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わたしは雑誌やテレビで手や身体を触れずにスプーンを曲げたりトランプを透視したり、あるいは時空をねじ曲げる主人公が活躍する映画などをよくみていました。ですが、わたしの能力が、ほかのモノと、種類がちがっているものにはじめてきがついたのは小学四年生のときでした。 科学で説明のつかない特殊な能力をもった人間が世界には少なからず存在する。そのような事実に疑いは持っていませんでした。たとえそれがペテンや映画の特殊効果のようなものであれ。そういういかがわしモノには必ず背景があります。
この度、ちゃんと書くと落ちる!「第三回小手先文学賞」を受賞しました! わーい! あと、こちらでも掲載可ということで、発表します。 どうぞ、 ー ー ー ー ー ー ー ー 双児の次郎と三太の、その日の帰りも、いつも通りのはずだった。 それは学校のいつもの帰路と言うのは近道のことだった。近道をせずに帰れば最近できたばかりの、次郎と三太が通う学校を取り囲むようにできた都市型複合商業施設である巨大ショッピングモールのエントランスを通らなくてもよかったのだったが。
五時にアルバイトを終わらせ、左手の坂を登っていくと右手に瀬戸内海がパッと広がる、そのだらだら坂を登った桜ヶ丘団地の入り口にある、小さな図書館でわたしは、いつも閉館時間までドストエフスキーを読んで過ごす。 夜八時になると市営バスが「桜ヶ丘図書館前」で停車する。わたしはその市営バスに乗って幼稚園までミキを迎えに行く。 その日も、真っ暗になった園内に入ると、ミキのいる年長クラスの部屋のあかりが、ぽつ、と、ついていた。 ミキはいつも最後だった。 「いつもお世話になって
その日のかえり際もわたしは真っ暗になった園庭にポツと残された年長部屋のござのうえにぺたんとおしりをついてじゆうちょうに日記を書いていた。 じつはわたし、読書家の姉のカンナに教わってもう漢字もいっぱい書けるんだけれどここで漢字の先走りはせんせいのウケが良くない。 これで九十点(つねに百点を取るのも角が立つ)だ。 東京の大学の文芸部をでた新米の夏目美里せんせいは首をかしげそれから笑った。ほかのせんせいは目を通しもしないで日記をつっかえしてニタニタほめる。けどその笑み