が重要なのではないでしょうか?

そんな視点も参考にしていただきながら、記述や論述、小論文などへの対策に備えていただければ幸いです。

次の記事では、総合型選抜に“向いている人”と“不向きな人”の違いとは?をテーマにお伝えする予定です。

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