たぶんきっと、褒め言葉…?
子持ちでアラフィフで何のスキルも無い私
しかも図らずも突然独り身になった
一昔前ならいわゆる幸薄い未亡人
紛れもなく危機的状況ではある
これからどうやって生きていけるか?未だに不安定で覚束ない
悲観する事もあるし、覚悟を決める事さえ出来ない
少しのきっかけで不安感に苛まれて、身動き出来なくなる
元来、依存体質な私
今までの人生で常に人に助けられてきた
宗教で九星気学をやっていた母からは幼い頃から「あなたは五黄土星だから、助け星がいっぱいある、そして他人を〇すほどの強い星だ」と言われ続けてきた
幼い頃から強い自分が他人にいったいどうやってそんな事を?と恐れる気持ちを持ち、自分自身の見えない潜在能力が脅威だったし、今の状況も私が引き起こしたのでは?という思考が未だに拭えない
だから「ものには言い方がある」「自分の幼い娘にそんな刷り込みは無い」と母に恨み言を言いたくなる
だけれどその言葉の影響か、環境もあったか、確かに自分でもそう思う事が多々ある
自ら他人に与えてあげられる物も無く、何かをやってあげても何の徳にもならないであろう私なのに、多くの人に助けられてきたし、結局自分本位でしか居られないのは強さなのだろう
その言葉に甘んじて楽観的になってはいけないし、すぐに図々しく弁えないで他人に頼ってしまう依存体質やいろいろな至らない点を反省し改善する努力は必要だけれど
自分を見失わず、自分が誠実にさえ居れば、私を認めて見守ってくれる人は性別や属性関係無く現れる、という妙な自信がある
でもね
それはあくまでも、お互いに人間性を認め合えるからこそ成り立つ関係だ
確かに「女である」とか「未亡人である」とか「生活を維持する能力に欠ける」という事実に苦慮している
その私の属性で選択する方法を見極める必要はある
だけれど今の状況を冷静に前向きに話していても「後妻業は?」という男性がいる、しかも複数
その言葉に「独居老人になるには寂しいだろうから、素敵な出会いがあればいいね」という思いやりの気持ちは感じられない
「アラフィフの生活能力の無い女は、金持ちの男にすがればいい」という屈辱的な言葉に感じてしまう
ただ、もしやそこには「あなたならそれが可能であろう」という誉め言葉を述べている気持ちがある?とも思える
イケメンに「あなたの容姿ならヒモになれる」というのは、誉め言葉なんだろうか?
まあ、こんな事が私を前向きに奮起させるきっかけになるけどね
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