初めての陶芸教室
遊びセンスのある友達に誘われて、芸術を爆発させに行ってきました。
粘土遊びとか、めっちゃ久しぶり…と思ったら娘ちゃんとお米粘土で遊んでたんやった。あれ?
でも大人の嗜みというか…
こう、ひとつひとつの作業を集中するっていうのがいいよね。
子供と一緒だと、ケーキ作って餃子作って、パンダ作って、そのままお店屋さんごっこになっちゃうから、純粋に作るにベクトルを向けて手を動かしたい!
(娘氏ごめん。)
立体物って色んな角度から見た時の意識をしないといけないから、絵を描くのとはまた違うなって。
ほんで陶芸って全くの初めてで、なんかめっちゃ新鮮!
人に何かを教えてもらいながらってのも久しぶりの出来事で、先生の饒舌な説明と素早い手の動きに一瞬見惚れながら、ふぁーっとなってました。
作業中の黙々時間といえば…
そういえば小説家の母親をもつ岡本太郎氏は母が仕事中うるさいからと柱に縛り付けられていたとか。
その母親の背中をみて太郎氏は芸術とはここまでにストイックにならないといけないものなのかと胸に刻んだ話があるって岡本太郎好きの人から聞いたことあったなとか。
芸術は爆発と叫びながら、それは花火だったのか、はたまた本当に爆発だったのか…
ある程度有名になった人は求められるものと表現したいものに「差」があるよね。きっと。
草間弥生氏は水玉がいつまで見えているのかとか。
水玉ネタは尽きはしないのか…とか。
子供の頃も粘土遊びは大好きで、小学生の時に使ってたな。くっさい油粘土。
あの時は創造と破壊はセットだなって思ってた。
壊さないと新しいモノは作れない。
それが良いとも悪いとも、分からずそういうものなんだと何となく受け止めてた。与えられた物の中での遊び方というかなんというか…とかとか…
無心に粘土を撫でながら、なんかそんな事考えてました。
先日、京都の岡崎公園で、左京区ワンダーランドっていう濃ゆいメンバーが揃うイベントで太陽の塔コレクターさんが出展されていて、フィギュア15,000円を本気で悩んでたんだよね。
普段は優柔不断なので、迷った時は夢にまで出てきたら買うって決めてるんだけど、その時はそうでもなかったから、この日の為まで待っててくれたんだ。
きっと。
誘ってくれた友人に感謝。
長い間人々を魅了するその姿。
語りもしないけれど、圧倒的な存在感はやっぱりかっこいいなって作りながら改めて感じました。
こんなに泥色なのに、焼いたらベージュになるんだって。
8月に家に届くみたいなので、家で色付けする予定です。
楽しみが過ぎてやべぇや。
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