みち

親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。

はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪

みち
「道」「未知」「三知」「満ち」「路」「充ち」「途」「迪」…
日本語には同じ読み方なのに意味が違う言葉がたくさんあります。
不思議なことに、どれもどこか繋がっていて、まるっきり違うとも言い切れない。そんな不思議な関係性があるようにおもうのです。

「おやこのみち」とは親子が共に過ごした時間だったり、親子の関係性だったり、共にした行動だったり、わりと振り返る感じの感覚で思っていましたが、それだけでなくて、未来を見た道もあっていいのではないかと。
それはパターンというか、型というのか、流れというのか。

例えば、「一つの種から双葉が出て、本葉が出て、どんどん葉っぱを増やし、やがて花が咲いて、実がついて、新しい種を落とす」というように、人にも共通した成長リズムがあると思うのです。その流れを意識すると、今までは見えなかった未来への道が見える気がするのです。

沢山の先人たちが通った道は太く、イメージがしやすい気がします。イメージ材料には、体験談や経験談、映画やドラマや物語、You Tube、ブログ等沢山ありますね。ですが親子の数だけ道はあって、同じ道は一つもなくて、似た道からヒントを得てすすんでいくのかな…?

子育てに正解はなくて、子供が育つのと同時に、子育てを通じて親としての個もまた同様に育つ。1個1個の出来事の積み重ねで個人としての個性が形づくられていく。
それは、常に変化していくのだと思うのです。
新しい価値観に出逢うたびに…。

そしてそれこそが「みち」。
何を見て、何を感じて、何を選んで、誰と一緒に、どこに向かって…。
誰でも、見たい景色を選ぶことができる。行きたいところに行くことができる。その可能性だけは平等に持っている。私は、そう信じています。

何かをやってみようと思うとき、「できない理由」と「できる理由」が用意されていて。どっちに目を向けて採用するかで結果が決まると思うのです。

どちらの先にもちゃんと道は繋がっている。そしてどちらの道も必要な経験をもたらしてくれる。人の数だけ道はある。
そこに優劣は存在しない。
全てがオリジナル、同じ道は存在しないから。

私は、私のみちを進み
あなたは、あなたのみちを進む
自分のみちを選べるのは自分だけ…。
歩きたいみちを歩こう♪

最後まで読んでくださり、ありがとうございます♪嬉しいです。
最後まで読んでくださった皆様に幸あれ!



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