見出し画像

付着.24 投資とアートと値段と価値と。

今回は「ね」だ。

最近、体感していることがある。
世界中に存在する全てのものの価値は、とても流動的で、不安定だということだ。
そんなことは前々からわかっていたつもりだったのだが、実感まで至っていなかったようである。

数百円で買ったボールペンに数万円の万年筆よりも愛着がわくこともれば、数十万円の家電を買って、安かったなぁって思うこともあるのだ。
価値観は人それぞれであり、自分の宝物が他人から見ればゴミかもしれない。
価値とは個人が決めることだ。
そんなこと、わかってるはずだった。

この当たり前に疑問を持ち始めたきっかけは大きく分けて2つ。
まず、友人に誘われて昨年から投資(米株や外貨預金)をしてみたことが1つ。
それともう1つは、絵画やアート、芸術作品について調べ出したことである。

前置きが長くなってしまったが、今日のテーマは「値段」だ。

自分で商売を始める時、値段の決定はとても重要なものである。
拘りや美学、相場やニーズ。譲れないものと妥協点。複雑な迷路を越えてようやく1つの値段を決めるのだ。
そして、この迷路のゴールがスタートでもある。

値段を決めるのは自分。価値を決めるのはお客さん。このバランスが取れて、仕事が出来上がっていくのだと思うのだが、厄介なのは値段と価値がごちゃ混ぜになってしまうことだ。

例えば。
「高ければいいってもんじゃない。」と言い聞かせ、本当に価値のあるものまで遠ざけてしまうこともあれば、デザインに納得がいかない(もしくはその人に似合わない。)のに、ブランドものの新作を買いたがり、値段が高ければ価値があるものだと信じ込んだりしてしまう等。

そもそも。ラムネの瓶のビー玉が宝物だった我々が、果たして本当の価値を見いだすことなどできるのだろうか。
いや、価値の本質とはここにあるはずだ。
自分の宝物は、何であれ宝物なのだ。

値段じゃない。価値と値段は別物である。

熱くなって話がそれたが、そろそろきっかけの話に戻ろうと思う。
先に、投資をしてみて感じたことだ。
秒単位で変動する値段。タイミングで増えたり減ったり。

でもなんだろう。コカ・コーラの株が1日に多少動いても、目の前に置かれたコーラの値段は変わらないし、自分にとっての価値も変わらないし。子供の頃から好きだった「ただのコーラ」だ。
外貨の変動も激しいが、今現在、ここで暮らしている限り、目の前の10000円はやっぱり10000円だ。

こうして値段と数字だけ見ていると、全部に価値を感じなくなった。ってのが正直な感想。
数字を見てるとワクワクするんですって性癖の人にはいいのかもしれないが、俺にはそんな癖ない。

しかし、投資家と言われる人達には笑われるかもしれないのだが、値段と数字を全く見ずに好きだなぁって、価値あるよなぁって思うものに投資するのは楽しかった。
わかりやすく簡単に言えば、今ならファイザーがコロナのワクチンを頑張って研究し、普及が進んでいると思う。問題も山積みだろうし、投資家がこの株を買っているのかもわからない。

ここで重要なのが、価値だ。儲けるとか儲けないとかは関係ない。日夜研究して、世界中を救おうとしている人々に価値があると思えば、俺は投資したいのだ。少しでも研究の助けになれば、もっと早くコロナが落ち着くのではないか。そう考えると「頑張れ!」って気持で投資できるし、ワクチンが完成したときは一緒に喜べるはずだ。
損得勘定もなければ、値段の推移も見ていない。まぁ、クラウドファンディングみたいなものだ。

自分の価値観で、払えるだけ応援したらいい。投資がどうのこうのと本も読んだ。それでも、バカにされても、俺は自分が価値のあると感じるものにお金を払いたい。高い、安いを基準にしたくない。

これが投資をしてみた感想であり、コイツは投資には向かないなと思われていると思うが、それでいいのだ。

そして、ようやくアートの話になる。(今日は長めにすみません。昨日のぬを挽回したくて必死。w)

よくテレビ等で「名画」と言われる作品を見た後に、金額にするとおよそ~億円ですなんて言葉を耳にすると思うが、名画は最初から名画としてのタイトルがあり、数億円なんてサブタイトルは存在しない。発表の必要もないと思う。
感じる人は感じるし、感じない人は感じない。芸術とは、それが逆にいいところではないだろうか。

値段など決めず、価値(作者)VS価値(観覧者)ここに命を感じるのだ。
そして、このVSの一瞬こそが作品の価値なんだとも思う。
それ以上も以下もない。

しかし、世界はそういった命にまで値段を付けていくのだ。
一番解せない謎は値付けの詳細である。
20億円の絵と21億円の絵の、1億の差が不透明すぎる。
車や家なら「あ、このナビとシートで結構金額変わるんですー。」とか「照明と壁紙変えるとだいたいこのくらい値段変わりますね。」とか、理由が明確である。
見積書があるのだから当然だ。

今では人気のフィギュアスケートも昔は実に不透明であり、結局どこが点数の違いかわからなかった。だから自然と見なかったのだが。現在は「これは加点ですね」とか「このジャンプがマイナス」だとか。ずいぶん明確になったことも1つファンが増えた要因だと思っている。

だが、絵画の値段の差ときたら、もう磨りガラスにスノーパウダーかけたぐらい不透明なのだ。
一億の明細、見積書が欲しい。
「この線がもう少し太ければ50000円UPでしたね。」とか「絵の具の材料費がまず、百万円かかってるので、ここは値引きできないすね。」とか。
誰が、どこをどう判断して細かい値段を決定してるのかわからん。謎だ。
1度でいい。専門家の方に詳細な見積もりを出して欲しい。

値段など知らなくても心を奪われる絵画がある。
値段などついていなくてもグッとくる言葉がある。
値段などつける必要もなく、心にスッと入り込む綺麗な景色が日々目の前に沢山ある。
大切なのは心が動くことだ。

いつか自分が書いている文章が、値段をつける必要もない毎日の空の様に、あなたの世界を彩るものになればと願っている。

明日も、明日しかない景色を。
全部味わって、心を動かして。
素敵な1日になりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?