私は、娯楽のない惑星に娯楽を届けます。

毎日が、時間という制限下の中で、働いており、自由な時間などない。
与えられた仕事をこなしていくだけで、いいし、それに見合った報酬を、くれて、何不自由なく生活できる。
この世界では、仕事が、時間を潰してくれているおかげで、退屈という概念など、存在しない。
だから、みんな遊びというものを知らずに、育っていった。
唯一の楽しみは、ご飯を作ることと、外の空気を吸って出勤することだけである。
それが、普通だと、思っていた。
ある日、友人に誘われて、地球という星に、旅行に行くことになった。
これが、私にとって、重大な転機になるとは、知るよしもなかったのだ。
地球という星の日本という国の東京という場所についた。
まわりは、ビルに囲まれて、人々が、行き交っている。
その光景を見た私は、口を開いて、立ち止まった。
私にとって、初めて、見た光景だったからである。
その後、友人に連れられて、アニメイトという場所へ来たのだ。フィギュアと呼ばれるものや漫画と呼ばれるものを見た。
どれもこれも、私は初めてみるものだった。
地球人は、こういうものを読んだりしているんだということを、メモに書いたりした。
地球の文化に興味が湧いた私は、友人に、地球人は、どんなことをして生活しているのかと、聞いてみた。
友人によると、僕たちの星とおんなじで、仕事をして、生活をしているが、映画やスポーツ、漫画などを楽しむという文化があるという。
よくわからない単語が、連続で出てきたため、私は、すこし混乱しながら、メモに書き留めた。
私は、「へー、いっぱい楽しめるものがあるんだね」と呟くと、友人は、「うん、うん」と言いながら、うなずいた。
どうせなら、全部楽しみたいと思った私は、友人に、「映画とか、スポーツとか、いろいろ楽しんでみたい」と言ってみた。
そして、映画をみて、漫画を買い、河川敷でやっているサッカーの試合を見た。
最後のスポーツに関しては、ルールがわからなかったので、楽しむことができなかったが、その他は楽しめることができた。
私は、満足した表情で、「こんなに、面白いものが、あるんだったら、僕たちが住んでいる星の人たちにも、知って欲しいね」と言うと、友人は、首を横に振って、「多分僕たちの星に、地球の娯楽文化を持っていっても、拒絶反応がおこって、受け入れてもらえないだろうね」と呟いたのだ。
私は、「どうして、そう思うの」と尋ねてみたら、地球の娯楽を真似してみたものを、自分の星でもやったことがあるのだが、うまくいかなかったそうだ。
私は「そうか…だったら、面白いことを、やろうって、見つけることが、重要じゃない」と言って、友人に問いかけてみた。
すると友人は、「面白いことを、見つけるってどうするの」と言って、私を試そうとしている。
私は、今まで、経験して、面白いと感じたものには、発見や裏切り、悲しみ、怒り、すべてが、凝縮して、産まれた結晶みたいなものを感じた気がした。
それは、生活していく中で、きっとある感情が固まったものだ。それらを、感じて成長していくのは子供たちなのかもしれない。
私が子供の頃、あの忙しい世界に、気持ち悪さを感じたのも、もしかしたら、成長の過程だったのかもしれない。
完成された娯楽で、拒絶反応を起こすのだったら、未完成の成長途中の娯楽が、必要だと思う。
それは、子供たちが、感じた感情が生み出した想像力に違いないと、わたしは、おもった。
そのことを、友人に話してみると、友人は、「それは、面白い考えだなぁ、そうだ子供たちが想像する世界をのぞいてみるのも、面白いかもしれない」と言って、微笑んだ。
私は、友人に「子供たちの想像する世界を、覗くことができるのか。」と言って、からかってみたのだが、友人は、真剣な表情を崩すことはなく、「できる」と一言だけ言った。
すると、子供の声がする家の方に近づき、子供の声がなくなり、子供が寝しずまったであろうタイミングで、家の中に、忍び込んだのだ。
私も同じく、忍び込みこの家に住んでいる子供が、寝ている寝室に、たどり着いた。
どきどきしながら、子ども起こさないように、足音を立てないということを、意識しながら、子供の方に、近づいていこうとした時だった。何故だか笑いそうになったのだ。
きっと、すこし危険なことをしているので、冒険心がくすぐられたのだろう。
笑いをこらえて、子供が寝ているベッドの近くにたどり着いた。
すると、友人は、「子供の耳の穴を覗いてみろ」と小声で言ったのである。
私は、「えっ」と思って、自分の耳を疑ったが、言われるがままに、子供の耳の穴を覗いてみた。
すると、テンポの良い音楽にあわせて、キャラクターが、支離滅裂な行動をしたり、急に大笑いをしたりするのが、みえた。
私は、探し求めていた娯楽は、これだと確信した。
友人は、子供の耳の穴を覗き込んでいる私に、「何か見えたか」と小声で聞いた。
私は、友人に、見えたことをすべて話した。
すると、友人は、「地球という星の子供たちも、寝ているあいだに、不思議なものを見ているんだな」と呟いた。
私は、「僕たちが、住んでいる星の人たちも、寝ているあだに不思議なものを見るの、それは、耳の穴を覗いたら、見られるの」と、テンションが上がって興奮していたせいか。大声で言ってしまい寝ている子供を起こしてしまい見つかってしまった。
私たちは、一目散ににげて、家から出ることに成功した。
ため息をついて、安堵して、話の続きをした。
友人は、子供の頃、隣で寝ている兄の耳の穴を覗いたことがあるらしいすると、兄が寝ている間見ている光景が見えたそうだ。
そのことを、兄に話をしたら、昨日、兄が寝ている間に見ている夢と同じ光景をみていることがわかった。
友人の話を聞いた私は、面白いと、おもって、故郷の星に、友人と一緒に帰り、子供たちを集めて、寝てもらい。寝てもらった子供たちの、耳の穴を覗いた。
どれも、これも、つまらなくて、面白味も感じなかった。
やっぱり、地球でみた地球人の子供の夢は、やはり格別だった。
それから、私と友人は、寝ている子供の耳に機械を取り付けることで、夢の映像を、映し出す研究をし、見事開発することに成功した。
地球人の子供たちが寝ると、忍び込んで、やってきて、耳に機械を取り付けて、子供の夢を、テレビのようなものに映しだし、夢を楽しむという文化が、根付いたのだった。
めでたし めでたし
#娯楽小説 #コロナに負けるな#応援

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