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畑に広がるMoon River

 八月も終わりの、サトウキビ畑である。植付け用の苗を取るためにほぼ刈られた後なので、さんざん開けている。枯れた葉っぱが土を覆い、まだ太陽に気付かれない辛うじた一角にしゃがんでいる体を、陽射しがそろそろ狙っている気配がある。母とおばあと私と。ずっと向こうの、太陽が咲かせた光の花の真ん中で体を焼かれて鎌を振るっているのは父と手伝いに来た小父さんで、これを遠くから見てはさっきから文句が絶えない母なのであった。
「見てごらん。わざわざあんな、暑さに腐れて。あああ。」
 母が苗切りを使って三十センチ程の長さに切っていくキビ苗を、横で肥料袋に詰めていたおばあがふいと顔を上げて白内障の目を細める。すぐまた作業に戻る。おばあは裸足で、産毛のようだが実はしぶといキビの棘もものともしないしわくちゃの手に軍手の用はないものである。私はふんふん、と鼻だけで笑って母の気持ちを受け止め散らす。風が、空のどこかにぶら下がっているらしい。怠けているのだ――それにしても微風くらい……と、ぽかんと開いた口の中へ母の甲高いが投げ込まれた。
「はいーっ!」
 ひさし手に顎を上げ、その顎で父と、自分の斜め後ろのフクギにもたせかけたナイロン製の細長いものとを交互に指すのはテントを張れと言うのである。父は明らかに意味の取れない振りをした。
「あのフリムヌ。」これは母の悪態である。
もう一人、「わざわざあんな、暑さに腐れて」いる小父さんの困った微笑が陽射しの花の中でアラブ人のようである。十時のサイレンが鳴った。小父さんは十時のアラブ人となり、遠い所でひょおいひょおいと手を招くのである。後ろの家の塀に張り付く影のようだがむろん蜃気楼ではない。私は膝を伸ばし、テントの入ったバッグを持って、疲労と暑さのために気怠い体と心には途方もないその距離を、ずりずりと十時のアラブ人に近づいて行った。
「ごめんねー小父さん。」
「いいよ、簡単だから。どれ持っておいで。」
で、これはこう。これはこう。と、私がもたつく間にも小柄な体は割りにテキパキ動き、ほとんど一人で組み立ててしまうでのあった。
「おじさんありがとう。」
「あいよー。」
笑う口元は前歯が欠けて顔立ちは彫りが深く、近くで見ると何のことはない、純然たる島人の顔なのであった。
どことなく決まり悪そうにしていた父はひとりで休憩と決めつけてしまうと誰よりも先にテントの日陰にちょこんと腰をおろすのを母が遠くで見つけてニヤニヤしている。
「あれを見てごらん。」
 母の横でおばあと同じ作業に戻っていた私はふんふんと鼻だけで笑い、母の気持ちを受け止め広げる。
「どれ。じゃあみんな休憩にしよう。」
どこか誇らしげに短い脚を枯れた葉の中に突っ込み突っ込み歩いて行ったが、あれで父を遣りこめる気であろうか。
 おばあの膝に太陽がちょろちょろ触手を伸ばし始めていた。
「おばあ、太陽が寄って来たよ。休憩って。テントに行こう。」
「おばあなんかは太陽の子どもだから。おばあは太陽をばこわくないよ。」
 私はふうんと笑って、「だけど水も飲まんとさ。」
 おばあはヨイヨイと腰を叩き、「じゃあはいあんたも行こうか。」
 私は十時には引き上げるつもりで来たのであった。
「もう少しやってから、自分は帰らないといけないから。」
「ええ。はい行こう行こう。」
 腰を曲げて歩きだすおばあの耳は時々アメリカ辺りに行ってしまうのである。
 菓子パンや何かを缶ジュースで流し込み談笑する日陰の大人たちは、アラブもアメリカも南の島も飛び越えて、はるかかなた御伽の国の一場面のようである。
 ――おいでぇ……。
遥かなる陽射しを越えて呼ぶ声は実際の距離以上に遠い。これに、「来るよぅ。」と返しながらも容易に立ちあがろうとしないのは、真面目に働く振りをして実はおもしろくなってきた袋詰めの作業を中断したくないだけの勝手であって詰め終わればまだ長いまま寝ているのも母の来ぬ間に苗切りを使って切るつもりでいる。面白くなって来たので仕方がないのであるが、休憩している御伽の国の人々を僅かに憎々しくも思い出すのもまたこちらの勝手なのであって、こういうところ私は父似なのであろう――風が不器用に流れた。
――あんまり長くは切らんよぉ。
御伽の国からの声が揺らめく。その辺に切り散らしてあった中から出来るだけ短いのを掲げて見せると、まぁギリギリ良いであろうというような母の仕草であった。もう少し短く切るようにしよう。
と、行き過ぎるかと見えた軽トラックのドアがバタンと鳴って、俳優が降りて来た。
「休憩なー?」
「そうよあんたも来て座れ。」と母。
「この暑いのに。おばあだってあんまり働いたらダメさあ。」
藍色の長袖シャツをてらてらさせて畑に入って来た六十手前の俳優は、三十年以上も前に島に帰って以来ほとんど仕事というものをした試しがないのである。島の生活とはかけ離れた服に袖を通し、悪びれもせずそのような発言をする彼を俳優の渾名で呼ぶ時、島人の頭にはそれぞれなりの思惑が浮かぶであろう。母などは、俳優のことを初めて私に話して聞かせた時、如何にも面白がる風な口調であったが。
それにしても背が低く猪首で団子鼻、職業としての俳優であれば良く言って味のある脇役というところで、これはまた非常に重要な役割には違いないのである。
「あれはして、どこのねぇねぇか。」
 しかし我が人生では間違いなく主役の座に居座る俳優は観客の気持ちを知らないのであろうか。そんな事を言うもので私の昼間の夢は掻き消えてしまうのであった――御伽の国に、自分自身が入り込んでしまったらもうそこは御伽の国ではなくなるものではなかろうか。
「バンたが次女よ。」と父。これはどことなく素っ気ない態度のようである。
「あいな? 覆面しているから誰か分からんさ。はいねぇねぇおいではいー。なんで一人で働いているかあ。」
 私は日除け用の覆面の下でへらりと笑顔をつくり、軍手をはめた手を上げて、自分でも何の意味か分からない仕草を送って寄こした。おばあと、遠目にはやはりアラブ人の小父さんがこっちを見、母が何か俳優に言っているようである。私は下を向き、黙々と作業を進めながらそういえば、心に何か悩みとも言えないわだかまりがあったようなのを思い出し始めているのであった。思えばこれは小さな頃から持ちこしているごくごく小さな、けれどそのために却って縁の切れないお友達のような感覚なのであって、いつの間にか、私のいのちとくっついてしまったかのような厄介なわだかまりなのである。
 途端に、苗切りの刃が、どうも筋の悪い箇所を挟み込んだらしくキビがギリギリギリと抵抗し、無理やり持ち手を抑えつけると「ギュッ」という虫の死ぬみたいな気味悪い音にようやくのこと二つに切れた。嫌な感触である。さっき振ったのは赤い軍手であった。私はまだ白旗を振らない。しかしこんなふうにまるで生き物らしき抵抗を受けてしまうと、自分が何か取り返しのつかないことをしてしまったような気に、どんどん追い込まれてしまう。それで却って次々断首台に乗せ、力任せにどんどん刃を押し付けるのだが、勢いづくごとさっきの「ギャッ」(実際は「ギュッ」であった――私はこれを頭の中でちっぽけな生き物の死に間際の、存外間の抜けた叫びに変換していたものである)感触を手がしっかりと覚えていて、傍に積み重ねてあるのが生き物の傷ついた体のように想像されてしまうのであった。赤い軍手は血に染まった白旗であろうか……と、すると、これはいったい誰の血であろう? そのような非生産的な思考に、不謹慎な私の心はときめき始めているのであった。その時。
――ざんざんざん……ざんざんざん…… と、熱い風を小気味よく切り分け胸の中を転がる音があった。
――むぅぅうーん りばああ~ わ~あいだーざな ま~あいるぅ……
 いつの間に車から取り出して来たものか、俳優がアコースティックギターを奏でているのであった。
――あぁいむ くろーおすぃんゆういんすたーあいる
 へたくそな歌である。が、意外にも伴奏のほうはなかなかで、面白いことにはそう、風が、流れるのであった。よもや俳優のギターが風を起こすのでもなかろうが、たまたま流れ来る風を、ギターの音はざんざんざん……と、無理なく、歯切れよく、間違いもなく刻んでゆくのである。それはまるで台所のまな板の上であおあおとした葱が、間違いのないリズムで刻まれていくかのように快い。
――さむで~……
 キビの葉の、痛い程乾いたじゅうたんを太陽が照らし、その上へテントが影を落とし、低く渡る風を俳優のギターとヘタクソな歌声が追いかける。十時過ぎのアラブ人が煙草の煙をくゆらせ、
「じょうずがまだねぇ。」
 おばあが、ほっほっ、と口をつぼませて、俳優のギターと歌声はどうやらアメリカの耳にも届く様子である。
――おう。どぅりぃーむ めいかあ。ゆう はあとぅ ぶれいかあ
 それにしても歌がまずかった。御伽の国の光景にもおかしみがこみ上げて来、思わず笑いかけた時、
「んじ。貸しぃみーる。」
 横からにゅっと伸びた腕が半ばひったくるようにギターを奪い、父が、それを抱き込むように首を垂れて肩を丸め、意外にもそれを爪弾き始めるのであった。
――ぴよんぴよんぴよんぴよんぴよんぴよん~……
 何と哀しげな調べであろうか。『禁じられた遊び』を奏でる父は、弦をよく見るためではあろうがどんどん首を垂れ、肩を丸めて小さく小さくなりながら、一音いちおん大層りちぎな音をいっしょけんめい弾(はじ)き出すのであった。
――ぴよんぴよんぴよんぴよんぴよん……
 その哀しげな調べにつれ、おかしみの質が、私の中でことわりなしに変わっていくのであった。向こうからやって来るのではない、胸の奥からくつくつと、湧き上がるこのどうにも抑えられないものは何であろうか。
「ヒィッ!」
突然、悲鳴と聞き間違うばかりのするどい音の矢が御伽の国から一本放たれ、驚いて矢元を辿れば顔を真っ赤にした母がぶるぶると震えているのであった。
――ここはやはり笑っていいのだ。
それは許可を得るというより確認であった。しかし覆面の下で私の口は既ににたあと横に広がっていることを私は発見し、それはおかしみにまたざわめくような色付けをするものであった。母の形相にちょっと呆れた様子の俳優が、
「うとぅるす。」と、半ば本気で怖がっている。無理もない。母はひどい引き笑いで、それは見ていて血管が切れるのじゃないかと心配になるほど尋常でない様子なのだ。しかし、肉親にしか分からないおかしみというのがあるものである――父がギターを弾けるという事実、その曲が何故『禁じられた遊び』なのか――この哀しい調べを爪弾く様が如何にも物事を深刻にとらえがちな父に相応しく、哀れで、これら全部をひっくるめた滑稽が、母の中から震えるほどの笑いを突き上がらせるのである。しかしながらそれはまた、その前に俳優が弾いたMoon Riverの軽やかな響きによって一層おかしいのだというのに、当の本人はぽかんとするばかりでそれがまた母や私にはおかしいのである。おばあが、
「これもじょうずがまさぁ。」
 顎をあげてほっほっと笑う。気の良いアラブ人の小父さんはにこにこし、これらは私などにはなかなかしきれない、二人ともどこまでも純粋な笑顔なのであった。父が顔を上げて、
「また人を馬鹿にして。ああ、ならん」
 と、母を咎め始めた。
「あれもっと弾けはい。」
「んまぁ。」父はへそを曲げてしまった。
 そこはもう御伽の国ではなくなってしまった。私の心の中のわだかまりもそのままに、しかし私は腕の疲れを諦めるが如くひとまずそのまま受け入れると立ちあがってテントの方へ歩いて行った。キビの枯れ葉が足に絡まるが、小さなころからのお友達とともに全部ひきつれて行くことにする。
「うや。ねぇねぇがまも来るさ。おいでおいで。あんまり働き過ぎたらだめよぉ。」
 さらさらと、風の如く流れるのは俳優のだみ声である。

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