フジファブリック

 しばらく呆然としたあと、終盤泣くのを堪えながら帰り道を歩くなんて、いつのなにぶりだろう。結局いま泣きながらこれを書いている。
 今年20周年を迎えたフジファブリック。20周年の記念イヤーにあわせて書き始めていたものを、活動休止に寄せるかたちになってしまうとは。

 今日、フジファブリックは来年2月をもっての活動休止を発表した。キーボードのダイちゃんが脱退の意向を示したことで、話し合いの結果、バンド活動は休止としメンバーそれぞれでの活動予定という結論になったとのこと。
 正直気持ちの整理がまったくつかない。わたしには好きな音楽がいくつもあるが、そのなかでも、これまでの人生で長く深く寄り添ってくれている音楽だった。志村さん亡き後ここまで音楽を続けてくれてありがとう、の感謝の気持ちと、もう新曲を聴いて悶えることもないのか、もう三人のあの堪らんアンサンブルを浴びながら踊ることもできないのか、というこの上ない悲しみと、その他諸々、、ただただ信じられない。。
 まったく整理できていない気持ち、その根幹にあるバンドへの愛などをつらつら書くだけの文章になります。

 フジファブリックとの出会いとそれからについて。
 中学のおわり頃にロックにハマり始めるという、ありがちな人生のステップを踏んだわたしは、当時いろんなバンドのベスト盤を借りてはiPodに取り込み、手当たり次第に流して聴いていた。フジファブリックのシングル集もそのうちの一枚だった、「奥田民生っぽい!そしてなんかクセになる!」が第一印象だったはず。気づいた頃にはヘビロテしていて、そのうちPVをみたくなり、パソコンでYouTubeを開いた。
 画面越しにまず出会ったのが、綺麗な瞳と儚げな佇まいが印象的なボーカルの青年。そして、ほとんど同時にコメント欄で知った、そのひとが志村正彦ということと、すでにこの世を去っているひとだということ。その時点で、亡くなってからすでに3年経っていた。当時高1のわたしは、あまりに大きなショックを受けた。タイムリーに訃報を受けたファンが感じたこと・考えたことを3年遅れで辿っていたのは、いま思えば間の抜けたことにも思えるが、それぐらいの衝撃と喪失感と悲しみだった。いまでも四季盤のPVをみると当時の気持ちが甦ってくる。そんな喪失感のなかでも、美しくてヘンテコな彼の音楽にどんどんハマっていった。こんなにハマったのは、最初にのめり込んだスピッツ以来だった。
 現体制のフジファブリックを聴き始めたときのことは、正直あまり鮮明には覚えていない。志村さんとの出会いがまだ自分のなかで大きすぎたんだと思う。ただ、当時はちょうど「徒然モノクローム」が出た頃で、それを聴くためにアニメ『つり球』もみていた記憶がある。耳に残る中毒性を帯びた曲に惹かれ、いつしか志村時代と地続きになり、気づいたらフジファブリックというバンドにどっぷりだった。
 音源を聴き漁った。季節に敏感になった。野音のDVDを買ってひたすら流し、気持ち悪いのにばっちりキマっているアンサンブルの虜になった。総さんのギタープレイにも魅了され、しばらく総さんのことしか考えられない女子高生をやっていた。ラジオ公開収録にいって、出待ちして握手してもらったりした。メンバー全員出演の収録も、よくスペイン坂にみにいった。リリースのたびのニコ生も毎回楽しみだった。
 志村さんを想いながら富士吉田にも何度も訪れ、いつもの丘から富士山を眺めた。みうらうどんやM-2にはマップをみなくてもいけてしまうようになり、離れた街なのに馴染みのある場所になったようで、うれしかった。高円寺にはじめて降り立ったときも、志村日記を片手に抱えていた。結果的に、働く街もここに決めた。
 初ライブは2013年のFAB STEPツアー(VOYAGERツアーはテスト期間と被ってて見送った。いま思えば行っとけでしかない)。授業がおわってからZepp Tokyoまでの道のりのあの高揚感は、人生最高級のものだった。それ以来、受験期間や仕事の都合を除きワンマンには欠かさず通っている。欠かさず、という意識も特にない。人生のエネルギーチャージポイントとして、というか、息をするように通っている。これからも当たり前のようにチャージできると思っていた。総さんのギターヒーローでありながらどんどん進化していく伸びやかな歌、ダイちゃんの作るキラキラしたサウンドとクセになるリフ、かとをさんのエッジの効いたベースが好きだった。かとをさんに憧れてベースも始めた。

 大学3年のとき、個人的大スランプが訪れた。諸事情で大学でも家でも居場所を失い、息をする苦しさから何度も逃れたいと思った。なんとか生き長らえ、就職にすべてを懸けたわたしの背中を強く押し上げてくれたのが、「電光石火」だった。
 フジファブリックは、志村さんを失うという大きな悲しみ・絶望と、そこから葛藤を抱えながらの再出発・大躍進を遂げているバンドだからこそ、曲に溢れるパワーも優しさも強い説得力をもって聴き手に迫ってくると感じている。それでいてヘンテコな曲たち、圧巻のステージに和気あいあいでゆる~い仲良しな三人、どんなに気分が沈みがちなときでもライブにいくと心からの幸福感でいっぱいになった。
 ここ数年のライブで、総さんはいつも「いつでもみんなの居場所でありたい」「俺が一番フジファブリックのファンだから、フジファブリックを続けられてうれしい」「フジファブリックは絶対解散しません。どこまでも続いていきます」と話していた。そのたびに、喜びを噛み締め安心感に包まれ、フジに関しては終わることを想像したこともなかった。総さんとしてもバンドとしても、それらの言葉はあくまで本心であったとわかるし、裏切られた、のような気持ちはない。ただ、どんなことにも絶対はないのだということと、ダイちゃんの詳しい真意はわからないけれどみんな心身健やかにいてほしいということ。それから、「俺が一番のファン」と話していた総さんは、大丈夫なのだろうか。
 "解散"でなく"活動休止"なのは、志村さんがつくったバンドだから僕らには解散できない、ということなのだろうし、救いがあるのかないのかわからない。いつかまた三人で、あの摩訶不思議サウンドを奏でてほしいとは当然願ってやまないけれど、いまはあれこれ思いを巡らすのは避けたいと思う。ただただ、混乱している。ぜんぜん気持ちも文章もまとまらない。悪い夢をみているようで信じられない、嘘であってほしい。幸い、8月と11月のアニバーサリーライブはチケットがとれている。が、いつも通りの状態でみれるとは思えずソワソワする。休止まで変わらずファンであり続けるけれど、いまはまだ受け入れきれていない。信じられない。嘘であってほしい。
 いつまでもどこまでも、フジファブリックはわたしの人生に深く深く沁み込んだ、大好きで大切な存在だ。いまはちょっと聴いたら辛くなってしまいそうでそっとしておきたいが、間違いなくこれからもずっとそばにいてくれる音楽だ。それだけは間違いない。いままでもこれからも、感謝と愛しかない。これからの三人の活躍もずっと応援したい。本当に本当にありがとう。



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