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小説家の宇野碧のnoteを見つけた方へ。

こんにちは。小説家の宇野碧と申します。
人と人の根源的な「わかりあえない」をヒップホップ×親子で紐解いた小説『レペゼン母』でデビューした者です。

未読の方はこちらをどうぞ


何のために書くのか。
それはもちろん、届けたいから。物語を通じて、伝わってほしいものがあるから。私にとっての小説や依頼を受けて書くエッセイは、メッセージを多くの人に届けるための方法です。

だけど一方で、
小説という器には入らないもの、
とてつもなく個人的だけどその向こうに知らない誰かにつながる気配があるもの……
そんな言葉を置く場所も欲しいと思い、noteに書き始めることにしました。

言葉は、私にとって自分のこどものようなもの。
大切なこどもたちが暮らす場所は、安全であってほしいと思います。
たとえるならXなどのSNSで発言することは、私にとっては無数の人間が行き来する渋谷の交差点で街頭演説をするようなもの。
そういう場で生き残れる、丈夫な言葉たちを無数に放てる人はすごいと思うけれど、私の言葉はそういう場には適していないので、SNSはやりません。
対比すると、noteは整備された住宅街やシェアハウスのようなものだと思います。この場で、単なる通行人ではなくちゃんとドアをノックして入ってくれる少人数の人に話しかけたい。
そんな想いで、定期マガジン「シェアハウス碧」を始めました。

無数の人と情報が瞬時に目に入ってきて、めまぐるしく流れている場所が本質的に苦手です。
たぶん脳がこの時代に即していないのだと思う。

いつもひそやかな声で発される「ほんとうのこと」は、そういう場所では誰にも聞き取れなかったり、かき消されたりする。
だから大声を張り上げたり、瞬時に注目されることを言わんとする態度を学習してしまうし、ある種の「鈍さ」を纏わざるをえなくなってしまう。

インターネット上でもそうだし、現実の場でもそうだと感じています。
「ほんとうのこと」を内包した言葉がうまれる場と時と条件は、めったに揃うものではないな、と。

「ほんとうのこと」とは何なんだと訊かれると、とても説明が難しい。
正否とか本音と建て前というものではない。
まじりけのないもの、身体で納得するようなもの、見え方や捉え方は個人で違っても、実は根底を流れる普遍的なこと。
うんこの話でも宇宙の話でも、等しく「ほんとうのこと」を内包できるものだと思っています。

定期マガジン【シェアハウス碧】は、同じ家の住人に話すトーンの「ほんとうのこと」を書いた個人的な言葉を住まわせる場にしていきます。


【わたしにとってのシェアハウスのこと】

20代の頃、女子専用のシェアアパートに住んでいた。

家賃は2万円くらいで、キッチンとトイレは各階、お風呂は全アパート共有だった。
隣の部屋にはとび職の女の子が住んでいて、「高いところが好きだから現場が好き」というその子に、屋上の4メートルくらいある給水塔への登り方を教えてもらった。

向かいの部屋に住んでいる大学生の子は、調理道具をフライパンひとつしか持っていなくて、魚を焼いたあとのフライパンでお茶を沸かしながら
「お茶に変な油が浮いてイヤです」
とか言っていた。
「じゃあヤカン買ったらええやん」と言えなかったのは私もその時ヤカンなんて高価なものを買えなかったからで、給料日前にお米を借りて給料が入ったら一合おまけして返すというような貸し借りをしていた。

共有のブックラックに偶然読みたかった本を見つけ「運命!」と狂喜したり、出入り口の鍵をなくして「お~~い誰か開けてくださ~~い」と外で大声で叫んだりしていた。

バンドをやっている子が屋上でひらいたパーティーに呼ばれて、弾き語りの「ブラックバード」が夜風にただよい、近くの神社の木立まで流れていくのを見ていた記憶は、ビートルズを聴くたびに思い出す。
そうやってたまに屋上で開催される飲み会には、アパートのOBの子も来たりして、ここにいることも卒業することもどっちも自由で、生きるって素敵だなあとしみじみ思った。

住人何人かで近くのお寺に座禅を組みに行ったものの足がしびれて辛くて、「もう悟り開いたんで帰ります」と言いたくなったりした。

クリスマスには、大家さんが全員の部屋のドアノブにプレゼントをかけてくれていた。

たまに屋上に寝転がって空を見た。
そして、この背中の下ではそれぞれに芯を持った女の子たちが日々楽しいことも悲しいこともサクサクこなしながら生活をしていると思うとしみじみと嬉しくて、心強さに背筋がのびるような心地がした。

道ですれ違う人みんなに「愛しています」と言いたいくらい、だいたい毎日、しあわせを感じていた。

いつか自分も、こんな場や空間をどこかにつくりたいと思った。

家、ハウスには人生のすべてがある。
食べること、寝ること、愛し合うこと、創ること、育てること。
わたしが見つけたそれらをシェアする、
いつ入っても出ていっても自由な場所。

滞在していると、身体の風通しがよくなって、
また軽やかに生きていけるようになる。

ここがそんな【シェアハウス】であればいいなと、思います。



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