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選択と責任と後悔

これまで何度も何度も言ってきたけれど、
私は子どもが生まれて、初めて、自分が理解されるということがあると知った。彼らはかけがえのない存在だ。

それでも、この社会で、母親であることはつらい。
つらく後悔したと言わなければ、何も変わらない。
母親は女神じゃない。努力だけでは難しいこともある。
私ができたから、あなたも大丈夫。
みんな我慢してる。
産む前にわかったはず。
自分の選択、自己責任。

わたしは娘から妻に母になり、「わたし」を優先することはできなかった。両親、夫、子どもたちがいつも優先。私は我慢して当たり前だった。
私はその立場や行動を自分で選んだのかもしれない。しかし私の愛はいつも、その名のもとに、誰かに利用されてきたと感じる。

せめて子どもには、自分らしくパートナーや家族との在り方を考えられる社会で生きてほしい。子育ても介護も、引き受けた者負けにならないようにしたい。

選択と責任と後悔はセットみたいなもの。母親の後悔にも社会が向き合う時が来たと思う。

ジェンダー〈社会的・文化的に作られた性差〉
私が生きづらさを感じる社会は、老若男女関わらず、生きづらさを抱える社会なのでは。