レモンの花が咲いたら 8
8 玄
水原先生に、小野さんを退院させて良いか許可を取るときのことだ。
「先生。小野さんを退院させてもいいですか?あの子に外の世界を見せてあげたいんです」
すると、先生は真剣な眼差しで俺を見た。
「決めてくれたのかしら」
俺も真剣に答える。
「はい。最期まで俺がそばにいるようにします」
分かったわ、と先生は言うと、
「あの子はもう長くはないから、あの子の好きなことをやらせてあげて欲しい。だから退院は許します。ただ、もしもの時は絶対に連絡して。少し体調が悪くなったとかでも、私に連絡して。状態によっては病院に戻ってもらいます。少しの変化も、見逃さないで」
俺はその先生の言葉を飲み込むように、
「分かりました」
とだけ言った。
*
正直複雑な気分だ。本当なら病院にいなければいけない小野さんが、俺の部屋にいることが。小野さんの生命維持に関するある程度のことは(食事とかお風呂の介助など)教えてもらったが、基本的には俺達2人だけだ。看護師も基本的には在駐しない。何かあったときはすぐに連絡するが、怖い気持ちはある。あの病院から2駅しか離れていないとはいえ車だと30分くらいはかかる。
とは言え、やっぱり一緒にいるのは心地良い。俺の家は狭いし金もないのでベッドは俺のを使ってもらってるし、そこまでたいした事は出来ないけれど、楽しい。彼女の笑顔に本当に癒やされる。辛いことも楽しいと言える。
俺の部屋に来た次の日、海に行った。最初に行きたいと言ったのが海だった。海はわりかし近いので、ピクニックも兼ねて行った。
砂浜を初めて歩いた(俺の手と方を借りながら歩いた)とき、くすぐったいと言った。なんか虫でもいたのかなと思ったら、足の指の間に砂が入るのがくすぐったいらしい。そんな感想を抱くとは思わなくて思わず笑ってしまった。そして、本当に可愛くて、綺麗で仕方がなかった。改めて彼女を幸せにしようと決意した。
*
その次の日のこと。朝ご飯を済ませて今日はどうしようかと、食器を洗いながら考えていると、インターホンが鳴った。
「何の音?」
本を読んでいた美月さんは、驚いて顔を上げる。俺は、
「誰か来たみたい。ちょっと行ってくるね」
と、玄関に向かった。そして、ドアを開けると、
「よー。元気してるか?」
と、洋平さんがインディアンよろしく片手を上げてそう言った。
「洋平さんですか。どうしたんですか」
「いや、あの電話で言ってた子いるかなーって。屋敷が前言ってたさ」
「ああ、いますよ。てかよく来たって分かりますね」
「何となくそんな予感がしたのさ」
「ははっ。じゃあ、洋平さんに会いたいか会いたくないか聞いてきますね」
すると、洋平さんはいたずらっぽく笑った。
「会いたくないって言われても俺は会うぜ?」
「はいはい」
適当に受け流して、俺はリビングへ向かう。
「小野さん。俺の仕事の先輩が、小野さんに会いたいって言ってるんだけど。どうする?」
すると、彼女はパッと笑って、
「ほんと?私も会いたい!」
「わかった。じゃあ、その人連れてくるね」
「うん!」
その返事を聞いて、俺は玄関に戻った。そしてその旨を洋平さんに伝えてリビングへ連れて行く。
「こんにちはー。初めまして」
洋平さんの声を聞くやいなや、
「はじめまして!」
と、嬉しそうな小野さん。予想はしていたが物怖じしないタイプか。俺と真反対だな。
「俺の先輩の、小田洋平さん」
「普通に洋平さんでいいよー!」
「はい!あ、私は小野美月です!よろしくお願いします!」
しっかりしてるなあ・・・と思っていたら、
「屋敷より明るいじゃん?」
と、小声で洋平さん。
「うるさいですよ」
まあまあ!と適当に流した洋平さんは、
「じゃあ、俺は美月さんって呼ぶね!ある程度のことは前屋敷から聞いたよ。これ、お土産ね」
そう言って、洋平さんは玄関に行ったと思ったら、1本の苗木を持ってきた。
「これは・・・・・・?」
何の木だろう。
「触っても、良いですか?」
「どうぞ」
美月さんはおそるおそるその苗木に触れる。
「わあ・・・・・・。これ、枝?小さな木?」
「これはね、苗木。レモンのね。この前たまたま行ったホームセンターで衝動買いしちゃったんだけど、俺の家日当たり悪いから植えられなくて」
レモンの木を衝動買いするって凄いな。さすがである。
まだ実もならないレモンの木に広がる葉をなでながら、小野さんは洋平さんに、
「これが、大きな木になるんですか?」
「そう。鉢を変えればね」
へえ、と言うと小野さんは俺の方を振り返った。
「ねえ、玄さん。これ家で育てようよ!」
「え?」
正直またいらない物を・・・・・・と思ってしまっていた俺は凄く驚いた。俺の家だってアパートだし、日当たりだってよくないのに。まあ・・・・・・小野さんがそう言うなら仕方がない。
「わかった。後で鉢を買いに行こうか」
「やった!洋平さんも!ありがとうございます!」
「いや、俺は別にそんなたいした物持ってきてないよ」
そう笑いながら洋平さんは言ったが、俺にはこういった。
「枯らすなよ、屋敷」
「そりゃもちろん」
当たり前だ。彼女のためなら。彼女がしたいことは俺が支えると決めたんだ。
「私毎日水やるー!」
俺の木などたぶん知る由もないような小野さんは楽しそうに笑っている。
「それなら綺麗で美味しいレモンがなるよ。あと、レモンの花は凄く可愛いから。楽しみにしてて」
「そうなんですね!楽しみー♪」
洋平さんも、本当は分かっているのかな。いや、あのとき前部はなしたから、もう全てを悟っているはずだ。彼は勘も良いし。
レモンの花が咲くのがいつか分からないけれど、そのときまで果たして彼女は生きているのだろうか。いなくなってしまわないだろうか。
いや、それでもいい。
レモンの花が咲く、その瞬間まで。俺は小野さんと生きていたいんだ。
小一時間ほど下らない話をして、洋平さんは帰った。
見送るとき、
「お前さ、恋してるな」
「え?」
あまりに衝撃的な言葉を言われた俺は目を丸くして驚いた。
「何その顔。自覚してなかったのかよ」
「いや、まあ・・・。そもそも女子と2人でいるのも久々だし」
「はははっ。まあ、誰が見てもわかると思うよ。大事にしろよな、あのレモンの木も、美月さんのことも」
そう言うと、「じゃあな」と靴を履いて洋平さんは帰っていった。
玄関で俺はしばらくぼーっとしていた。
恋・・・・・・・・・・・・か。
そう思えば、今日までのことが色々辻褄が合った気がする。こんなにも1人の人間に対して守りたいとか、大切にしたい、とか、自分と一緒に、なんて考えたことがなかったからだ。
たぶん、この気持ちはたとえ何があってもかわることはない。
寿命とか余命とか、どうだっていい。
俺は小野さんに、レモンの花を見せたいんだ。
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