団地平面 2021年9月19日の日記

関西弁のアレでセルフ没にしたアイデア。

団地平面

 その団地は、無限の広さを持った面状の構造物であった。どこを原点としてもそれはここでは全く同じ意味を持つと見做せるので、仮にあなたが住んでいる部屋を(0,0)号室とすると、私が住んでいるのは(1,1)号室であった。ちょうど、斜め上にあたる部屋だ。ベランダに出て少し下に目をやると、一人分の洗濯物を大きなピンチ・ハンガーの隅に干しているあなたの姿が見える。あなたは私やこの無限の団地に住む全ての住人と同じように、同居人に先立たれてしまったのだ。

 あなたと目が合った。私は頬が熱くなるのを感じる。薄い瞼の奥に埋め込まれた二つの瞳はしっとりと濡れ、儚げに西日を弾いていた。
「あぁ、(1,1)さん、こんにちはぁ」
 柔らかく、でもどこかいたずらっぽく語尾が上がるこのイントネーションはこの辺りに特有の方言だ。私も同じイントネーションで「あぁ、元気ぃしてはった?」と応じる。これが私たちの交流形態だ。

 どこからか私たちの声を聞きつけたのか、(1,0)さんがベランダから顔を出した。あなたの上階、私の隣室の人だ。「声、聞こえとったから出てきてもうたわ」と、大きくチャーミングな目で、だけどその奥に隠せない怯えを湛えて私たちの会話に混ざる。どうやら、この夕方の私たちはこの三人で確定のようだ。(0,0)(1,0)(1,1)号室に私たちがいたということは、次の夕方には新たに(1,1)号室の住人が生成される。

 私たちはこうして、なにかのルールに従って生まれては消え、消えては産まれてを繰り返して生活している。それはおそらくはセル・オートマトンと呼ばれる類の離散的計算モデルで、計算機で行えるいかなる計算も演算可能である万能チューリングマシンとしての性質を持つ機構でもある。

 私たちは会話をする。私たちに同族としての意識を与えるこのイントネーションは、グライダー銃などと呼ばれるセル・オートマトン上の構造によって無限の広さを持った団地平面に拡散していく。私たちは会話を重ね、NOT回路などの論理ゲートを構築し、私たちの言葉を保護する。

 私たちは既になにかに先立たれた存在として生成される。論理的にはそんなことはあり得ないとは分かっているものの、そう認識するように産み出される。寂しさを定数に持つ私たちは、斜陽が差し込み、窓枠が床に長い影を落とすようになるころ、示し合わせたかのようにベランダに足を踏み出す。私たちは誰かを求め、そうして私たちの言葉を、私たちのイントネーションで発音し、その結果生まれる私たちによって、どこまで続いているのかもわからないこの団地の上を、ただ仕組みとして拡散させていく。

 次の夕方には、(0,0)号室のあなたは死に、その次の夕方には(1,1)号室の私も死ぬ。それを知りながら、私たちは日が落ちてしまうまでベランダでたわいもないことを語り合う。私たちはボトルメールにおける手紙でもあり、ボトルでもあり、波そのものでもあるのだ。

某アンソロジーで没にしたアイデアですがちょっと気に入っていたので1000字ほどの掌編にしてみました。日記ではないな。

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