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大好きなお母さんの嫌いな言葉

こんにちは、Macoです。
あんまり魅力的なタイトルではないけど、いち子どもの意見を伝えたいです。

私は、学年3つ離れた1人の弟がいる姉です。
学生時代はずっと実家で引越しもなく、地元の公立小学校、中学校に行きました。弟も同じです。
また、父は町内会で役員なども担っていたため、町内では知り合いが多い方だなぁという自覚もありました。

母は、給食のない中学生で毎日お弁当を作ってくれました。運動部に入ってお腹がいつも空いていた私に、おにぎりも持たせてくれました。
そんな母が、大好きです。今も大好き。

ただ、そんな母が言った一言が、とんでもなく「いやだなあ」と思ったときがありました。



さて、弟の登場です。
私たちは姉弟と言っても「ほんとに?」と思うほどに似ていません(主観ですが)。

私はクラスではおとなしくて静か。中学校全体のレベルも低かったのですが、勉強も運動も、それなりにこなして成績もいい方でした。
高校も大学も、推薦で入り無事卒業。就職もして、現在に至ります。

弟はというと、クラスでどんなふうに過ごしていたか知りませんが、所謂「ヤンキー」が集められるクラスで、成績は真ん中くらい。付き合いのある友達もやんちゃな子が多かった印象です。

弟は、部活を続けるために遠い高校に通おうとしましたが、周囲から猛反対されました。理由は「遠いから」。
今思うと、私もそれなりに遠い高校に通わせてもらいましたが(いずれも公立)、なんで私はよくて弟はだめだったのだろう。


きっとこの頃から、「姉は大丈夫だろうけど、弟はできるか心配」という、明確な比較が生まれていたのです。

結局、弟は地元の、真ん中より少しレベルの低い高校に入学します。同じ中学からも、何人もこの高校に入学しています。

正直ここからは、私も弟の行動がほとんど分かりません。
気付いたら弟は高校に行かなくなり、母は呼び出される日もあり、2年か3年にあがることができずに退学をしました。

その後も弟は実家で寝泊まりしていましたが、夜はほぼ毎日遊びに出ていて、どこに行っているのかも分からないほどでした。
私もこの頃、実家から大学に通っていましたが、顔を見るのは1週間に1度、あるかないか。家にいても、弟は部屋から出てくることはありませんでした。

その後も弟は、およそ落ち着いているとは言えない生活を続けます。

姉の私は見ていないふり、干渉しないようにしていましたが、父母はそうもいきません。しかし、私が見る限り、父は積極的に弟に関わろうとせず、近所の飲み友達に相談したり愚痴を溢すばかり。(私が見てないところで積極的だったならごめんね)
母は毎日、玄関で音が鳴ると「弟が帰ってきたかな」と覗きに行っていました。

私には玄関の音が聞こえなくても、母には聞こえることがあったようで。正直、それは母の幻聴、行き過ぎた勘違いもあったのではないかと思います。
それほどまでに、母は弟への心配が強く、アプローチを諦めきれずにいました。

そんな中。弟は警察のお世話になる事件がありました。詳細は伏せます。

母の心理的負荷はさらに強くなり、私の目の前で泣くこともありました。
これからどうすればいいんだろう、どう接していけばいいのだろう。そんな気持ちを、私は聞くことしかできませんでした。

ただ、母がこの頃に言った一言が、今でも忘れられず、嫌いな一言になりました。


「育て方を失敗しちゃった」



よく、世間でも耳にする言葉かもしれません。
私は母の愚痴を聞くことに徹しようと思ってきましたが、これにだけは反発してしまいました。

もちろん、この「失敗」というのは私のことではなく弟のことでしょう。私は、弟の立場に立って反発したのではなく、人間の成長に対して「成功」や「失敗」というラベリングをしたことに反発をしました。



『じゃあ私は、「成功」だった?』


そんな聞き方、責め方はしていませんが、そう思いました。
私は幼い頃から夢があって、親にお金を出してもらって習い事にまで通ったけど結果を出せず諦めてしまったことがあって、そんな私でも「成功」と言うの?、私は私の人生、「成功した」なんて思ってない。まだこんなところで結論を出す気はない。

とにかく、子どもの育て方に「成功」「失敗」という結論を出した母の一言が、あまりにも衝撃だったのです。


たしかに、弟は奔放に生きており抑えることができなかった。世間から見たら「道を外れた」人間かもしれない。
けど、まだ当時成人もしていなかった弟に対して、すでに人生終わったかのように「失敗」と言うには、弟に対して失礼だし、何より大好きな母に、そう感じてほしくなかった。


私は、母が大好きなんです。


だから、母にも「失敗」だなんて、思ってほしくなかった。お母さん、なんにも悪くないよ、まちがってないよ。


もちろん、私と弟を比べたら、客観的に見て私の方が優れていると思います、自覚もある。
他人からしたら、「立派に育てたね」って言ってもらえることもあるでしょう。いつだか職場でつくった名刺を父母に渡したとき、「立派になった」と言ってもらったこともありました。


だけどね、弟は私と比べて社会的地位が低くても。やっと定職についたばかりでも。
それは「失敗」ではなく、「難しかった」と言ってほしい。

「育てるの、難しいね」って。



私はまだ独身で、子どももいないので子育ては未経験です。だから、職場でママさんがいると、「仕事しながら子育てして家事やって、すごいなあ」と尊敬します。
仕事をやっていない専業主婦でも凄いと思う。小さな子どもの面倒を四六時中見るって、今の私にはそんな覚悟ない。

育児本も今はたくさん発刊されており、きっと有意義なものもあるでしょう。
けど、読んだからって子育て100点じゃないと思います。人を育てるって、そんな簡単なものじゃないでしょう。

点数をつけるものでもないし、勝ち負けでもない。成功か失敗かの二択でもない。

もっと言うなら、ひとりの人間に対して個人の価値観で良くも悪くもレッテルを貼るものでもない。

私は父母からしたら「立派」かもしれないけど、夢を諦めた私は「脱落者」だった。
弟は「人生失敗」なんて言われてたけど、きっと友人たちからは好かれていたんだろう。そうでなきゃ、誰かと遊びっぱなし、なんてことないです。



育て方、失敗。

今、母があの頃と同じように考えているのか、改めてわざわざ聞くことはありません。実家から出た私は、母の愚痴を聞くのも回数が随分と減ってしまいました。

あの頃と比べて大分落ち着いた生活をしている弟を見て、少しでも母の気持ちが穏やかになっていることを願っています。



だからね、お母さん。
失敗じゃないよ。
私たちは、まだまだ、人生頑張ります。
大好きなお母さんに、恩返しできるように、頑張るね。


おわり。


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