付着11.サヨナラはいつもハッピーセットで。
今回は「さ」である。
noteに引っ越してきて記念すべき1回目のテーマなので真剣に向き合うつもりだ。最後までお付き合い願いたい。
「サヨナラはいつでもハッピーセットで。」
これが今日のテーマだ。終わりは始まりというニュアンスの言葉はよく耳にするが、終わりまたは終わる直前の我々の心境を考えると到底「始まりヤッホー!」と切り替えることは難しいのも事実だと思う。特に、親しい人物との永遠の別れを前にこんなことを口にしていたらただの変態だ。
それでも、全て失おうとも生きていかなければならない。消えたくなる時もある。それでも、生きていかなければならないのだ。
しかし、深く考えてみると「生きていかなければならない。」という感情は誰が決めたものでもないはずなのに、何故心の中に存在するのだろうか。
これこそが我々の命そのものであり、生命の神秘と呼べるものではないのか。
だから思うのだ。サヨナラはいつでもハッピーセットでと。
「ハッピーセット?なんだそれ。」
間違いない。いきなりこんなことを言われても、誰もわからないと思う。
なので、俺なりのハッピーセットについて少し説明したい。
言葉の出どころはご想像どおり、マックまたはマクドで販売されているあれである。主に子供向けの(自分の認識では)ハッピーセットにはオモチャが付属されているのだが、このオモチャをサヨナラには必ずつけようぜという話だ。人間には特別な「オモチャ」がある。それは現在目の前に置かれている「言葉」だ。
一旦話題を変えたい。ここのところ沢山の人達と交流する機会が増えたのだが、多様化する世界の中で最近よく耳にする悩みというのがある。
学校、会社、友人関係、ネット社会等コミュニティーが増えれば増えるほど本来の自分を見失うというものだ。1つ1つの場所に合った仮面を被りコミュニケーションをしていくうちに、仮面を外すことが怖くなり、ついに仮面を外した素顔を忘れてしまうのだ。
さて、ようやくサヨナラとハッピーセットの話になる。
素顔を忘れたとき一番簡単にそれを思い出す方法が、皮肉にもサヨナラだと思うのだ。普段から意地を張ったり肩ひじ張ったり苦笑いばかりの我々が、大切なものを失ったときには涙と共に日々つけている仮面が剥がれ落ちていく。だから、悲しいときには思い切り涙を流してぐちゃぐちゃになった方がいい。人目も気にせずに思い切り泣けばいい。
そこでハッピーセットの登場だ。俺がサヨナラにセットでつけたい言葉が「はじめまして。」である。
「おいおい。それじゃ終わりは始まりだ。」と言ってること一緒じゃないか?と思われるかもしれないが、ニュアンスが違うのだ。
漠然と始まりと言われても何が始まるのか、何を始めるのか自分で見つけなくてはいけない。結果何も始まらない。始まったのかわからないということになる。
これを「はじめまして。」に置き換えることで明確さが生まれ、無理せずに沈んだ心を癒す効果があるのではないかと思う。魔法のように一瞬で、までとは言わないが。
では、ハッピーセットの使い方を詳しく説明してみよう。
俺は普段あまり鏡を見ない。しかし、サヨナラの後は必ず鏡を見るようにしている。(最近になって。)
そして、仮面が剥がれた自分に「はじめまして。」と伝えるのだ。
そこには大概今まで見たことのない自分が映っている。自分は悲しいときこんな顔をしてるんだって初めて知ることができる。それと同時に、素顔の自分も思い出せるはずだ。泣きたいとき思い切り泣けるということは、笑いたいときも思い切り笑えるということでもある。
サヨナラはハッピーセットにすることで、自分本来の姿を思い出すきっかけまでもくれるのだ。
じゃあ逆に、すごく楽しいときに鏡を見ればいいじゃん?とも思うかもしれない。それも間違いではないと思う。でもふとした瞬間に、これが本当の笑顔か?って感じたり疑うことがないとはいいきれない。
涙を流すとき、止まらないときほど疑いがわかない表情はきっとないのだ。
それは産まれたときのあなたの表情だから。笑い方は後から覚えるけど、泣き方は最初から知ってたから。
心の中に隠れていた、ずっと見つけてほしかった幼いあなたへ「はじめまして。」と言おう。ハッピーセットは子供向けのメニューだ。
自分にはじめましてを伝えた後は、大切な人やものがなくなった世界にはじめましてをしよう。
その時無理に何か始める必要はないから。はじめましてだけ伝える。
はじめましてを伝えた後の世界はガラッと変わるはずだ。
なぜなら「あ、この人はここらか始まるんだ」って認識してくれるから。
今までのあなたとまるで別人になろうと驚くこともない。
はじめましてなんだから。
涙を流す程のサヨナラは、生まれ変わる瞬間です。
必ず変わらなければいけないから。
生きていかなければいけないから。
新しいあなたと、新しい世界にはじめましてを。
これだけ伝えたら、ゆっくり時間をかけて立ち上がればいい。
赤ん坊なのだから、歩き方はまた覚えればいい。そうやって少しずつ自分を見つけていくことが、生きるということであり。残された我々の生きる意味なのかもしれない。
あなたは本当に悲しいときどんな顔をしますか?
あなたは本当に楽しいときどんな顔で笑いますか?
嬉しいとき、苦しいときの自分の顔を知っていますか?
知らなければこれから沢山「サヨナラとはじめまして。」をしていこう。
誰かと別れることはできるけど、自分と別れることはできないよ。
苦しいし、悲しいし、消えたくなることも沢山あるけど、そんな自分にハッピーセットを。
命が尽きる最期まであなたと過ごしてくれるあなたのこと、沢山知ってあげよう。
「サヨナラはいつもハッピーセットで。」
今日もありがとう。明日もいい日にしてください。
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