【自己振り返り】私に渡されたプレゼント_(裏)

31歳の誕生日に、役者友達からプレゼントをもらった時の話。
自己振り返りしてて、ふと思いだした。

文章は当時のそのまま↓↓↓


デスクに 飾ってるハーバリウム。

頂いた誕生日プレゼント。下の方には、キラキラしてる球のようなものがあって、可愛い。

たまたま、そのハーバリウムどうしたんですかー❓ってなって。その話。

友人が私をイメージして作ってくださったので、嬉しくて会社のデスクに飾ってます。

普通は色鮮やかな、花が入ってると思うのですが、私の持ってるハーバリウムは、中央にはかなり暗めの紫帯びた花が飾られています。確かに一瞬見ると黒いから、え❓って思う人は思うみたいですね。その周りは、キラキラで彩られているんですけどね。

それを頂いた時に、あっ!って嬉しくなったの覚えてます。私の表面しか見てない人は、この色は選ばないと思うから。まぁ、実際、雑談最中に恋愛における良くない傾向をズバズバ言い当てられて、軽く目眩がしました。え、それ話さないとバレない自信あったのに。観察してる方は、よく見てますね。

昔は、アホっぽい振る舞いしてたから、結構、「幸せそうで羨ましいね。今まで人生辛いこと経験してなさそうだね。」とか言われた事多くて、嫌だったな。

私の本質は根明なんてものからは程遠いくせに、無理して明るくしてたし、馬鹿を演じてた気がする。むしろ、無理してでも、対人関係が円滑に行くことを重要視して本質から離れた自分で、他人とやりとりして、どこか虚しさが拭えなかった感がある。私は、一体何のために人と会話してのか。

その方が描く私へのイメージが本質に向かってる感じがあってプレゼントされた時嬉しかったんだよね。他人が自分に興味を持つなんて有り得ないって、考えてしまう悪しき習慣があるものでね、余計にね。

自分で、自分のことは貶めてはいけないんだな。って、意識できるようになってからは、楽になった。そうできるまでが、死ぬほど大変なんだけどね。

私が、絶対に絶対に絶対に自分を変えようと誓った日から、10年もたってるのか。その大事なキッカケをくれた人の事を思い返す事はもう無いのだけど、キッカケだけは、忘れない。

そんな決意の時期の頃の、同期と話した時も「周りは君の事、馬鹿だと思ってみたいだけど。いや、君は馬鹿じゃないでしょ。ただ馬鹿として振る舞うしか出来なかったんでしょ」と言われて。(きちんと本質を理解してくれてる人が身近にいたのに、それに気がつかない私も相当マヌケ)

そうなの、コミュニケーションの手法が身を削るの一択。そんな事誰も望んでなかったのに。

色々思考を変えたり、試したりして、今の私に着地する訳で。

良くない感情とか側面も理解されると、嬉しくなってしまうんだよね。あー、無理してないフラットな状態で話してもいいのかなって。

弱くて未熟で愚かで根暗でいいんでない?

だからこそ、相手の痛みが分かって、相手の考えや気持ちを想像することができる。想像力は、武器だよ。

そんなダメな自分の積み重ねでも、腐らずに生きてる自分の事は良いと思えるから。

だから、この暗い紫帯びた青色のハーバリウムが好き。とても好き。

って言うのを、質問してきた方には言えなかったよ。え、急に自分語りはじりましたー!って言われるからね、リアルでやったら。


ここまでが当時の記録。
正直、これを渡された時、ぞくっとした。なんで、わかった?って。
確かに私は「纏わるは、」っていう彼女が手掛けた芝居が大好きで、それはもう熱烈に語った。観終わった後。自分好みすぎて。

でも彼女にそれ以外で、私の内面をダイレクトに説明したことはなかった。

私って人間をイメージしてくれただけでも嬉しいのに、
本質まで見ようと、知ろうとしてくれたってだけ充分嬉しいのに。
理解してくれた。
人は知ろうとしないと、勝手に相手にレッテルを貼ってしまって、その先を知ろうとしない。それは、悪い事じゃない。分類しないと生きていけないのかもね。

大学生の時に、無理して笑い続けて、ダメになっちゃときの話。
楽しくなければ笑わなくていい、辛いなら辛いと言えばいい。
そんな当たり前ができなかったんだよなー。


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