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生存確認のための

 日々に流されてあっという間に時間が過ぎてしまうことへの危機感が、以前からあった。
 人生どうせいつか終わるんだから、とも思いつつ、やっぱりどこか焦りがある。
 と思いきや、流れに身を任せるのもありだな、ともとのスタンスに戻ったりもする。

 うまく生きられない、と悩み凹むことがある。日常の些細なこと、たとえば洗濯を回したまま寝落ちて深夜に目覚める、みたいなときだったり、もっと人生スケールのことだったり。
 一方で、うまくなんて生きてたまるかって思ってる自分もいる。
 それでもやっぱり現実を考えて不安になって、無難な道を選ぶことが多い。

 そんないったりきたりをつらつらできる場所がほしかったんだと思う。
 ちまちま記録を残してるSNSも紙のノートに秘密裏に書くタイプの日記(案の定数回で途絶えた)も、思えばどれも自分の生存確認みたいなものなのかもしれない。
 とにかく、ただ時間だけが流れていって自分を見失うのが怖い。

 最近、引越しをして、電車通勤になった。
 ひさしぶりに乗った帰宅ラッシュの電車で、これはちょうどいい時間だと、積読していた文庫本を開いた。
 ふとまわりを見回すと、大人たちが混み合う車内で斜めになったり体をよじったりドアに張り付いたりしながら、一生懸命スマホゲームに興じていた。
 滑稽に思うと同時に、これにはなりたくないかなと思った。
 決してそのひとたちを否定をしているのではなく、ただわたしにとってはスマホゲームは特に益を生まない類の快楽なので、疲労困憊のときであってもそこに逃げるのは嫌だな、と思った。
 自分を見失ってる気がするし。滑稽だし。
 まあでも、益を生まない快楽はそれはそれで最高だ。これは絶対あした後悔するな・・とわかっていながらかまわず飲み続けるとか、朝までカラオケとか。

 またいったりきたりしている。
 こんなわけのわからない文章を書くこと自体が無益なんじゃないか、そんな不安も湧いてきたけど、そもそも自己満足な行為でしかないので、今後どうなっていくのかぜんぜんわからないけど、自分で自分に乞うご期待。

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