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海色の花束を君に  上

 彼は突然現れた。

 その日は酷い雨だった。一日中降っていて、どうしようもないザンザン降り。嵐だとニュースでは言っていた。

 私は店長から頼まれた注文分のバラが入ったバケツを車から出して、それを店内に運んでいた。極力濡らさないように急いで店に入ろうとすると、傘を持って外にたたずむ男性が私をじっと見ていた。

「いらっしゃいませ」

 誰なのかわからないしこんな雨の中わざわざ、と私はいぶかしげに思いながらも、いつもの営業スマイルを浮かべた。

「中、入ってください。濡れちゃいますし」

 彼は少し驚いた様子で

「えっ、いや・・・」

「今ならお客さん少ないから、雨宿りも兼ねてどうぞゆっくり見ていってください」

 私の言葉に、彼はおそるおそるという感じで頷いた。

 彼はなんだかほかの男性とは違う、ミステリアスな雰囲気を持っていた。怪しいとかじゃなくて、本当に、底が知れない感じ。そして、初対面のはずなのになんだかずっと前に会ったことがあるかのような、懐かしい感じもした。

 彼は店の中に入ると、しばらくバラを見つめていた。私は店長に頼まれたバラを店の奥の作業台まで運んだあと、彼の元へ行き、

「バラがお好きなんですね」

 と、聞いた。彼はまたびくりとしていたが、

「はい」

 と、さっきよりかはいくらか明るく答えた。

 バラは好きだ。トゲがあって痛いし、単価だってほかの花に比べて高いものもあるし、品種も多いから覚えることも大変だけど、可憐で美しくて、植物の女王みたいな強さがあって好きだ。

「私も好きですよ、バラ」

 私はそう言うと、彼は目の前のサムライ(バラの品種名。カップ咲きで花びらに光沢がある)を指さして、

「これいただけませんか」

「はい。いくつでしょう」

「では10本いただきます」

「かしこまりました」

 店のバラはだいたい150円で仕入れているから倍で店売りにしても300円。つまり10本では3000円だ。何か贈り物でもしない限りは赤いバラなんて買わないだろうし、ふらりと立ち寄った店で使う金額ではない。見えていないのかなと思ったが、値札に大きく1本300円と書いてある。不思議に思いながらも、それを顔に出さないようにバラを包んだ。

「お待たせしました。3000円でございます」
 
   いつものように私はレジを打ってそう言うと、彼は財布から5000円札を取り出した。私はいつものようにレジ業務をこなした。
 花束を彼に渡す時、

「一応こちらで抜いてはいますが、たまにトゲがあるので、気をつけてくださいね」 

  仕事でバラのトゲは抜いてつもりではいるが、たまに見落としてしまったものがあるらしく、トゲが刺さったとクレームが入ることがある。クレームが来ること自体はなんら問題では無いけれど、痛い思いはとりわけ彼にはして欲しくないと思った。それはもちろんほかのお客さんでもそう思うけど、彼には本当に、純粋にバラを愛でて欲しかったのだ。普通のお客さんのはずなのに。
 彼はふわりと笑い、

「はい、ありがとうございます」

 その笑顔を見て、私もつられて笑った。心がやけにくすぐったかった。
 
 花を渡してから彼はなかなか帰ろうとしなかった。ドア付近で何かウロウロしているというか。そんなお客さんんで初めてだし、さすがに怖くなって「どうしましたか?」と聞こうとした時だった。

 近付いた私に、彼は花束から1本の赤い薔薇を差し出した。

「夜に、会えませんか。いつの日でも、夜に。僕と会ってくれませんか」


 彼との出会いはそこから始まった。夜に会う、ということに不信感を最初は抱いたが、それでも彼が私の中から離れることはなかったのだ。どんな人混みに紛れようとも、絶対に埋もれない魅力。彼自身がバラのようだ。

 私たちは自然と、お互いに会いに行くようになった。会いに行くのはいつだって夜。彼は日光が苦手なようだった。夕焼けを見に行こう、と誘っても首を横に振っていた。彼は姿がよく変わっていた気もするが、なぜかそれが気にならなかった。どんな彼でも私には関係なかった。

 ある日のこと。私と彼で映画に行った。その日は仕事が休みだった。仕事終わりに会うこともあったからそういうときは仕事着のラフな格好で会いに行っていたけれど、今日は特別な私を見せたかった。数日前に買った、少し高めの白いシャツワンピースを着ていった。

 街の中央にある映画館。そこが今日彼との約束の場所。壁に寄りかかって本を読む彼が見えた。

「すみません。お待たせしました」

 私がそう彼に声をかけると、彼はこちらを見て笑った。

「いえ、僕が早く来すぎたんです」

 そういう彼の手には、黄色のバラがあった。

「あら、そのバラどうしたんですか?」

 すると彼ははにかみながら

「きっと、今日の君に似合うと思って」

 そのときの胸の高鳴りと言ったらなかった。何物にも代えがたい高揚感があった。

 何の映画にしますか?と言われ、私は最近面白いと話題の映画のポスターを指さした。

「これ、ヴァンパイアが主人公なんですって。面白そうだと思いませんか?」

 ずっと見たいと思っていたので、私の中ではもうほぼこれで決まりだったが、彼の笑顔はぎこちなかった。

「そうですね」

 ぎこちない彼の笑顔を見てどこか不安にもなったが、彼の隣で映画を見れるという事実だけでもう最高に幸せだった。お客さんも何人かいたけど、それでも二人だけの空間に思えたのだ。

 映画は、ヴァンパイアが人間の女性に恋をするという話だった。それでも、人間とヴァンパイアが結ばれるというのは許されないことらしく、結果的に結ばれずに女の子は死んでしまい、ヴァンパイアは悲しみに暮れていた。もう最後の方はぼろぼろ泣いてしまい、ハンカチがびしょびしょになった。せっかく頑張った化粧も落ちているんだと思うと、絶対に彼の方を向けなかった。

 映画が終わったあと、私は立ち上がりすぐに

「化粧室行ってきます!」

 と言って立ち去ろうとした。

「どうしたの?」

「い、いえ・・・。急に行きたくなっちゃって」

 私は足早にトイレに行き、そして鏡の前に立った。案の定、酷い顔をしていた。

 こんな顔、やっぱり彼にはさらせない。他の人になら別に良いけど、彼の前では最高な私でいたい。

 そう思って鞄から化粧ポーチを取り出したとき、私は彼に特別な感情を抱いているのだと気づいたのだった。



 その日からさらに頻度を高めて私たちは会っていた。ほぼ毎日彼は私の家に来た。決まって日が落ちてからだったけど、そんなことを気にするようなことはなかった。彼と一緒にいられるという事実だけで本当に幸せだった。

 彼は私と何かを「共有」することが好きだった。本を読む、音楽を聴く、テレビを見る、お菓子を食べる、なにかに触れる…。五感の全てを共に過ごすというのは本当に彼にとって幸せそうだった。そしてそんな幸せそうな彼を見るのが私は好きだった。その笑顔を見るだけで自然と笑顔になれた。

 彼とゲームをすれば、決まって彼が負けた。

「ははっ。また私が勝った」

「敵わないなぁ、君には」

 そう「やれやれ」と言わんばかりに手を上げる彼だったが、どこかに余裕があった。

 彼と私は好きなものがよく似ていた。音楽も、好きな本も、食べ物も。全てが似ていた。まるで血が繋がっているかのような、そんな感覚すらあった。

 彼とゲームを終えて、のんびりとテレビを眺めているときだった。

「私たちってさ」

「うん」

「似てるよね、好みとかが」

 私が何気なくそう言うと、彼は私を見た。その目は、何かを決意した目立った。

「・・・どうしたの?」

 彼は、静かに、

「僕は未来がわかるんだ」

 突然の言葉に私は目をむいた。何を言っているんだろう、というより、突然何を言い出すんだろう、と思った。

 明らかに私の驚きとかそういった感情は顔に表れていたはずだけど、彼は顔色一つ変えずに、

「予知夢って聞いたことない?僕はそれで未来を見ることができるんだ。だから僕は君が好きなものを全て夢の中で見てきたんだ」

 彼はもの凄く真剣だ。何1つふざけていない。それはわかる。わかるんだけど・・・・・・。信じろという方が正直おかしい気もした。

「まさかぁ」

 思わず私がそう言うと、彼は笑ってくれた。その笑いが果たして怒りなのか悲しみなのか、わからない。そのとき自分が浅はかな発言をしたのだと、もの凄く悔いた。

 謝ろうとしたが、彼は手を振って、

「やめよう、この話。変なこと言って悪かった」

 でも、と私は言おうとしたが、彼はほほえみながら私を見た。

「君は、どういうものが好きなの?」

 思えば出会って初めての質問な気がする。今までずっと彼は私の夢を見てくれていたのだろうか。だからそれまでは私の好きなものを知っていてくれたのか。さっきの彼の発言が、妙に真実味を帯びてきて少し怖くもあった。でも、私はもう引き返せなかった。彼と過ごした日々が、こんなことでなくなるわけがなかったのだ。

 私は、

「それを聞くってことは、本当は知らなかったってこと?」

 意地悪な質問をしてみた。彼は

「どうだろうね。さあ、教えてよ」

 はぐらかされてしまった。私はあきらめて、素直に考えた。

「うーん。旅行とかも好きだけど・・・・・・」

 私は、すぐにあるものが思い浮かんだ。

「海、かな」

「海?」

「海ってさ、地球に1つだけでしょ。どの海も結局は1つに繋がってるって。でも、海の色ってその土地とか気候によって変化するの。それが不思議で、ずっと見てられるの」

「花屋で仕事してるから花が好きなんだと思ってたよ」

「もちろんお花も好きだよ。でも同じくらい海がすき」

 私はそう言うと、昔修学旅行で行ったビーチの写真を彼に見せた。昼は人もいたりして賑やかで華やかなビーチだが、夜になると月明かりに照らされて海面が宝石のようにきらめくビーチを。

「昼と夜で、だいぶ変わるでしょ?」

「そうだね。本当に、興味深い」

「そうだ。今度、海を見に行かない?エメラルドグリーンの!」

 思うよりも先に大きな声で言ったが、

「そうだね。また今度」

 彼はそう言って、顔をまたテレビに向けた。その表情には、どこかに陰りがあったを、私は見逃さなかった。けれど、どうしてそんな顔をするのか、聞くことができなかった。

 私たちはしばらく黙っていたが、やがて彼が座っていたソファから立ち上がり、

「ちょっと待ってて」

 彼は台所へと姿を消した。しばらくすると、皿を2つ持って彼はリビングに戻ってきた。

 皿の中身はオムライスだった。彼はそれを机に置くと、

「君が望むなら、君の記憶を全て消すことができるよ」

 私は彼の言葉を飲み込むように、置かれたオムライスを見る。彼が料理下手なのはなぜか知っていた。証拠に、巻かれているはずの卵は破けているし、はみ出ているチキンライスも焦げている。でも、ケチャップはかわいく犬のような絵が描いてあった。

「このオムライスって、何?料理できないと思ってたけど・・」

 すると、彼は苦笑いを浮かべ、

「うん。だから、おいしくないかも」

 そう言って片付けようとする彼の手を、私はとっさに掴んだ。

「だからなの。例えこのオムライスがおいしくなかったとしても、それを記憶から消してしまうのは、なんだか後悔してしまう気がする」

 彼との思い出が、今の私の全てだ。

 どんなに私がゲームで勝ったと威張り散らしたって、仕事のストレスを彼にぶつけたって、彼はいつだって優しく私を包み込んでくれた。私の未来予想図には、彼が常にいた。彼のいない人生なんてもう考えられなかった。

 私は、スプーンを手にとってオムライスを食べ始める。悪いのは見た目だけだ、たまにちょっと焦げた苦い味もするけれど、味は見た目ほど悪くはなかった。やがて彼も向かいに座ってご飯を食べ始める。

 ふと彼を見ると、口いっぱいにご飯が詰められていた。私も同じように食べていたから、なんだか可笑しくて笑ってしまった。

「あ」

 彼は手を伸ば師、私の口元を触った。

「どうしたの?!」

「ご飯粒付いてたよ」

 なんだか恥ずかしい。私は思わず目をそらした。

 大人な彼と一緒にいるなら、自分だって大人にならなきゃいけない。いつもそう思っているけれど、どこかでこうやって恥ずかしい場面を見せてしまうのが嫌だ。もっと大人の余裕を持って彼と隣を歩いていたい。

 ずっと、一緒にいるんだから。


 下に続く

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