なくてもいいけど、あったらうれしい
なくてもいいけど、あったらうれしい、そんな文章を書いている、aoikaraです。
なくてもいいけど、あったらうれしい、そんなものがたくさんある。私にとっては、たとえばパンとか。最近でいえば、たまに飲むコーヒーだとか。そして人にとって、文章なんてのも同じで。
もちろん、必須にだってなり得る。人間には食事が必要で、パンも食事だし。人間には飲み物が必要で、コーヒーは飲み物だし。人間には言葉が必要で、文章は言葉だし。
でも、代わりがある。パンがなければお菓子を食べればいいじゃない、なんてそれはまた意味が違ってくるけれど、パンがなければお米を食べればいい。コーヒーがなければ水を飲めばいい。文章がなければ話せばいい。実はなくたっていい。
だけど、あったらうれしい。パン屋に入って、いい匂いがして、いろんなパンが並んで、どれにしようかと迷いながら手に持ったトングをカチカチ言わせて、パンを買って、パンを買ったことがうれしくて、これから食べられるんだということがうれしくて、帰り道に何度もパンを入れた袋をのぞいて匂いをかいで、ああパンだ、帰ったら食べるんだと笑顔になって、帰ったらパンを食べて、食べきれないからまた次の日も食べて、そんな時間の全てがなんと幸せなことか。
長々と文章に書いた、パンがあることによって生まれる時間って、別になくても生きていける。食べて生きていけるなら、栄養があれば代替はできる。必須じゃない。だけど、私はパンを食べたい。パンを食べて生きたい。
私の書く文章、たとえば今書いているnoteも、仕事で書いている文章も、読まなくたって生きていける。読んでいない人の方が多いのだから。だからといって、私は別に絶望しない。私のために書いているから。私が生きるために書いている。
そして、私の文章を読んでくれる人も必ずいる。文章を読まなくたって生きていけるけど、だけど読んだら、ほんの少しでも生活のうるおいになるような、ほんの少しでも心が動くような、ほんの少しいつもと違う道を歩いてみようかと思うような、人生のスパイスや彩りなんて大げさなものではないけれど、パンほどたいしたものではないけれど、だけど私にとってパンやコーヒーのようなものが、私の文章にも、ほんの少しあるのではないかと思っている。
だから、私は、なくてもいいけど、あったらうれしい、そんな文章が書きたい。
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