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アオサギ

明け方の空、東北東よりはすこし西よりの一角、夜の列車でいえばそう、ちょうど十一区分目にあたる箇所に、青紫色のひかりの端が引っかかっていたのである。アオサギの静かが言ったのだ。
 彼はその鋭い嘴より実はずっと注意されるべき底光りのする眼の下瞼をくっと持ち上げた。「だからいましばらくは朝が遅れるのだろう」
 微妙な曲線をえがく、細く長い首を持った静かはしかし誰に向けてこのことばを吐いたのであったか。青紫色の到着を待ってまごついている光の群れに? 彼の足元で昨日の雨のためにかえってかさを減じた川の水に? あるいは静か自身に……
 いずれそれは静かがその格好の良い脚をちゃぷと水から引き抜いた、その一刹那の何分の一かの出来事であったから、ことばが忘れ去られる頃には十一区分目にひっかかっていた青紫色のひかりの坊やはちゃんと到着していたばかりか、堰き止められていた光たちがあとからくるとめどもないものに押し流されて、朝はいつの間にか最初の瞬間をまたいでいた。静かはその鋭い眼をいよいよくっくっと細め、浅い水底のきらめきの中に姿をくらまそうとする銀色のうろこをものにしようと狙っている――静かの灰色の眼。静かのしなう首。片一方を持ち上げたまま、時が止まってしまったかのような静かの脚。その姿はまるで東北東の少し西よりの空、夜の列車のちょうど十一区分目あたりにひっかかっていた、今はかなたの青紫色の光のぼうやの愉しげな悲鳴をじっと聞き澄ますかのようであった。
 それにまたその姿はだんぜん、私たちにこの時、朝の他にもまたがれたものがあったのだということをはっきりと悟らせる。私たちは例えば静かの首のように微妙な曲線を描くあるものを知っていて、それはさて、飛び越えられたら最後、私たちは魂をとられてしまうというのであった……。
 その生き物は空白の脚を持っている。静か自身はその生き物のことを、同じアオサギのセンニンから聞いたのだった。センニンは静かのように川ではなくて、池を餌場にしている。それは人工のふたつ池であり、寝床はいずれかの池の端の藪の中である。それはきっとその時どきのセンニンの気分によって変わるのであろう。濁った水の底には巨大な人工物が隠されているという噂であった。
彼の脚はすっくと伸ばされているようなことはあまりなくて、たいていの場合センニンは水面の遥か上空、ごくごく細(こま)い枝葉の先に、重さの関係を無視したひとつの毛筆になってぶら下がっている。毛筆の奥からふしぎなひとつ眼が水面の上へ霧を投げかける。ひかり達がやって来て、悲鳴をあげながら薄ぼけた霧を散らしてしまうと段々に朝になるというしくみ。するとそこを動かなかったはずのセンニンの筆のからだが、いつの間にか藪のさやかの中にかき消えてしまうのである。
 私たちは置き去りにされてしまった。しかしなにがしかのものは残っている。そう。つまりはそういうことで、ぽぉんとひととび、私たちは空白の脚を見上げて、ぽかんと開いた暗い口の洞穴の中に、かつてそこにあったハズの、白い白い、小さな脚を持っているのだ。ひとりがひとつずつの、白い白い脚だ。
 あるとき私はその小さな脚を、永遠に保持しようと決心をしたのだった。そこで私は私の住んでいた島の、とある老婆に神(かん)ニガイをお願いしたのである。老婆はむろん神掛かりであった。灰色の頭髪をつむじのあたりでひとつ団子にし、線香の灰のつもりにつもった軽いアルミのボウルだの、その灰の上に突きさした幾百ものお線香だの、そのお線香のあかあかと燃えた先端などを前にして、私には聞きとれはしても定かでない、言葉とも、歌とも、呪文ともつかないものを、奇妙な節回しで長いこと唱えていたが、まったく唐突にその行為を投げやってしまうと、身体ごと振り返り、つい一日前に白内障の手術を受けたのだという眼を私のほうへ向けてきた。片膝を立てて座って居た畳を擦ってお尻の位置をずらしたとき、折りたたまれたほうの脚の脇でヤモリのフンが干からびたような虫の死骸が転がったけれど、彼女は気にも留めなかった。
私には彼女のいう言葉の三分の一も理解ができなかった。それでも、彼女が節くれだった指でしきりにむしろの上のボウルの中の灰に突き刺さったお線香の先端のあかあかしたところを指すので――なかばそれへ覆いかぶさるように、私は身体を曲げて見たのである。神がかりのひとはまた何か言った。私にはその四分の一も理解ができなかった。私はまず「うん」と頷いてみせたが、老婆は満足できないふうで歯の隙間から吐き出す息とともにまくしたてるような素振りで言葉(おそらくは、言葉)を重ねた。老婆の小さな眼は深海の生物のそれのように不思議な色味の膜をおろしていた。その眼にじっと見据えられた私はある瞬間に深海のものをみる膜の向こうにひとつらなりの閃光をみとめた。夜の闇、冷たい空気をきって駆け抜ける、少年たちのスケートボード。角を曲がって見えなくなった彼らの軌跡がここへつながっていた――それは昨晩のことであった。私の借りている部屋の下は夜間車通りのほとんどない小路になっており、アパートはちょうどその通りがT字をつくる角のところにたっている。Tの字の、横になった一面がとある鍋屋の駐車場と接しているので、そこは奇妙な具合に広くなって見えるのだが、そこを、スケートボードの少年たちは、アスファルトをがぁがぁいわせて大きく曲がって行ったのだ。寒さもいとわず私は窓を開けて見下ろしたのだが、少年たちはもうとっくに角を曲がって一本向こうの通りに入るところで私は彼らの姿をその爪先ほども見はしなかった。夜も更けた頃だ。冷たい空気の中に街灯のぼんぼりは冴えて、私は彼らが四人の少年でスケートボードを駆って私の部屋の窓の下の通りを抜けていったのだということをなぜか知っていて、それは疑いようのないことだった。彼らの腕にはりついたヒヤリとつめたい服の生地。
つめたい生地の感触を私自身の腕のうえに思い出しながら、いつか私は私にも意味の分からない言葉を神妙そうに口にしていた。すると今度は老婆のほうでも納得してくれたようで、そのことはお線香の束の先端でかっかと燃えていたものが不意に収束に向かってふぅぅと息をついたことでも分かった。
 スケートボードの少年たちが冷たい夜の空気を切ってがぁがぁ馳せると老婆の口から出る言葉がのみこめるようになることもあるのだと、私はこのときはじめて知った。そのしわがれた声にのせてながれでる言葉の、ひとつひとつの意味をつなげるまでもなく、老婆は十数年前、その島で開催されたトライアスロン大会のことを話していたのであった――これは毎年恒例の大会であったが、あんなことがあったのはその年が「最初で最後」であったという。
 その年、島のトライアスロン協会は大いに発憤をして、海外からとある有名選手を呼びよせていた。オーストラリアの「何(な)うがら」という人でトレードマークとして赤い巻き毛の頭にほんものの獣の角を乗せた大男であった。大会当日は文句なしの晴天。ピストルの合図が四月の砂浜に鳴りわたると、赤毛の角男とその他の有力選手たちから成る先頭集団を皮切りに参加者たちは一挙に海へとなだれこむ変幻自在な一個の塊であった。むろん、塊のひとつびとつを仔細に観察すればそこにはそれぞれの物語がたとえば虹色に輝くゴーグルのあぶらのような光の中に垣間見えた筈だ。しかしそこに焦点をあてていては私は再び老婆の言語をこえた世界から見放されてしまうであろう。
大会執行委員の面々は塊からは少し離れたところの砂に張ったテントの下でオリオンビールを飲んでいた。競技ははじまったばかりだが、空き缶は既に後ろのゴミ袋を三袋からいっぱいにしていた。時を同じくしてゴール地点の競技場では今なおボランティアの人たちの手で完走者の頭に乗せるための花輪が編まれているはずであったがそこにはそんなにたくさんのビールの缶はなくてそれはボランティア要員の大半が中学生や高校生で構成されていたからである。ともかく、海外招致の角男といえどスタートから数時間はぜんぜんゴールをする気遣いもなかったから花輪を作る時間はまだまだたっぷりあったので、空はあおく海は凪いで、ビールはおいしく咽喉をすべり、トライアスロン大会はこのうえない快調な出だしを切ったのである。そして空と砂浜の間を透明なものが馳せて行く――それは風とも思われなかった。誰も気が付かぬうちに、それは飛び越えていったのである。本物の獣の角をかぶった「何うがら」氏の頭も他の有力選手たちのそれにまじってぷかりと水の上に浮いたまま、その周りで水しぶきも上がらなかった。その後ろからなだれ込んで来ていた人々の動きも止まった。テントの下では幾つもの赤い顔が同じ方向に首を傾げた。そのテントはすばらしく背の高い椰子の木のそばに立っていた。真っ直ぐに伸びた幹の先で椰子の葉が時間をおいてそよりと揺れた。
すぐさま救急隊員たちが出動せられた。執行委員たちの動きはめざましく、太く短い毛むくじゃらの指はそういった場合の指示を出すのに的確な方向を指したのであるから出される指示はきっと的確であった。
「酔っぱらっていたのにね?」私はおもわず口を差し挟んだ。
「酔っぱらっていたからさあ」と、老婆は言った。
 オリオンビールの効果のほかに、角男の「何うがら」氏に対する見栄として、いつにも増して厳重な警備と救急の要員を確保していたことが功を奏した。奇跡的にひとりの死人も出さずに済んだのである。それが起きたのがスタート直後であったというのも幸いしたわけだが、おかげでスタート直後に大会は中止となってしまったので果たしてこの大会は開催されたのであろうかという疑問はのちのちまで残ることとなる。
救助された数百人のアスリートたち(後方に配置された一般の参加者たちは幸運にもまたがれなかったのだ……)に外傷はなく、彼らはただ口をぽかんとあけて、眼を見開いたまま、気を失っているように見えた。島の人間ならばこんな時に医者が何の役にも立たないことはよく知っている。すぐさま神ニガイのおばあたちが呼び集められた。ニガイは三日三晩ぶっ続けに続けられ、四日目の朝日が少し遅れていることにいち早く感づいた神がかり連の長的存在、ミヨおばあが首を傾げて海の果てを睨みつけた時、遅れていたものが一時に押し寄せるスピードで朝がきた。晴れ渡った光の中で参加者全員に魂(たます)が戻って来たのだった。みんなはわあっと歓声をあげ、老婆たちは痛む腰をおさえ、膝をかばって「あがえ、あがえ」と起ちあがった。はるばるオーストラリアからやってきた角男「何うがら」氏も無事彼の魂を取り戻し、焦点の戻った眼には東洋の小島の不思議な海の色があざやかに映っていた。彼は彼の母国語で老婆たちに礼を言い、ミヨおばあは、そのかぶりものは今後止すがよかろう。少なくとも作り物に替えるがよいとの助言をした。ミヨおばあは英語が出来たのである。角男は角飾りを手に取り、何だか赤い顔をしてしばらくこれをもてあそんでいたが、やがて神妙な面持ちで ”Oh.”と呟いた。彼はこのすばらしい島に呼んでくれたことと、魂を取り戻してくれたことへの礼として、島の特産品である乳酸菌飲料のCMに出演してくれることとなったが、テレビ画面の向こうで乳酸菌飲料のパックを手に持ち笑う彼の頭に冠されていたのはむろん偽の獣の角であった。
しかし彼が帰国して一週間かそこらが経ったころである。何人かの参加者の様子がどうもおかしいという噂が持ちあがった。彼ら彼女らはたしかに正気にかえっているのだが、それが大会前の彼ら彼女らの性質とどこか違っているという家族、知人からの声であった。その者らが一堂に会せられたとき、ミヨおばあは苦々し気に「あっがえー」と言った。他の神ニガイのおばあの中でも何人かが気が付いてそちこちで同じような声が聞かれた。つまりは一度とられた魂が、三日三晩の祈祷の末にようやく棲家に戻ったものの、中に誤った持ち主のところへ帰ったのがいるというのであった。実はこれは単に抜け出た魂を戻すことよりずっと何倍もやっかいな話で、何かの理由で抜け出てしまったものを戻すことは出来ても、その逆の、抜く、という作業は彼女たちの力をもってしてもいかんともしがたいのである。自然というのはときたまそういうことをやる。老婆たちは目配せをし合った。つまるところその人達はそのままにしておくより他なかったのである。
「運良くまた片脚ピンザに飛び越えられれば」神がかり老婆たちの一人がうっかりそういう意味の言葉を呟いたのを誰か耳にした者があっただろうか。……
「じゃあその人なんかはもうどうなっているわけ?」
「あっれ、おばあが知るか。おばあの前にはまだ誰も来ない」
 誰も再び魂をとられた者はなかったのであろう。大会の参加者は大半が島外の人間であった。幾人かは間違った魂を持ったまま飛行機にのっていってしまったのであろうか。その中には本来は島の人間のものであった魂もあったかも知れない。島の魂は海を越え、異土でどのように住まっているのか。ああそれにしても十数年、間違った魂を持ち続けているというのはどういうことであろう。年月と、またおそらくは諦めとともに、周りのにんげんは慣れていくこともあるかも知れない。しかし本人は? 魂のちがってしまったそのひとにとって本物の魂とは何だろう。……
 私はミヨおばあの顔をじっと見た。つい昨日白内障の手術をしたばかりの眼はもうなにもものがたろうとしない。私はそれほどまでに怯えた顔をしていたのだろうか、ミヨおばあはだんだん口の端をもたげていってしまいにニイーと笑った。上の歯が一本歯抜けで、その向こうに果てしもない暗闇がうかがえた。なるほど、このひとは咽喉の奥に片脚ピンザの脚を隠し持っているのに違いない……。金盥に積もった灰が不気味な相をみせたとたん、ほろりと上から崩れてくるものがあった。
そしていちまいのうすい硬貨のように、銀色は水の中で細かく砕け散る。静かは持ち上げていた片脚を水の中に差し入れた。辺りはいつの間にか朝の一時期を過ぎていた。くっくっと持ち上げられていた下瞼の眼には今は心なしかおだやかな色味が灯っている。静かが息を吸うと静かの胴体がふうと膨らんだ。静かの小さな頭。静かのしなう首。見えない手が幾筋もの灰色の筆をおいたような静かの羽。美しい胴体にはあたたかな中身がつまっている。そして静かの静かな脚。それは空白の、ヤギの片脚であった。池の端ではセンニンが静かに眠っている。

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