こどもは完璧?

はじめましての方、ふたたびの方、
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親とはどうあるべきか、親としてどう在りたいか
子とはどうあるべきか、子としてどう在りたいか
おやこのみちを考える「親子道」を提唱しています。

今日は、「こども」についておもいを寄せてみました。「世界中のあらゆるもの全てが『こども』という存在」なのだと思うのです。

命のはじめ…。
人や動物は、「おとこ」と「おんな」がであい、「精子」と「卵子」別々の不完全な存在を提供しあい、それらが出逢って、結びついたその先に生まれた完全な存在が新しい命だと聞き学びました。

新しいもの。新しい存在。それはすべて不完全なもの同士の融合から生まれた存在。
…すなわち「こども」。

社会の仕組みもサービスも、今あるものでは満足できず、なにか物足りなさや不都合さ不便さを感じたとき、それらを改善しよう、補おう。そしてより完璧なものにしよう。という流れにのって、いいところを残しつつ新しいものと組み合わせて今までにないものを生みだしていると思うのです。(そして育っていくうちに不完全さが増していくだったり、不完全な部分に気がつく。だから完全さを求めて不足部分を補ってくれる存在を求めてしまうのではないでしょうか…)

そう。子供とは本来、完璧な存在で生まれてくる。

完全な存在。完全な存在のままい続けられるとするならば、そこに変化は生まれるのでしょうか…?
そもそも世界は変化し続けている。変化しないものがない。と言われています。この世界で、変化せずに完璧な存在であり続けることはかなわないことだと思うのです。だって…自身が変わらなくても周りが変わっていく。求められる完璧な姿もまた変わっていく。結果的には完璧だったはずの存在も変わらなければずれていく…。そうして気がつけば完璧ではない存在となっている。完璧ではないから完璧なものを生み出そうとするながれがうまれる。
そうやって進化を続けて今がある。

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