レモンの花が咲いたら 11
11 玄
男なら、女に告白をさせるなんていうことはさせない。常に、潔く散ってやるくらいの格好で挑まなければいけない。まして、もうすぐ終わりが近づいてくる少女に告白させるなんて真似は、許されない。
そんなこと、わかっている。でも、前に踏み出せない。
日記を見てから数日が経つ。俺は未だに自分の気持ちを伝えられずにいた。
この頃美月さんは体調を崩してしまった。体の節々が痛むほか、すごくだるいらしい。病院に帰ろうか、と俺が聞くと、美月さん本人は本当に嫌がった。それでも俺1人じゃもうどうしようもないし、と思い先生に連絡したら、看護師さんを派遣してくれた。点滴やら何やらが細い腕に打たれ、とても痛々しかった。
2、3日ほどその期間は続き、その間はずっと美月さんは寝込んでしまっていた。
そして今朝。日が昇ってしばらくのまだ早い頃。看護師がまだ来る前のことだ。絶対にこんな時間に起きない俺だが、今日は珍しく早くに起きた。ベッドを見ると、美月さんは体を起こして窓の方を向いていた。
俺は静かに、
「おはよう」
と言うと、
「おはよう」
と、ゆっくりと俺の方を向き、同じように静かに返した。
「もう平気?体調は」
「うん。今日はなんか調子が良いの」
そう言って彼女はまた窓を眺めた。
美月さんは全盲でほぼ何も見えないとは言うが、光を感じることだけは何となく出来るらしい。だから、俺の場所も何となく光の加減でわかったりする。
今日はよく晴れている。暖かい。
「レモンに、お水上げに行きたいな」
「うん。そうしようか」
俺は起き上がって、彼女を車いすに乗せてベランダへと向かった。そして、鉢を寄せて、じょうろに水を汲んで美月さんに渡す。そして美月さんはありがとう、と言いながらそれを受取り、俺の手に支えられながら水をやる。
なんてことない、いつもの風景だ。
「今日は、どんな感じ?大きくなってる?」
「うん。なんか昨日より葉っぱ多くなってるかも」
「そっか」
少しだけ彼女の声が明るくなった。
調子が良い、とは言っていたけれど、前ほど良いわけじゃないのだろうな。
そうして水やりを終えて、
「じゃあ、ご飯作ってくるね。今日はご飯食べられるよね」
「待って」
そう言って彼女は俺を引き留める。物言いたげだ。
「食欲ない?」
「違う。そうじゃない。でも、まだお腹すいてないし・・・。お話ししようよ」
いつもだったら、「わかった!」と言って待ってたり、「手伝いたい!」と笑う美月さんだが、今日はどうしたのだろう。
俺はイスを持ってきて、美月さんの隣に座った。
朝の光を浴びる彼女の瞳は、いつにもまして透き通っていた。
「ねえ、玄さん」
「うん」
「どうして、私と友達になってくれたの?」
そういえば・・・・・・。その理由を俺は一度も彼女に話していなかった気がする。でも、そんなこと、自分で考えてみても理論的に考えられるような物ではない。
たった1つ、確かに言えることがある。
「・・・・・・俺、実は自閉症なんだ。話したことなかったとは思うけど」
「そうなの?」
「うん。今は病院でそういう診断をもらったから腑に落ちてるけどね。それまでは周りと全然違って、話すのも苦手で、そもそも誰かといることが苦痛だった。その原因がこの年になるまでわからなくて、ただただ自分を卑下することしか出来なかった。自分には何の価値もないって、ずっと思っていた」
美月さんと出会う前まで、本当に苦しかった。どこまでも日陰を歩いていた。思い出すだけで胸が苦しくなる。
「何度も何度も死にたいって思った。でも、俺には死ぬ勇気すら出なかったから、全部得意な音楽に逃げてきた。高校まではそれでもバンド作ってチヤホヤされてたけど、卒業して地元を離れたら、どこにも馴染めなくてすぐに辞めた。それで、東京に出れば何か変わる。音楽を見てくれると思って、ここに来てVOCALOIDの制作をずっとやってきた。それで人気も出てきたんだけど、俺は本当の自分の名前でやってないから。『屋敷玄』としての俺を誰も知らない。顔も知らない。それでも最初はいいって思ってたんだ。だけど・・・」
「けど?」
「だけど、それじゃあダメだって思い始めてさ。もうボカロに頼らないで自分の名前で、自分の顔を出して、やっていけたらって思った。
・・・・・・それでも怖くてさ。地元で音楽やってたときは、いつでも皆が聞いてくれた。音楽がなかったら何もなかったかもしれない。でも、音楽が俺をつなぎ止めてくれた。でも今は?周りには知らない人しかいない。誰も俺のことを知る人はいない。本当の俺を知ったら、だれも音楽を聴いてくれないんじゃないかって思えてさ。そこでもう、俺は自分の名前を出して活動するのが怖くなった。皆は普通に顔を出して歌っても評価される。でも俺は?周りに馴染めないで今まで生きてきたのに。音楽だけが俺の生きる価値なのに。もし俺が顔や名前を出してそれを失ったら?名前とか顔とか、背の高さとかで変に判断されたら?それが怖くて、俺はもう出かけることも出来なくなった」
辛くて涙が出そうになる。でも、そんな俺の話を美月さんは真剣に、頷きながら聞いてくれた。
あの辛かった日々。話し声がいつしか雑音に代わり、興味もなくなってしまったあの日々。この世界から色が消え去り、もう生きていても無駄だと思い始めたあの日々。
そんな日々を送っていたときだった。
「でも、俺は君と出会った」
俺はしっかりと美月さんを見て言った。
「君のその無邪気さに、明るさに。雷に打たれたような衝撃が走ったんだ。そして、どんなに辛いことがあっても君といたら時間を忘れる程楽しかった。俺にとって美月さんは、光だ。俺の人生を、暗い陰の人生を明るく照らしてくれた。それも、会った瞬間から。だから、友達にもなったし、こうして一緒にいるんだよ」
俺がそう話すと、美月さんは一瞬下を向いた。だが、すぐに俺を見て、
「玄さん。それは私も、同じだよ。今まで私ずっと病院にいて、友達も出来なくて、家族も来なくなって。だんだん、私はどうでも良い存在なのかなって思ってたの。でも、玄さんは初めて会う私にも優しくしてくれて、友達になってくれた。玄さんこそが、私を照らしてくれる光なの」
そう言うと、彼女は何かを決めたような顔をし、
「だ、だから・・・・・・」
「待って」
俺は美月さんの口元に、そっと人差し指をやる。
今から彼女が何を言うのか、わかった。でも、それは俺は言わせない。俺から言うために。
「美月さん」
「う、うん」
深呼吸をする。
もう迷わない。もう俺は、自分を卑下してきた俺じゃないんだ。
「俺、君が好きだ」
え、と美月さん。それでも俺は続ける。
「いつまでもずっと、君のそばで生きていたい。君がこの世を去るその瞬間まで、俺が君を支えたい」
俺は無意識のうちに、美月さんの手を握っていた。その手に、涙がぽつりぽつりと、雨のようにこぼれる。
美月さんが、初めて俺の前で泣いていた。
「・・・・・・・・・嬉しい。私も、私も、玄さんが好き。でも、私は・・・・・・もう」
「いいんだ。それでも、俺は美月さんを幸せにする。君の短い人生の最後、幸せだったと言ってもらえるように」
そう言って俺はそっと、美月さんを抱きしめた。
美月さんは、しばらく俺の腕の中で泣いていた。
この朝日に照らされている君は、本当に美しくて儚い。
このまま時が止まって欲しいと強く思った。
その瞬間。美月さんがもの凄く苦しそうに咳き込んだ。はっとして、
「み、美月さん!」
見ると、俺の胸元から腹部まで、べっとりと血がついている。
こ、この量は・・・・・・
「ごっ、ごめんなさ・・・・・・・」
言う前に美月さんはうなだれるようにして倒れ込んだ。
「美月さん!!」
俺は慌てて救急車を呼ぶ。冷静になれ、とどこかで聞こえる気もしたが、もう無理だった。
「助けてください!!!早く!!美月さんが、美月さんが!!!!!」
それしか言えなかった。
あんなにも幸せだったのに。神様はどうしてこうも意地悪なんだろう。
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