SEからの異業種転生〜30代のおかんでもコンサルになれますか?〜
30になる手前には、誰もが一度は転職を考えるんじゃないでしょうか?
・ブラック過ぎて仕事がキツイ
・給料が低すぎてこのままだと生活が厳しい
・土日休みではないので、生活基準が他の人と合わない
などなど、理由は千差万別だと思いますが、例に漏れずに私も今の会社に勤めて3年目くらいから転職を考えるようになりました。
2年目から炎上案件を擦り付けられ、こんなとこでやっていけるかと怒り任せに転職サイトに登録したことを覚えています。
炎上案件は結果的に収束したので一旦は転職活動は止めたのですが、その頃から逆に暇を持て余すようになり、今後のキャリアを考えたときに2回目の転職を考えるようになりました。
考え始めてから1年半後、無事希望の会社から内々定をいただき、社内SEからITコンサルという異業種転活に成功しました。
別にITコンサルへ、でなくとも転職を考えていれば今後の参考に、今転職を考えていない人も、今後のキャリアを考えるキッカケになれば良いなぁと思います。
ステータス
名前:青色♀
Lv. 31
業種:社内SE(7年目)
スキル:
①プロジェクトマネジメント(数百万〜数千万円レベルのプロジェクトを情報システム部門として一人で回す)
②アプリの保守運営(ヘルプデスクのようなもの)
③Excelのマクロ作成
④データベースの操作
パーティ:夫(Lv.33)、子供(Lv.2)
年収:一馬力で家族養えるくらい
プロローグ
就職してから7年、2年目から関わっていた地獄のようなプロジェクトが終わってからか、結婚したからなのか、そのあたりから残業時間が月30時間を越えた記憶がない。
ここ1年に関しては月10時間を越えるか越えないかの瀬戸際で、ほぼ定時で帰り。時々トラブル対応や定時後しかできないシステム切り替えのときだけ残る程度。
尚、課の平均残業時間は36時間である。
それでも給料は上がり、30代女性での自分の年収は、他と比べても上位数%。望まなければ共働きも相俟って余裕で生きていけるだけの収入を得ていた。
しかし、兎に角、仕事が暇で仕方なかった。
人によっては羨ましいと感じるのかもしれない。しかし、与えられた仕事に対して使える時間を持て余すのは中々に地獄である。
別に暇な時間に遊んで良い訳でもない。ああ何しようか、と考えなければならない時間は苦痛以外のナニモノでもなかった。
あのプロジェクトで成果を出せなかったから?
子持ちの女には特に期待していないから?
私の能力が低いから?
ーーー仕事を与えられないんだろうか。
そんな風に考えることが数年続いていた。
子供が小さいから気遣ってくれているのかもしれないとは思ったが、上長へ面談時にもっと仕事がしたいと言っても特に変わることはなかった。
出産後に6ヶ月しか育休を取らなかったのも、プロジェクトを途中で抜けたから、長期で休むと居場所がなくなると危機感を持っていたからなのに。
決してワーカーホリックというわけではない。
しかし、人生の大半を仕事に割くのに、その時間を暇だ暇だと費やすのは馬鹿げていないだろうか。
折角働くのなら遣り甲斐を感じられたり、夢中になれるような仕事をやりたい。シンプルにそれだけだった。
隣の芝はベリーブルー。漠然と転職を考えつつも、だらだらと仕事を続けていた。
1. 契機
「会社が、買収される………?」
まさに青天の霹靂、業績が数年前から思うように上がっていなかった弊社は他会社に買収されることになったと発表された。
「しかも、買収先の会社へ社員は異動?」
Oh, my god!! 突然欧米化するほどに頭は混乱し、すぐには現実を受け止められなかった。
私が勤めている企業はいくつかの分野に強みを持っていて、どうやらその一分野が買収されるという話のようだ。
買収先の企業の方が利益率は大きく、理に適った話だとは思った。
暫くして、労働組合と経営層の話し合いが始まり、異動しても今と待遇は変わらない等の説明が労働組合側からビデオ会議で数度行われた。
「これからどうなるんですかね」
説明を一通り聞き終わり、私は隣の席の先輩にぼやいた。
「待遇は変わらないって言ってるけど、多分今後は給与の伸び代が減るんだろうねぇ」
業績を上げる一番簡単な方法は減給だ。弊社の作る製品は間接費用が高いというのはずっと言われてきたことだった。設計費用が高いと。つまり、そこの設計費、設計する人間の時間あたりの単価を下げるのが手っ取り早い。
買収先の企業は弊社より小規模だ。恐らく同じ年齢だとしても給与はこちらのほうが高いと想像できた。
しかし、どちらかというと給料に対してそこまで大きな不満をその時は持っていなかった。
それ以上にーーー私の意思と関係なく、どうして他会社に行かなければならないのか? という大きな怒りが胸中を渦巻いていた。
元々今所属している分野はあまり興味はなく、様々な分野に強みを持った弊社だからこそ入社したのである。
リクルータの先輩方の人柄の良さも大いなる要因だった。ゆくゆくは他分野へ異動したいと考えていたが、この買収により道を絶たれた。
今後は、この分野の会社になり、生涯を捧げなければならない。
自分の意志以外で自分の道を決められることを何よりも嫌う私は、何よりそこに抵抗感があった。
その日から、それまでも感じていた会社への疑念がどんどん膨れ上がるのを感じた。
経営側が打ち出す目標も根拠が見えず、中間管理職も右往左往、買収後の準備は何も出来ておらず曖昧な指示が多く現場は混乱気味。
一体今後どうなるのか、誰もわからない。取り敢えず、取り敢えず買収に必要な最低限をやろうとそればかり。
なんだこれ、本当に業績伸ばすつもりあるのか?
何のための買収なんだ?
………この買収、会社の失敗の歴史として刻まれることになるんじゃないか?
ーーー潮時、じゃない?
私は衝動的に転職エージェントAへ連絡を入れた。
2. 就活ブランク
元々この企業買収の話がある前から転職エージェントAに登録しており、転職先の情報は入手していた。
高望みしなければそれなりの給与が貰えるし、企業としては大きいからリストラリスクも低い。でも、だらだら働くのは、もう嫌だと思っていたからだ。
今と同じ社内SEで、今以上に給料アップが狙えて、電車で通えるところ。
ビ●リーチに登録し、数十のスカウトが届くものの、給与、勤務地、職務内容で希望を満たせる会社は少なかった。
給料が下がるくらいなら、今の会社でもいい。人間関係は良好だし、望まなければ安定した収入は見込める。
丁度少し前に希望企業の枠があると連絡があったが、その時はまだ心が決まっておらず、また仕事も少し忙しかったので保留にしていた。
しかし、意を決して連絡を取り、職務経歴書や志望理由書の作成を始めた。
希望先は大に大がつく大企業、同時にブラックでも有名ではあるが…家から近く、職務内容も好奇心を唆られるものだった。
私ぐらいで受かるものなんだろうか。私が受かるくらいなら職場の先輩たちのほうがよっぽどすごい経歴持ちだけど。
そんなことを考えながら、体裁を整え、転職エージェントAへ書類を送った。
送付後、複数箇所で誤字を見つけ、ああ、やってしまったかと項垂れた。もう無理、絶対落ちたと仕事中も選考のことがずっと頭を過ぎっていた。
【一次面接のご案内】と書かれたメールが届いたのは、書類送付から数日後だった。
同時に転職エージェントAから面接練習の日程調整を促され、早々に返信した。
新卒の就活時、誰もが知る企業に何社も内々定を貰っていた私は、面接まで行けばなんとかなるという自信があった。
一番の不安は初めて書いた職務経歴書が人事の眼鏡に適うかどうかで、そこを突破したのであればほぼ勝確だ。
私ごときの経歴でもあの企業に引っかかるんだな?! これで弊社ともおさらばだ! ヒャッハー! と気持ちが高まっていた。
退職時になんて言うべきか…角が立たないようにしないと、と受かってもいない心配をするほどだった。
と、同じくして筆記試験受講の連絡が届く。
そこで、既に新卒から7年ものブランクがある私は、昔と変わっているある事実に気付く。
「筆記、ウェブでやるの?」
就活時はSPIのテストセンターしか行ったことしかなかった私は、そこでコロナ禍という状況を改めて理解させられることになった。
「あっれ? しかも、同じSPIでもテストセンターとウェブだと出題範囲が、違う………?」
知り合いから筆記はSPIだと聞いていたため、テストセンターの対策をしていた。しかし、時代はウィズコロナ、採用にも変化が訪れていたようだ。
面接日程も決まり、最早勉強し直す時間もない。
「ま、まあ…就活のときもSPIで落ちることはなかったし、何とかなる…でしょ。性格だけ見てるだけだと思うし」
それは暗示のような、祈りのような、ただの希望的観測でしかないのは、自分でも理解していた。
SPI受講当日、想定外に言語の問題のほうが手間取り、非言語に至っては時間がなくぼろぼろでタイムアウトした。
大丈夫、大丈夫。筆記で落ちたことないじゃない。次は面接だ、しっかり志望理由用意しないと。
気を取り直して転職エージェントAとの面接練習に向けて準備をしていると、一通のメールが届いた。
【筆記試験の点数がボーダーより大幅に悪かったため、面接前ですがお見送りという結果となりました】
3. ライフイベントのリスケ
筆記にもボーダーってあるんだな、ハハッ(ミッキーの乾いた笑い)。
事前に知り合いから聞いていた筆記試験のことも、考えてみれば皆コロナ前に受けていた話だし、今の状況なんか知る由もないだろう。
自分の情報収集不足なのは分かっていたが、期待値が大きかっただけに失意もまた大きく、一ヶ月は立ち直れなかった。
分かってればちゃんとウェブの勉強したのに、と悔やむ気持ちが抑えられない。
しかし、事実は変わらないし、少なくとも2年は再応募出来ない。
なら転職は止めて、違うことに今の時間を使おうと考えた。
今後のライフイベントで必要なもの…ズバリ二人目の出産である。
30を越えている今、遅くなればなるほど出産リスクは高まるばかりだ。取り敢えず子供を出産してから、また転職すれば良いだろうと考えた。
時は11月。1人目の時が一瞬だったことを鑑み、すぐに妊娠するだろうと高を括っていた。
が、出来ない。
数ヶ月しても毎月決まったタイミングで出血する。
初期は着床出血かと期待したが、繰り返すうちに段々と虚しさが心を埋め尽くした。どんなに努力してもどうにもならないこの事実は、悩んでも悩みきれなかった。
一人目は6月生まれで、翌年4月の保育園に入れるタイミングではまだ0歳だった。
実は0歳で入所は1歳で入所より競争率が低く、割かし簡単に入ることができる。
なので、出来れば子供は4-7月くらいまでに生まれてほしいと考えていた。あまり遅いと、乳離れできていないので1歳入所になる確率が上がる。
そうなると、遅くとも1月には妊娠したい………が、生産性のない数ヶ月がすぎる頃、今妊娠すると早生まれになる時期となった。
時期としては3月。その頃の私は、少なくともあと数年は今の会社にいることを受け入れ、1年後に迫る昇格試験のネタ探しをしていた。
昇格試験の概要は、端的に言えば今の会社で自分がどのように貢献したいかをアピールする、というものである。
システム部門は、システムを作るとか直すとか、そういうところをPRするのが普通だ。
しかし、基幹システムの刷新プロジェクトも落ち着き、正直ネタがなくなっており、目に付きやすい改善は見当たらなかった。
そんなとき、他部署の部長クラスの人からその部署の今後のシステム企画の話を聞く機会があった。
この人はあるシステム開発プロジェクトで一緒に仕事をしていた。簡単に言えば好々爺とも言える気さくな方だった。こんな風に歳を取りたいと思わせてくれる人だった。
その人は今後会社が注力していく部署の一端を担う人であったため、ここにシステム構築のネタがあると私は読んだ。
昇格試験のネタで悩んでいるんです…と相談を持ち掛けたところ、快く相談に乗ってくれ、今部署でどのようなことをしているか教えてくれた。
「いくつかあるんだけど…このシステム企画はコンサルしてもらってるんんだよ」
そう言って、コンサル会社が作成した資料を見せてくれた。
今後業績を伸ばすために、どの分野をシステム化していくべきか。端的に言うとそれに対する答えとなるパワポを作ってくれたとのこと。
御社がシステム化を依頼したいといったいくつかの中で、システム化するならこのネタが良いです、と言うためたけに40枚程度のスライドがあった。
パラパラと中身を見ると、色んなグラフが載っている。個人的には単なる嵩増しの資料にしか見えなかった。結論だけ書いて、参考文献に付ければ良いのでは? と感じてしまった。
その時ふと、転職エージェントAと初めて面談した時の会話を思い出した。
「青色さん、ITコンサルに興味ないですか?」
当時は無くはない、程度の歯切れの悪さで現職と同等の職業で求人票を探していた。
コンサルが何かよく分かっていないが、この資料をわかりやすく要約して、まとめるくらいなら私でも出来そうだ。
私のイメージとしては、コンサルは絵に描いた餅を美味しいと力説する、どちらかというと嫌いなタイプだった。
実際やる方法なんて考えないし、理想論で物事を語る。責任感なんてない。木を見て森を見ずどころか、森に足さえ踏み入れない。
だとすると、現場を知っているコンサルって強みになるのでは? 社内SEにこだわらず、そっちを探すのも有りなのか………?
結局昇格試験のネタは具現化出来なかったものの、コンサルタントになるという選択肢が私の中で生まれたのは、そのときだった。
4. 新しい選択肢
その日から、コンサルについて調べ始めた。
気になると、取り敢えず好奇心が落ち着くまでは調べぬくというのが私である。
端的に言えば、相談に乗る人。一般的にコンサルというのは経営コンサルタントを指し、倒れ掛かっている会社に対して、妙案を示す…と言うとが分かりやすいだろうか。
ドラマの半沢直樹が行っていたことに近いと思う。正直銀行員の仕事内容は分からないが、あの人のやっていること銀行員超えてるよね?
で、自身の強みを活かせる分野、ということでITコンサルに照準を合わせた。今の業務をどうやってシステム化したらいいか。どう業務を変えればいいか。そういったことを顧客に提案する。それなら今までやっていたこととそう変わらない。
様々なウェブサイトを見ていると、どうもコンサル業界特化型の転職エージェントがあることを知り、とりあえず登録を試みた。(以下、コンサルエージェントB)
この登録作業毎回面倒なんだよなあと思いながら、ぽちぽちと経歴等を描いて、送信。割とすぐに返信が届き、面談を行うことになった。
正直、その時すぐに転職を、という考えはなかったのだが、兎に角仕事が暇だったのだ。
プロジェクトはシステム開発の最終工程に入っていて、後はやることをやれば終わるーーーそういう状況だった。
なので、取り敢えず話ぐらいするかという心持ちで面談に向かった。
面談では、まずはエージェントの紹介、コンサルタントの種類、業界マップ等、どこに就職すべきかすら解っていなかった私にとってはありがたい情報を教えてくれた。
最後に愛知の求人だとこのあたりがあります、と見せてくれたのだが、コンサルタント会社の四天王もその中には含まれており、驚く他なかった。
日本随一の頭脳集団、と冠するような会社の求人もある。いやいやw 私地方国立出身だし、推薦入学ですよw 無理やろ! と心の中で叫んでいた。しかし、
「青色さんの経歴なら十分狙えると思います」
と転職エージェントBは断言した。
自分の市場価値なんて分かるはずもない私は、そうなの…? 本当に…? と詐欺の被害者のような気持ちが芽生えていた。
その後、取り敢えず貰った求人を確認し、会社を調べていった。
どこもかしこも、コンサルは激務、up to out、実力主義とか色々書かれていて大丈夫なんこれ? と不安が膨れていった。
コンサルは一般的に高給だ。そして、その分激務というのが一般的な認識だ。
まあでも、暇を持て余すくらいなら、働いてお金を貰いたい。別にワーカーホリックという訳ではなくて、ただの金の亡者である。
産休を取得し、職場復帰後、夫が時短を取得しており、私がフルタイムで働く生活をしていた。
夫的にはほぼ定時上がりの私の仕事は都合が良かったし、家事は分担して行えていた。なので、コンサルへ転職するとしても、流石にデスマーチが続くような職場は嫌だった。
そういうところを考慮しつつ、企業風土も良さそうだなという所を3社ピックアップした。第1, 2はそこそこの大手、3は練習を兼ねた中小、というラインナップ。
妊活もタイミングを考えると適切な時期ではないし、何よりもーーー暇だし、という理由で再度私の転活は幕を開けたのであった。
5. 転活スケジューリング
日本には電柱が何本あると思いますか?
有名なケース面接の例である。別にググって正しい答えを出すのが目的ではなく、日本の面積に対して5m間隔で並んでいると考えると、●本です。という思考プロセスを図ることが目的だ。
コンサルタントは普通の面接とは別にこのようなケース面接が有るらしい。なんそれ無策だと即死やんけ………。
ひとまず、前回の失敗を生かし、転活のスケジュールを立てることにした。
今は3月半ばだ。4月半ばに職務経歴書や志望理由書を提出するくらいで動こう。特に焦ってはいないが、やると決めたからには動き出そう。
となると、2週間筆記対策、2週間ケース面接対策、合間に職務経歴書を作成かな。
ということで、SPIや玉手箱の対策本を解き始めた。
言語は余裕、非言語は所詮数A程度の難易度。問題を見た瞬間解法を思い出すレベルに持っていかなければ。繰り返し同じ問題を解くことに専念した。
それなりに解き切ったかな、と思ったところでケース面接対策に移ったが、これが中々楽しくない。転職エージェントBに2回ほど面接練習を付き合ってもらったが、点で駄目だなという自覚があった。
ひとまずやったつもりになったということで、合間に作成していた職務経歴書を書き上げ、誤字脱字を確認し―――4月半ば、職務経歴書と志望理由書を各社に送付した。
「前回も書類は通ったし…ウェブテスト対策でもして待っていよう‥」
この自分ではどうにも出来ない、待つしか出来ない時間というのはとてつもなくもどかしい。仕事中もいつメールが来るか、ソワソワしながら待っていた。
結果———2/3が選考通過し、第2希望だった会社がお見送りになった。
「書類で落ちるなんて…もう枠が埋まってたのかな?」
第2希望が落ちたことに少し気落ちしながらも、気にしていても仕方ないと思い、第1、3希望の筆記テスト面接の連絡を確認した。
「………は?」
正直、第3希望は「ウェブテストが第1希望と同じだから」という理由だけで志願を出したと言ってもあまり過言ではなかった。よって、そもそも受かったとしても行く気はない。
というのに、
「第3希望………SPIじゃない………?」
どうやら直前で変更があったようで、第1希望とウェブテストの内容が異なっていた。しかも、不適正スカウターという全く無対策のテストである。
ネットでググると、難易度はSPI以下で内容としてもSPIをしておけば良い…一部折り紙があった方が良い…ということが書いてあった。
「………気にしていても仕方ない。落ちたら落ちただ。どうせ最早練習にもならないんだし」
と、まずは第3志望のウェブテストに臨んだ。なるほど、確かに難易度はSPIの方が上で、下手すれば中学生でも解けそうな内容だった。
数問自信がない状態で全て回答しきり、性格診断もそこそこに、まずは1つ筆記テストを終えた。
そして数日後、意を決して第1希望のウェブテストに臨むことにした。
「ぶっつけ本番になってしもた………。まあでも、仕方ない。もう行くしかない」
第1希望の会社のSPI合格基準を調べると、弊社より高水準であることが判明。転職エージェントBに乗せられていたが、コンサル会社は基本偏差値高いのである。
うーん、また落ちるかなこれはw と投げやり気味で第1希望のSPIを受講した。
SPIは正解率によって問題が変わる。信憑性は定かではないが、非言語では推論の問題が4問出るとかなり良い成績の可能性が高いのだとか。一応推論の問題は数問出ていた。
間違いなく、最初の転職時のSPIよりは手ごたえを感じ、同時に確かに前回これなら落ちるわなと納得している自分が居た。
受講後、数日間お見送りがありませんようにと祈る日々が続いた。前回は受講後即日だった、2日くらい様子見しよう‥と考えていた。
2日経っても悲しい連絡はないので、どうやら筆記は突破したな! という気持ちと、取り敢えず面接だけしてくれて、その後落とされるのかも…という不安の中面接の日を迎えた。
と、実は第1希望面接の数日前、第3希望もウェブテストを突破、面接を終えていたが、お見送りになっていた。
理由は、当社のコンサルタントの基準に到達していないからというものだった。
ったりめーだろ! こっちは未経験者やっちゅうねん! やったら初めから書類で落とせや! と思いつつ、中小企業のコンサル基準にすら受からないなら、第1希望である大手は絶望では? と考えていた。
まさかの第1希望しか残っていないという崖っぷち状態。これはもう駄目だわw と半ば諦めつつも、第3希望の面接でうまく答えられなかった質問の回答を用意する等、ただでは起きないと言わんばかりに面接に向けて準備を行った。
元々第3希望はSPI練習目的ではあったが、面接練習も狙いではあった。その点では十分に役割を果たしてくれたと言えよう。
そして第1希望の面接の日がやってきた。90分でケースと普通面接が行われる。
一度面接を行っているので、職務経歴説明だとか、そのあたりは比較的すらすらと答えられたとは思う。
ケース面接に至っては、事前に転職エージェントBから聞いていたお題と全く同じものが出題され、「これ、進研ゼミで見た…!」と言わんばかりの胸中だった。
お題に沿ってロジックツリーを書いて説明する、という内容なのだが、何なら既にロジックツリーを作成し終えているので、与えられた時間すべてをどう説明するかに費やせた。
無事面接が終わり、数日ソワソワと結果連絡を待つ日が続いた。
感触はまずまず…面接されていると言うよりは、基本受かる前提で落ちる要素がないかを確認されていると感じたので、大丈夫だと信じたい。
そろそろかな? と思いながらスマホをチラチラと盗み見る日々が続き、突然仕事中に見知らぬ番号から電話がかかってきた。
きたか?!
出ようと席を立つも途切れてしまった。ただ、いつも掛かって来る転職エージェントBとは違ったので、ひとまずネットで番号を検索。
「クロネコヤマト 宅配サービス」
紛らわしーい! タイミングー! クソ、知り合いへ送った荷物のことか!
夕方頃に転職エージェントBから電話がかかってきた。
しかし、先ほどのドキドキは無かった。以前、選考時に相手方から質問があったりしたため、今回もその類かなと思ったからだ。ググる限りでは、一次面接の結果は5営業日以内にメールで届くようで、その日はまだ2日目だった。今度は何を確認されるのかとスマホに耳を当てる。
今いいですか、と前置きを唱え、転職エージェントBは言った。
「青色さんこんにちは。速報ですが、1次面接通過しました」
6. 落ちても受かっても、これで終わり
第3希望に落ちた際、割と話せたほうだとは思ったが落ちたので、自分の感覚が何も信じられなくなっていた。
基本的に面接は上手く会話できたら受かると思っていて、それが第3希望のところは当てはまらなかった。
ただ、今考えてみると向こうが欲しかった人材と私がマッチしていなかったとしみじみ感じる。
向こうはコンサルタントの即戦力が欲しい。私は、1年くらいでコンサルタントとして育つので、というスタンスだった。
ポテンシャルじゃ採用されないのかと知り、なら第1希望も駄目だろうなと思っていた。
ただ、エージェント曰く即戦力レベルも企業に依るからとのことで、第1希望とはどうやらマッチングしたようだ。
連絡を受けてから4日後、次の面接が決まった。
事前に転職エージェントBと面談練習をし、ウェブ面接なので志望理由やいざというときのカンニングペーパーもしっかり準備。
次が最終面接、正直一次が受かると思っていなかったせいもあり、絶対合格する! といった強い志は無かった。ただ、準備は出来た。万事を尽くした。これで落ちるならそれまでだし、別に現職を辞めた訳ではないから失うものは何もない。
いざ、推して参るーーー!
相手は役員の一つ下くらいの人で、弊社でいうところの年収数千万プレイヤーと同等だろう。
面接はだいたい想定通りで、今後どのようなキャリアを考えているか等を中心に聞かれた。向こうが採用しようとしている枠と私の希望が合っているかを注意深く確認しているように感じた。
時に和やかに話しつつも、質問されるときの声音には迫力があり、減り張りを意識しながら、馬鹿な発言はしないようにと気を遣って問答を繰り返した。
深堀&深堀。捉え方によってはあら探し。質問に対して、相手が納得する言葉を掛けられるか、表情を見ながら言葉を選んで話した。
最後の方は大分相手が長々と話すことが増えてきていた。私の経験から、最終面接で相手が饒舌に語りだすと受かるという法則があった。
「こちらの制度について前の面接で説明聞きましたか? 無い? なら人事に説明するように伝えておきますね」
面談は60分の予定で、残り10分程度に差し掛かった時、相手がそんなことを言った。
ん? これって次のオファー面談で説明があるってこと?
ハハッ、まあ慌てるな青色。もし受かってたにしろ、分かるのはエージェントからのメールなんだからよ、ともう一人の自分が話しかける。
そしてそろそろ面接も終わるかと言うところで、〆の言葉を待っている最中、面接官は言い放った。
「うちは青色さんに●●という枠で内定出しますので、弊社へ検討してみてください」
ええええええええええ!!!!
漫画なら1ページ丸々その発言で埋め尽くすレベルの驚きが脳内を駆け巡る。ネットの口コミで面接中に内定出すと言われた…と書かれている記事もあったが、まさかそれが自分にも適用されるとは。
「あ、ありがとうございます」
向こうからしてみれば、私がこの会社が第一志望かどうかは分からない状況である。なので、こちらも舐められないよう控えめに、ただ嬉しそうにお礼を言った。
相手との通信が切れ、ヘッドフォンを置いてすぐさま、夫へ電話し面接が終わり受かったことを伝えた。オンライン面接だったので、面接中は家から出ていて欲しいとお願いしていたのだ。
通話後、すぐに祝い酒だと近くのスーパーへ走った。
こうして、およそ2ヶ月半、薄く長く苦しかった転職活動は無事第1希望に内々定という結果で幕を閉じたのであった。
7. 回顧、懐古、解雇
その後、暫くしてから転職エージェントBから正式に内定連絡が届き、並行してオファー面談の日程調整も行った。
ここからは選ぶ側。想定年収や自分の仕事内容について人事と話し合いをする。
名古屋勤務の人が少ないということを最終面接で聞いていたので、名古屋勤務の人と同職業の人も呼べないかを事前に転職エージェントBへ打診してもらい、幸いにもどちらも来てもらえることになった。
つまり、人事、名古屋勤務の人、同業種の人と4人で面談を行うことになったということだ。
まずは人事からの説明。年収額や入社時期の確認。
年収額は大体想定通りで、正直福利厚生を鑑みると現職の方が貰えている計算。まあこれは仕方ないので、さっさと昇給するしかない。
次に同職業のかなりお偉いさんの話。一口にコンサルといっても、一つの分野の専門家になるか、広く浅くやるかといった道があるようで、自身の経歴を語ってくださった。
最後は名古屋勤務の人の話。納期間近だったようで、かなり予定を切り詰めて顔を出してくれたらしい。ただ、実はその人も元々SEからの転職組ということで、かなり話は参考になった。
一通り話を聞き終えて、ある程度不安は解消された。一番気になっていたのは人事の分かりやすすぎる作り笑いくらいだった。もう少し自然になるよう練習したほうが良いと思った。
―——さて、ここに来て二つの選択肢が生まれた。
転職するか、否か。
ここまで来て今更引き返すのか、という疑問はあるかもしれないが、否、まだ何も始まっていない。
今漸く私は転職するか否かを選べる立場になったのだ。
転職エージェントBに「内定を受諾する」のか「矢張り現職のままでいく」と答えるのかを決めなければならない。
では、まず今の会社に居る利点を考えてみよう。
まず何と言ってもネームバリューだ。身の回りにある製品で弊社の製品を使ってことがない人は居ないだろうと断言出来る。
老舗企業で、製品名を出せば「ああ」と頷いてもらえるはずだ。正直就活時にはあまり考えていなかったのだが、今更ながら企業の業績を見ていると上が少ないと気付いた。
まあ、買収されて別会社になってしまったが………それでも大企業であることに変わりはない。
ゆえの福利厚生と年収。手当だけでも年間の大学生のバイト代はあるだろう。残業をほとんどしていないにも関わらず、毎月これだけのキャッシュフローを得られているのは本当に大きい。
また、今の部署であれば異動はないので転勤のリスクも少ない。将来のワークプランも立てやすいだろう。
そして人間関係。正直他の部署は荒んでいるようではあるが、今の部署は仕事がやりやすい。若手が多く、和気あいあいとしつつも皆優秀なので話が早いし、仕事も早い。
妊娠したとき、私は週5で会社に出勤出来ないくらいつわりが酷かった。毎朝トイレに籠っては嘔吐し、出社しても電車で酔って、会社に着く頃には顔面蒼白であることも多かった。
それでもマタハラなんてことは一切無かった。皆快く業務を変わってくれたし、心配してくれた。
ひとえに周りに恵まれたと言うより他ない。
次は欠点だ。
何より、暇なのだ。仕事中に何をしなければならないのか考えるのが兎に角苦痛なのだ。一日8時間をそんなことに費やすのは無駄としか思えない。
そして自己キャリアへの不安。昔行った仕事の名残でこなせている今の状況では、将来何も出来なくなってしまう。目まぐるしく変化する時代の波に取り残される。もっと自分のスキルを上げたい。
加えて、企業の方向性と私の考えの不一致だ。会社買収のあたりから、会社の経営方針についていけなくなっている。そんな方針でうまくいくと思えないと感じている。自分の会社への信頼性が最早失われている。
さて、この状態で天秤にかけよう。文量だけ見れば明らかに今の会社に残る選択肢の方が傾いている。
「コンサルって激務なんだよね…? 今、青色はなんだかんだ定時帰りだし、そうなったら育児の負担こっちにくるんだよ」
転職すると話したとき、夫にそう言われたことを思い出す。
更に傾く。転職をしたいのは、お前の我儘なんだと言われているようだ。
たった一通、内定を承諾するというメールを送るだけなのに、待てと早まるなと心の中で誰かが叫ぶ。まだ引き返せると。だって、社内の誰にも伝えていない。無かったことにできる。
いや待てよとまた違う誰かが言う。そもそもこの比較はおかしい。何故なら会社を辞めるかどうかという比較しかしていない。転職のメリットが何も考慮されていない。この条件なら辞めないが勝つに決まっている。
よし、それなら転職のメリットを考えてみよう。
一番大きいのは年収だ。現職も多いが、コンサルは矢張りレンジとスピードが違う。出世スピードは現職の何倍か分からない。30代で年収1000万も夢ではない。
会社の将来性も固い。まだまだ世のDXは進んでいないし、コンサルの余地は大きいから、引く手数多だ。
通勤時間の短縮も大きい。なんだかんだ往復2時間半。現職でフルリモートも出来なくはないが、なんだかんだ保守業務(ユーザのPC整備とか)だとリモートではやりづらいことも多い。
今後はそういった泥臭い業務もしなくて済む。
「青色が転職したあとのこと考えてたんだけど、フルリモートなら息子が小学校上がっても家でお迎えしてあげられるんだよね」
現職に留まる気がないことを悟った夫は、既に次について考えていた。あまりそこについては考えていなかったが、言われてみると確かにと思った。
さて、どっちが大きい? どっちに傾く? ぐらぐら揺れる天秤を眺める。
転職すると決めたくせに今更になって悩むのは何故なのか。
きっと、現状維持バイアスのせいだ。
そして、望まなければ安定を手にいられる今をしがみつこうとする自分の性(さが)だ。
ーーーでも、今の状況って。
自分がなりたかった昔の未来像なのかなあ?
メリットやデメリットも考え尽くした。
あとは直感だ。シンプルに、右か左か、1か2か、二つに一つ。
掴むのは何だ?
安定か?
挑戦か?
平凡か?
変化か?
適温か?
刺激か?
現実か?
未来か?
………いやあ、でもまあなんというか。
なに、とっくに心は決まっているのだ。
これはただの走馬灯。過去と関わってくれた人への追憶を映画館のスクリーンで眺めているのと同じ。ああ、今理解した。私は、変わりたいと思うのと同じくらいこの会社に残りたいと思っている。
何度トイレの壁を蹴って上司への怒りを発散させたことか。何度パワハラを先輩と笑い合って耐えてきたか。何度優秀な先輩に追い付けずに劣等感に悩んだか。何度それでも負けないと奮起して資料を作ったり走り回って一つでも何か勝とうとしたか。
間違いなく、今の自分は弊社に育ててもらった。
苦しかったけど炎上案件を経験したおかげで成長した。業務レベルもだけど、ストレス耐性もかなり上がった。思い出すだけで頭を抱えるような失敗もたくさんやった。
良いことが悪いことかすら分からないけど、それでもその過去を踏み台にして今それなりに此処に立って生きて行けている。
ああ、でも。
想像する私の10年後の未来が行き詰まっていて、それに今私が息詰まっている。
私は変わりたい。ここではないどこかで生きていきたい。
もうそれで十分だ。
意を決し、私は母にメッセージを送った。
「転職決まった。夫と話し合ったけど、今の仕事は辞めようと思う」
「そっか。もう青色も大人なんだし、いいと思うよ。話してくれてありがとう」
反対されると少し思ってた。就職したとき大企業にしがみついて生きていきなさいよと言われた過去がちらついたからだ。
誰かに背中を押してほしかったのかもしれない。もしくは、反対されてそれでも自分の決めた道を行くと決意を固めたかったのかもしれない。
別にそれがきっかけという訳ではないけれど、自分の中でシアターを出る決意ができた。
からからと回る映写機の音が耳から離れないまま、まだエンディングを迎えていないというのに、席を立つ。
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転職エージェントB様
内定連絡ありがとうございます。先方に入社させていただきたいとご連絡お願いします。
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周りに気付かれないように扉を閉める。
もうこの映画の続きを私は見ることは出来ない。私は新たなチケットを買いに受付へ向かった。
8. 退職するまでの話
課長とグループリーダーに退職の意志を伝えたのは、内定通知から3週間後だった。
時期的にボーナスは減額なしで欲しかったので、それが終わって即切り出した。
特に引き止められることもなく受け入れられ、二週間後には人事承認も降りたと連絡があった。
私が辞めることを迷っているという風ではなく、すでに転職先も決まっている状態で引き止めるのは無駄だと思ったのか。
元から必要とされていなかったからなのか。
あまりのあっさり加減に、少しだけ思うことろが無いこともなかった。まあ、されたところで最早決意は揺るがないのだけど。
ただ、私が入社時からお世話になっていたグループリーダーは退職を伝えた翌日、少しブルーになっていたようだった。
その後も、少しずつ色んな人に別れを告げて行った。
会社からは人事秘だから誰にも言うなと告げられ、衝撃を受けざるを得なかったが、勿論従わずに仕事に関係するには少しずつ伝えていった。
あっさり聞き流す人、惜しんでくれる人、泣いてくれる人、激励してくれる人、色んな言葉をいただいて、多少なりとも自分の存在を会社に残すことが出来たと思えた。
その頃はもう仕事のモチベーションも底辺で、何とか手持ち分を終わらせて、綺麗に終わりたいと思いつつも最低限しかやっていないという自覚があった。
しかし、最終出勤日前日、システムトラブルで居残り残業。最後までこんなに仕事するとは思わなかった。
久しぶりに残業30時間越えを記録。良い思い出になったような、なんだか複雑な気持ちだった。
最終日は前日のトラブルの跡片付けを行った後、お世話になった人たちへの挨拶回り。
定時後は部の人たちの前で一言言わせていただける場を作っていただいたのだが、つい感極まり、ボロボロと泣いてしまった。
また送別会呼ぶからと、皆が笑顔で送り出してくれた。
寂しいなぁ寂しいなぁと思いながら、でも後悔など一切なく会社を後にした。
おわりに
3月~5月の間に行っていた転職活動は、何だかんだ大変でした。
まずは体力。
勿論現職も休む訳にはいかないし、帰宅すれば家事と育児が待っている。早めに家事を終わらせ、子どもを寝付かせた後にSPIやケース面接の対策を行っていた―――
日もあったが、子どもが中々寝付かない日も多かったので、夫に子どものお守りをお願いして、別の部屋で勉強していました。
朝6時起き、夜22時半就寝の生活なので、残業なんかすれば時間も無いしかなりきつかったです。
そしてメンタル。
まず転職するにあたっての最初の壁は現状維持バイアスでした。
基本人間は変化を嫌う生き物。現状に不満が無い状態であれば尚のこと。
会社の人間関係に不満はないし、働きやすいと思っていたし、子どもが産まれ、子どもとの生活も漸く慣れてきた。
その環境に一石を投じる必要性があるのかどうか、石を握りしめて何度も考えました。
最後は現職と転職活動との切り替え。
勿論現職の仕事をおざなりにする訳にもいかず、かといって転職活動の手を抜く訳にもいかない。
上司ににこにこと接しても、「まあ私、受かったら辞めますけど笑」というこの相反する気持ちを持ちながら生活するのは何だかんだきつかった。
特にお世話になっている先輩社員に対しては申し訳ないという気持ちが無い訳なく、二律背反。スパイのようだと思っていました。
正直ぐちゃぐちゃの心で、ただ今より良いな未来が欲しくて、今目の前でやらなきゃいけないことを考えながら生きてました。
………とまあ、ぐだぐだ書いたものの、やっぱり今のままは嫌だという気持ちが最後は勝って、何とか続けられました。
100億%夫が居なければ転職活動は成功していませんでした本当にありがとう! 感謝感激雨霰、ゲリラ豪雨も恐れを成すレベル。
最初は「コンサル、激務なんでしょ? こっちに育児の負担がくるのは結構きつい」と言っていたけれど、私が何言っても聞かないと理解してくれている夫も最後は諦めてました。
寧ろ、「転職先ってフルリモートなの? なら子どもが帰って来るの迎えてあげられるね」とポジティブに捉えるようになっていって、こういう考え方が出来る夫の思考は美徳であると感じました。
いつだって私の味方でいてくれる本当に世界でただ一人の存在。これからも末永く大事にします。
また、転職にあたり、転職先のことについて教えていただいたり、オンライン面接について相談に乗ってもらったりしました。
この場を借りて御礼申し上げます。
Yさん、Rさん、大学の同期たち、ありがとうございました!
そして、16000字を超える長文にここまで付き合ってくれた貴方にも最大限の感謝を。
青色の近況が知れてよかった、とか。自分は今後どう生きていこうか、とか。貴方に少しでも何か残せたのであれば、とても嬉しいです。
貴方の人生が、昨日より少しでも良い今日になりますように。
次の会社がどれだけ大変なのかは分からないけど、兎にも角にも少しの間休憩です。
有給休暇消費の1ヶ月半、最後の夏休みを謳歌することにします。
これからも青色をよろしくおねがいします!
終わり
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