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こんにちは、ごくごく平凡なワーキングママのかんのです(*^^*)今日もパソコンより更新。やっぱりスマホでちまちまやるよりとっても楽ですな(笑)

でも今日は、ブランディングとは全く関係ない事。別に書かなくてもいい事で、ひとりで考えればいい事なので、ちょっと読んでめんどくせと思ったらスルーして全然構いません(笑)

Facebookで「○年前の今日」という過去の投稿を共有できる機能がありますが、昨日の事でした。5年前の今日として当時朝早く夜遅い帰宅で子供と接する時間が限られていたパパがお盆休みでまだ生後3か月の娘と戯れるほんわりかわいいかわいい(娘がw)写真を投稿した記事が上がってきました。懐かしくまだまだ赤ちゃんだった娘の姿にほんとに愛おしい気持ちで振り返っていました。当時の記事に対してお友達からのコメントもあって読んでいると、

今は亡き、友人からのコメントがありました。

娘と同い年の息子さんが居る子でした。コメントに息子さんの写真もアップしてくれていて、バンボという赤ちゃんが座る用の椅子に息子くんが満面の笑みで座っている姿でした。うちもすくすく元気だよー!というコメントと共に。

彼女は、私の実家の畑を挟んで向かいに住んでいたので、こどもの頃からの幼馴染で私より5才年下なので妹のような存在でした。妹のようなのに子供同士は同い年でママ友にもなりました。彼女は2年前、息子くんが3歳の時、突然行方不明になりました。彼女は実家の近くの街に住んでいたのに、遠く離れた私のところまで行方を知らないかと連絡が来ました。育児ノイローゼの疑いがあったので本当に心配していました。連絡手段がFacebookのメッセージしかなく、読まれているかわからないけど、遠くに行きたくなったらうちに来な!と住所と連絡先をメッセージに残しました。ずっとずっとメッセージを送り続けていました。既読にはなる事はありませんでした。ご主人も含め親戚や友人みんなで様々な方法で探しました。朝方ご主人と喧嘩をした勢いで荷物を持って家を出て行ってしまったという事で事件性無しで警察では捜査対象になりませんでした。自力でなんとかするしかなく、ご両親(あたしにとっては小さい時からお世話になってるおじちゃんおばちゃん)は探偵に探して貰ったり、神頼み的な感じで占い師のところに行ったりまでしました。育児ノイローゼがあったので自殺しているかもしれないというのも、周囲でうっすら思っている人も居ました。だとしても、どこに?息子くんは、保育園に行っていたので、彼女が不在になってからすぐご主人の実家に預けられました。おじちゃんとおばちゃんだけは、いくらノイローゼになったとしても、自分で命を絶つ事はしない子だとずっと言っていました。

行方不明になって1年後、地元の親友からニュースのリンクが送られてきました。彼女の遺体が見つかったというものでした。

どこかで生きているかもしれない生きてて欲しい、ただ出てくるタイミングがわからなくなってるだけだという期待も私の中にはあったので、そのニュースは本当に衝撃で、娘と公園遊びの最中でしたが涙が止まらなくて、ベンチに座りこんでしまいました。

実はニュースになる2か月前に山中で人骨が発見されて鑑定結果が出たのがその時との事でした。山の中との事だったので、やっぱり自殺だったんだ・・とその時は思ったのですが、結果は、実はご主人が犯人でした。鑑定結果が出て、本格的に捜査が入って、数か月後にご主人が犯人であると警察が断定して拘留されたのですが、一緒に探している事も知っていた私からしたら、何か自白を強要されているのでは?と当時は警察を疑いもしました。周囲もそうでした。

でも、現実は、警察が調べた通りでした。

確定のニュースが出た日、仕事のお昼休みだったのですが、衝撃にまた涙が止まらなくなってしまって手が震えて全然仕事できる精神状態じゃなかったので、同僚に上司に伝えて貰って早退しました。

そのニュースをネットで見た主人からも心配の連絡が来ました。どこにも寄らずまっすぐ家に帰って休みなと言われました。

そして、行方不明になった日が、実は彼女が殺された日でした。

裁判にもなり事件の真相がどんどん明るみになり、でも生きてるご主人からの話しかわからないので、彼女の言い分はわからないから『本当の真相』ではないだろうけど、ご主人が殺意を抱くまでの経緯を知り、改めて人間同士の難しさやおもいやりとは言葉とは、、、色々考えました。

お盆で、本当なら実家に帰省もしたいけど、家族が医療関係者だったり福祉関係者なので帰省できず、都内で粛々と過ごしている中で、愛猫のお墓参りの話をしていて、彼女の初盆か・・とふと思い出しました。けど、亡くなったのはもう2年前なので本当の初盆ではないのだな、、とか、複雑な心境になりました。息子くんは彼女の実家の養子となり、おじいちゃんおばあちゃんの元ですくすく育っているようです。たまに畑を通って実家に遊びに来たりするやんちゃ君のようです。帰省できたら是非娘と遊ばせたいです。

私より数か月先に出産していたので、私が里帰りした時、ちょうど実家で育児中で何度か遊びに行きました。本当だったら、今もお互いの育児っぷりとかおバカな話とかして笑ってただろうなと、5年前の今日の記事で彼女の今も生きているかのようなコメントを見て、何とも言えない感情になり、どこかにアウトプットしなければ、とnoteに書くことにしました。

ご主人は懲役14年の判決が出ました。裁判の中で「そんなに娘が憎かったら生きて返してほしかった」とおじちゃんの発言がありました。本当にたった一度の過ち(自分だけが苦しみから解放される為だけの行為)で、息子から母親を奪い、おじちゃんおばちゃんから娘を奪い、息子と離れたくなくて真実を隠し続けたというけど、息子くんとの人生ももう共にする事はできないだろうし、自分自身のご家族だって小さな田舎町なら村八分にもなりえるし、何にもいい事ないのに、なんとかならなかったのか・・と今でも思います。過去の事はもう変えられないから考えても仕方ないのだけど、、

人の数だけ、生き方があって、幸か不幸かは誰が決めるって自分自身でしかなくて、心から<すこやか>な日々を送っている人なんて、きっととても少なくて、みんな誰かや何かの為に身を粉にして働いて稼いで生活を維持しているというのが現実で(それが普通になっている事に最近は疑問ですが)、価値観の違いから小さなストレスの芽が生えて、それが芽のまま枯れるのか大木になるのか、選択の幅も種類も数えきれない程あって、だから、私がこの件で何か結論を出す事なんてできるわけなくて、わかっているけど、彼女を忘れたくないし、やっぱり、もう一度会いたかったなとか、育児の喜怒哀楽を相談したかったなとか、帰省したらまた普通に会えると思っていたのになとか、ごくごく平凡な感情がお盆という時期とも重なって、風船のように膨らんでしまいました。

生まれることに出会ったときも、生きることについて凄く考えさせられるけど、命の終わりに出会ったときも、生きることについて同じぐらい凄く考えさせられて、私は生きることをしたいと思っているんだなという事も再確認できました。

帰省できて、彼女のお焼香ができる日が早く来ますように。

保育園から帰ると息子くんが彼女の遺影に向かって『ただいま』と手を合わせるようになったそうです(*^^*)

今回はブランディングとは全然関係ない内容でしたが、お読み頂きありがとうございました!

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