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不安と希望の中を生きる

親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
子としてどう在りたいのか。
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。

はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪
ここからのお話がますます楽しい親子関係への
何らかの氣づきのきっかけと成ることができたならさいわいです。

妊娠しても、無事に産まれてくることができない命がある。産まれてくることができる命とできない命がある。生まれてくることができなかった命はそのタイミングによって「流産」「死産」と表現がかわる…。

「死」という文字がつくと急に重たく感じてしまう。同じ命で失うつらさは同じなのに…。
文字には不思議な力がありますね。

命の終わり。
自分の命の終わり。
大切な人の命の終わり。
見知らぬ誰かの命の終わり。
人ではない生き物の命の終わり。
会社や家電製品等の命の終わり。

生まれでたものはいつか必ず命を終えるときが来ます。軽かろうが重たかろうが関係なく、早かれ遅かれその時はやってくるのです。

生まれた順に…というわけにいかないのが不思議なもので…。私は両親より長く生きることができるのだろうか…。我が子は私より長く生きることができるのだろうか…。とこころなしか思うのです。

母には「親より先に行くのは親不孝なこと」だと昔言われたことがありました。古くから語り継がれている言葉…。今ならその気持ちがわかる気がします。

いつ来るかわからないその日におびえて今日を過ごすのか、今できること明日に希望をもって今日を過ごすのか、何も考えず流されて今日を過ごすのか…私達は選ぶことができるのです。

私はこの2年、不安や心配事にだいぶ時間をついやしてしまいました。もったいないことです。
まだまだ先だと思いこんでいたことは、いつ来るかわからないものだったという事実と向き合うことを余儀なくされたからです。

だからこそもう一度、自分の命をどう使うのか、どういう心持ちで過ごすのか、生きることを考えようと思うのです。

限られた時間。1年なのか50年なのかわかりませんが、1度きりの人生。大切な人たちと少しでも笑顔でいられる時間を増やせるように、意識を向けていきたいなと思うのです。

不安な時間を過ごすのか、希望感じて時間を過ごすのか…私は選んで時間を過ごすことができる。私の生き方を決めることができるのは私だけ…。私の身体を動かせるのも私だけ…。

持っているものや今あるものに感謝して…。
昨日より今日。未来は確実に良くなっていくと信じてすすもう♪

私の背中を見ている子どもたちのためにも…。

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