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「得体のしれない人物」から卒業したい

「誰かの役に立つのは良いことだけど、
 自分を持ってる上で役に立つのと、
 持ってないまま役に立つのとでは、全く違う」

と、夢の中で言われて目が覚めた。
その通りだ。目覚めてすぐに思った。

私は人の役に立つことが好きで、相手に合わせようとしてしまう。
合わせようとしすぎて、無理をして倒れてしまう。
これを直さなくてはと思った。

「理解されすぎて怖い」らしい

「この人、笑っているけど、さっきAさんに言われたことで落ち込んでいるかもしれない」と思って「大丈夫ですか?」と声をかける。
すると、「なんでわかったんですか?」と驚かれることがある。

反対に「全然違うよ、君の予想は8割間違ってる」と笑われることもある。

それが心理学でいう「投影」からくるものだと、先日とある動画で知ったのだけれど(ここで書いてます)
人によっては、毎回おもしろいくらい「当たってしまう」。
そのため「理解されすぎて怖い」と言われたことがある。

なぜ怖がられてしまうんだろう。
私がその人にとって「得体のしれない人物」だからかもしれないと思った。

「休日なにしてるんですか?」に答えられない

私は昔から、独特な立ち位置になることが多い。
セーラームーンでいう、プルートみたいな。
ゆるキャン△でいう、しまりんみたいな。
主人公と関わりが深いのに、グループに所属していない。

職場では「休日なにしてるんですか?」と聞かれる。
私は「ゲームとかかな…」と、あいまいにしか答えられない。

そんな得体のしれない人物が、役に立とうと近づいてくる。
相手からしたら、恐ろしいことなのかもしれない。
だから距離を置いたり、休日何してるかを聞いて、どういう人なのかを知ろうとするのかもしれない。

「おじさん構文」の人と、変わらないのかも…

最近、ツイッターで「おじさん構文」がトレンドに載っていた。

おじさん構文=絵文字のイメージが強いが、
実際は、自分の欲望を叶えるために、相手にすり寄る行為で、
「これだけ優しくしてあげたんだから、君は僕の欲望を叶えて当然だ」と思っている状態だと思っている。

ただ、これをかみ砕いて考えていくと、
「優しくしてほしいから、優しくする」し、
「優しくしたのに拒否されて、腹を立てている」
ともいえる。

あれ…今の自分とさほど変わらないのでは?と。


私は「自分を認めてほしい」という欲求が強い。
それは、ずっと派遣社員のまま、正社員になれなかったことが大きい。
私は普通の人と同じことができないと悩んで、
皆と同じことができる「普通の人」だと認めてほしかった。

だから、そのために、人の役に立とうと頑張ってきた。

でもそれは「認めてほしいから役に立とうとする」つまり、
「これだけ役に立ったんだから、認めてくれて当然でしょ」と思っていて、それが叶わなかったから、「もういいや」となっている。
それが今の自分の状態だとすると、

なんら変わらないのだ。
私は心の底から鳥肌が立った。

得体のしれない人物を卒業したい

私は「こういう人間です」と一言で説明できる人間にならなくてはいけないのかもしれない。

ただ、おじさん構文の人が「聞いてもいない近況報告」をするのは、
「自分はこういう人間だよ、怖くないよ」と伝えるためなのかもしれない。
と思うと、「優しくしたんだから、優しくしてほしい」と思ってしまう感情をなんとかしないといけない気もする。

私はなんて、空っぽなんだ…。

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