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「わからない」と言えるのが、強み

3人姉妹の末っ子の私

年の近い姉たちと少し離れた私

年齢が近い姉たちは、協力したりケンカしながら姉妹らしい関係を築いている

私は生まれた時からその姉たちから、姉妹というより「世話する存在」とみなされていた

私自身も姉妹というよりリアルを含め母親が3人居るような感覚だった

但し、やはり相手も子どもだったから、後にその弊害に悩まされる事が多数あり、とっくに自分も姉たちも俯瞰して見るようになった私にとって関係性を変える必要を常々感じていて

だけれどその感覚をお互いに断ち切るのは難しく、悲しい事だけれど「拒絶する」という決断をして3年が過ぎようとしている

姉たちに私に対して「もう大人である」という認識を持ってもらいたい事もそうだし

なにより自分自身が「自律した大人にならなければ」と思った時、甘えられる存在を無い物としないと覚悟が出来なかったから


そんな自分と向き合って足掻いている渦中の私

「自分とは?」の問いに、後悔や否定や逃避の気持ちが芽生えて、後戻りしたくなる

「わからない」「出来ない」と言いさえすれば他人が手を差し伸べてくれた環境に戻りたいと思ってしまう事がある


だけれど、やっと少し冷静に前向きに思考をシフト出来るようになったように思う

「わからない」と言えるのは、私の強みだ


人が「わからない」と口に出して言えない理由は、恥じらいや自尊心や大人の自覚などいろいろあると思う

私だってそんな気持ちを持ち合わせている

はったりかましたり、虚勢を張ったり、マウンティングに対抗したくなる


わからない事をわからないままにする事は、無責任にも繋がる

自営業の時、辛かった事の1つが、「わからない」と言えない立場だった事

そんな事を言うリスクは計り知れないから、わからなくてもやるしかない

そうわかっていても対応出来なくて、精神を病んだ

その経験から「自分を根底から変えるというのは無理だ」と思い知らされた

ただ「意識を変える」事は出来るし、自分自身でしか出来ない

なかなか「自分を信じる」事は出来なくても、「認めてあげる」位はしてもいい


臆せず「わからない」というと、人や情報が集まってくる

「わからない」と認識すると、調べたり考えたり自分自身でも行動する

但し有益か有害かの判断力と感謝の気持ちを忘れない事、受け身だけでなく昇華する事は必須


ちなみに自分が「わからない」と口に出した時の他人の行動で、その人の人間性を推し量る事が出来ると思っている

必ずしも懇切丁寧に手取り足取り教えてくれたり結果を出してくれる事を望んでいない

そしてその人の性別や年齢や肩書などの属性は判断基準に全くならない


これが生きていく上での私なりの術


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