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山羊の脚

 私の中に一本の獣の脚がある。これはだいたい人間の大人の肘から指先程の長さのもので、一方の端のかなり大きな扇状の膨らみから中ほどへかけて徐々に細くなり、もう一端の蹄へ向かってまた僅かずつ太さを増している、その滑らかで微妙な曲線に沿って白い、銀びかりのする毛皮がぴったりと張り付いている。律儀にも、毛のいっぽんいっぽんが薄い影を落として、これはいかにも静かな様(さま)だ。木目のある机の上にいつからともなくあるのだが、私はそれがそこへ置かれた時のごとっ、という音を骨っぽいにおいとともに頭の中へ蘇らすことができる。
 置かれた、と言った。でも実のところそれが置かれたのか、それともそれはただそこにあったのか、これは誰にも分からない。それをそこへ置いた誰かがいたのか、ということだ。私はただその脚の姿と音とにおいとを知っている。
 私はまたそれがある場所もよく知っている。それは子どもの頃住んでいた家の一室なのだ。西日のたまった六畳間。部屋は不要品にほとんど埋め尽くされていて物置と言っていいくらいのものだ。左の壁際に、もう随分前に使われなくなった、機械を内部に仕舞えるミシン台がある。同じ壁に寄せて、奥の方にはアルミ製の、部屋の大きさに見合わないガラス戸のついた鉄製の巨大な書棚が置いてある。その、見えている面は一面まだら模様の錆に覆われている。書棚の中の『ブリタニカ百科事典』十数冊。部屋の中央にはバネと中綿の飛び出した二人掛けのソファ(ベロア調の生地はベージュ地に臙脂と深みどりのストライプ柄だ)。これと向かい合って、入口のある壁際には、黒くて、これもばかに大きなステレオセット。それを半円で囲うように積まれた大量のカセットやビデオテープには薄緑や白の黴が生えて。あらゆる隙間や空間には埃と蜘蛛の巣が渡り、あつくこもった光の中で無数の埃が舞っている。
 脚はこの部屋の一番奥、『ブリタニカ』の書棚と少しの間をとって置かれた机の上に乗っている。机は書棚に向いていて、右側の壁には縦に長い磨り硝子の窓がある。窓はもう長い事開けられたことがなくて、陽は毎日そこから射しこんで出て行くことがない。光が古くなるなどということが果してあるだろうか。少なくとも、そこでは今でも毎日それが行われているような気がする――新しいものが入って来ても、死や消滅を知らないのだ。
 それにしても何故そこに獣の脚なんかあるのだろう。私は眉間に皺を寄せ、首を傾げる。髪の毛をいっぽん、人差し指と親指の間に挟んで根元から毛先へ向けてなぞってみる。まばたきをして、手のひらを握ったり開いたりする。私はたしかにそれをした。眉根の間の筋肉が収縮するのを感じたし、指の腹は髪の毛の表面の細かな凹凸をなぞった。手の平や指の関節にはちゃんと皺がある。しかしどういうのであろう、眉間や、髪の毛や、手の皺や、私のあらゆるところに宿っているはずの、その獣の脚のある風景の来し方がまるではっきりしてこないというのは。それでも頭の中に蘇るにつけ、山羊の脚はいよいよ冴え冴えとしてくるのだ。無尽蔵な光の中にあって、それだけまだ白光まで宿して。

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