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レモンの花が咲いたら 9

9 玄


 小野さんと出会ってから、俺は点字を勉強していた。最初こそはやはり難しくて、美月さんにノートの内容なども全部読んでもらっていたが、だんだん助けがなくても読めるようになってきた。


 ずっと俺は小野さんと呼んでいたが、洋平さんと会った後に、洋平さんにも名前で呼んでもらっているから、あなたも下の名前で呼んで欲しい、と言うことで俺は美月さん、と呼ぶことになった。恥ずかしかったが、彼女はとても嬉しそうだった。


 美月さんはいつも楽しそうではあるが、食欲は日に日に少なくなってきていた。一時期点滴だけだったときもあり、食事に関してはあまり無理のないようにと言われているが、前まで朝昼夜の食事が、今では朝と夜だけになってしまった。「食べなきゃ」と俺が言っても「欲しくない」と言われてしまう。一応そのことは水原先生にも報告しているが、あまり珍しい話でもないらしく、一応様子だけ見ていてくれと言われた。

 そうは言うものの。どうしたもんだろう。好きな食べ物とか、あんまりないらしいし・・・。

 あ、そうだ。

「美月さん、ご飯作らない?」

 俺は美月さんを台所に立たせるのが怖くて、今までは全部俺が料理をしてきた(俺も料理は慣れないけど)。それでも、料理をすれば少しは食事が楽しくなるかもしれないし、思い出作りの一環にもなる。

 ベッドにいた美月さんは驚いた顔をしていたが、

「うん!作る!」

 と、快く頷いてくれた。

「じゃあ、一緒に台所行こっか」

 と、俺は美月さんを車いすに移動させて、台所へと向かった。

 料理と言っても、そんなたいした物は作れない。俺も食に対しては(人に比べて)執着がないし、料理もたくさんしてきたわけではない。だから難しい物は作れないし、そういった物を作れるだけの材料も道具もない。

 でも、美月さんが来てからは食事に多少なり智希を使うようになった。脂っこい物や塩気が多すぎる物は控えろと言われているし、できる限り野菜中心になるようにしてきていた。それ故に野菜炒めぐらいしかちゃんと作れてないんだけども。

 どうしようかなあと思っていると、棚に2人分のインスタントラーメンがあることに気がついた。塩ラーメンであっさり系だし、これにしよう。卵と乾燥わかめも確かまだあったはずだ。

 俺は、棚からラーメンの袋を取り出すと、

「じゃあ、ラーメンを作ります」

「はい!」

「麺の袋は、開けられる?」

「うん!頑張ってみるね!」

 はさみを俺は渡さない。目の見えない彼女に刃物を渡すのがとても怖かったのだ。そのかわり開けやすいような感じで彼女に麺の袋を持たせる。

「えっと、どうしたらいい?」

「あ、こうやって・・・・・・・・・」

 俺は後ろから美月さんの手に自分の手を添えた。いつになく近い距離で胸が高鳴る。美月さんは目が見えない代わりに耳がとても良いから、悟られたりしないだろうか。

「・・・・・・開いた!」

 嬉しそうな美月さん。

「じゃあ、その袋から中身を取り出してみて」

「うん!」

 そうして、彼女はゆっくりと中身を取り出した。

「このごつごつしたのは?」

「それが麺だよ」

「すごい!これがラーメンになるんだ!・・・・・・あれ、袋が2つ出てきた!1つはブニブニしてる」

「そのブニブニしてるのは油だよ。もう1つの方はスープの素。粉なんだ」

「へえ!すごい!!!」

 俺にとっては当たり前のことなんだろうが、美月さんはラーメンを作ることすらも初めてなんだ。

「じゃあ、今の1セット、もう一回やってみて」

「が、頑張る!」

 そうして、美月さんは奮闘し(と言っても、麺をゆでたりはさすがに危ないのでさっきのように袋を開けたり、油を器に入れるところまで)、料理は完成した。

 出来上がって、盛り付けをしたときに、

「わあ!すごく美味しそうな匂いがする!絶対美味しいよ!」

「本当に簡単にしか作ってないけど・・・」

「私料理とか初めてしたけど、楽しかった!ねえねえ、早く食べよう!」

「はははっ。じゃあ、食べよっか」

「うん!頂きまーす!」

 と、彼女は麺をすする。

「美味しい?」

 そう聞くと、

「もちろん!今まででいちばん美味しい!」

 と、笑った。

「じゃあ、また作ろうね」

「うん!」

 春の日差しのような温かな笑顔を浮かべる美月さんに、また胸が高鳴った。この時間が永遠に続いて欲しかった。



 その日の夜。美月さんはすっかり寝入っていた。俺はそれまで作業をしていたので、気がつけばもう夜も更けていた。トイレに行って寝ようと思い、立ち上がると、机に彼女のノートが置いてあった。

 珍しい。基本的に美月さんは肌身離さずあのノートを持っているから。机に置きっ放しなんかぱなしなんかしないはずだ。

 あまり他人のプライヴェートに介入するのはよくないとは思うが、何が書かれているのか気になる。

 まあ、あのノートに書かれているのは、美月さんのやりたいことだ。知らない内容などほぼないとは思う。

 少し迷ったがバレなきゃ良いだろう、と思い俺はノートを開いて読んでいった。

 俺の予想通りやはり、知っている内容だった。旅行、街で甘いものを食べる、ショッピング、海、お花畑に行く、お花の冠を乗せる・・・。本当に様々なことが書かれている中、初めて知る文を見つけた。

「大好きな人の、お嫁さんに、なりたい・・・・・・・・・」

 一瞬間違いかと思ったが、何度指を凹凸に走らせてみてもそう読めた。まだ続きがある。俺は更に読み進めた。

「玄さんの、お嫁さんになりたい・・・・・・・・・」

 思わずノートを落としそうになった。俺は、音を立てないようにいすに座り、ゆっくりと息を吐く。落ち着け、と言うように。

 いや、まさか。そんなこと・・・。そう思いまた同じように読んでみるも、書いてあることは一緒だ。

 同じ気持ちだったってこと?

 それは凄く嬉しい。気持ちはもう通じ合っていたんだと思うと。本当に嬉しいんだけれど。このノートを見て知ったと聞いたら、一体美月さんはどんな反応をするのだろう。

 そもそも俺にその部分を聞かせてこなかったのは、やはり向こうだって恥ずかしいからに違いない。それを俺が「ノート見たけど、俺のこと好きなの?」なんて言うのはおかしい。狂っている。

 でも・・・・・・・・・。

 それが彼女のやりたいこと。彼女の夢ならば、俺はそれを叶える義務がある。

 男になれ、俺。

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