ゴッホもかくことで救われたのだと思うけど、37歳で死んでしまった。生きるのは大変。
ゴッホは弟テオに宛てて650通もの手紙を送っていて、書くことで救われていたんだろうなと思う。
現在は手紙を書く人は少なくなった。代わりにメールを送る。メールを送ったからと言って問題解決しないとわかっているのに、誰かに聞いてもらいたい気持ちはなぜ起こるのだろう。重い内容を送り、相手の負担になったかもと気付き反省する。おもしろ話を追加で送ってバランスを取ることもある。なにやっているんだか。いろいろ吐露できる兄弟がいたらいいなとゴッホをうらやましく思う。心に溜めていたら苦しいからね。日記という手段を使っている人も多いだろう。堂々巡りから脱して整理が出来るといわれるが、やっぱり誰かに聞いてもらいたい。テオがほしい。twitterなんかも愚痴ったところで何にもならないと、よーく分かっていながらつぶやいてしまう。もちろん即ポジティブな私を演出するのを忘れない。疲れる。
後腐れなく兄弟ケンカできた時代はしあわせだったと思う。単純で純粋だった。風が心地よかったなあ。
大人になり様々な憂いや孤独感に苛まれたとき、幼い頃の風景がとても懐かしくなる。あの過去の風景や感情がまだ存在すると感じれば気持ちが休まるというものだ。
それでも精神を病んでいき、自らの耳を切り落としたゴッホは、37歳で死んでしまうが、テオが支えたのは間違いないだろう。黄と青の絵の具はゴッホとテオ兄弟のもの。兄弟が一緒に過ごした子供の頃の情景(色)が目にしみる。いせひでこさんの絵本「にいさん」はテオの目線から描かれた物語で、ゴッホの抱えた孤独に心が揺さぶられるので是非読んで欲しい。
なぜ苦しいのか。ゴッホは自らの耳を切り落としてしまうほど苦しんだ。かくことで救われる芸術家がいる一方で救われない人もいる。生きるのがなぜ苦しいのか。
最近観たドラマで子供を亡くし自殺未遂をした女性に、その女性と同じ経験をして立ち直った人が語りかける場面があった。「生きているってことは素晴らしいこと」「いいことはきっとあるから」と励ます。
特別な言葉じゃないけれど特別に聞こえる。重要なのは誰が言うかで、女性が心を開いたのは同じ苦しみを味わった人がに会ったからである。
平気な顔を生きていくしかないのだと私は思っている。以前は「楽しんだ者勝ち」と聞くと反発を覚えた。薄っぺらな言葉に聞こえたからだ。だれがそれを語るかにかかっていたのだと今なら分かる。寄り添いを感じることが重要なのだと思う。「もっと大変な人がいるのにあなたはしあわせ」と説教をする人がたくさんいた。だれかとくらべて自分はマシっておかしいんじゃないかと私はずっと言いたかった。それよりも苦しいのは自分だけじゃない、みんな頑張っているという思いのほうが楽になる。ゴッホからずいぶん遠くにきてしまったけど、
底流に必要なのは一人じゃないってことではないだろうか。
そう考えるとテオではゴッホは支えきれなかったのかもしれない。ここまで読んでくださった方、お気づきかもしれないが私はひとりもの。手紙を書く相手もいないけれどネットの波のなかに似た人を見つけて勝手に一緒に頑張っている。
トドメ、年をとればとるほど苦しくなるけど大丈夫、自分だけじゃないから。「のぼりの傾斜はけわしくなるばかり『傾斜より』」と中島みゆきさんも歌っている。
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