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トラウマの乗り越え方が分からない

noteという世界は、どちらかというとライフハック的な問題解決の記事を書くと人のお役に立つことができてたくさん「いいね」を貰えるのだろう。

が、しかしこのタイトルをご覧いただきたい。

悩んでいる人を解決する話ではなく「私は悩んでいます」という内容の記事だ。
誰の役に立つのだろうか。

敢えて書くのには理由がある。
私は今までの人生で、役に立たないことをやろうとしたときにターニングポイントを迎えてきた。
だからこれはきっとターニングポイントなのだ。
そう信じてこの「誰の役にも立ちそうにない」記事を綴ろうと思う。

トラウマのきっかけ

トラウマ、と一言で言っても私の過去を振り返ると、小さいものから大きいものまで各種サイズが取り揃えられている。
今回、とあることがきっかけで思い出してしまったトラウマは中の大くらいだろうか。

それは、とある仕事の出会いがきっかけだった。

駆け出しライター時代の顧客

私が個人事業主になろうと決意して、何を仕事にしようか?と思ったときに当時所属していた起業グループの講師から

「ライティングをやってみたら」

と言われた。それがきっかけで私は記事や文章を請け負う仕事を始めることになる。

所属していた起業グループは初心者の起業や主婦起業の人が多く、単価も低めだった。実績もない私は当時、アメブロの記事代行を1,000円でやっていた。しかも修正無制限。

そんなときに何人かの人が申し込んでくれたのだが、そのうちの一人が私のトラウマを形成したSさんという方。

その方の実績はよく知らなかったのだけれど、フェイスブックのプロフィールを作成してほしいと言われ1,000円で請け負った。

メッセンジャーでヒアリングを重ねて作成するも
「この言い回しはしっくりこない」「やはりママであることを取り入れたい」「子供の人数は出したい」等、そのメッセージのやりとりが夜遅くまで何度も続き
私が一旦会話を終わらせた後も0時を過ぎてなお
「やっぱり〇〇がいいです」「ここは××がいいと思います」といった一方的なメッセージが送りつけられており翌朝対応…というのが続いた。

やっとのことで仕上げて送ったプロフ。
しかしその時点で連休中を理由に原稿料が支払われていなかったのである(金融機関休業のため)。

嫌な予感が少ししていた。

原稿料の支払い

結論からいうと原稿料は支払われた。
しかし、その支払われ方は一生忘れられない。

連休の最終日に所属していた起業グループの主催するお茶会が都内で開かれそれに参加した私。
実はその会にSさんも参加していたのである。

Sさんは私を認識すると
「ああ、原稿料まだでしたよね!」
と言うや否や

ジーパンのポケットからシワシワになった千円札を取り出し、私にそのまま渡してきたのである。

「はい」

「…ああ、ありがとうございます」

びっくりした。
そしてめちゃくちゃ悲しくて屈辱的だった。

受け取ったしわくちゃの千円札をせこせこと財布にしまう私になど見向きもせず起業グループの講師や知り合いとケタケタ笑いながらしゃべるSさん。
原稿を納品する前に支払ってもらうようにしていたのに(これを教訓に支払い後に作業することにしたけれど)お金を速やかに払ってくれず、しかも「遅れてごめんなさい」もなく。

直接会うことを知らなかったのだとしても、私は今までセッション代や謝礼などは大抵包んで渡されていたし、そうじゃなかったとしてもお財布から綺麗な状態のお札を渡されることが殆どだったから何もかもが衝撃的すぎた。

お札の状態と渡し方、言葉と態度…それらすべてが私のことを「バカにしている」と感じてしまったのだ。

結局その人は私の作成したものが気に入らなかったようで、ひと月もしないうちにビミョーにアレンジして変えていた。それもバカにされたような気持になったのでもう絶対関わらないようにしようと思ったのだ。

なのに、約半年してとんでもないことが起きた。

望まぬ再会により大金をどぶに捨てる

その起業グループを夏に辞め、私は「自分ビジネス」を始めた。しかし、人脈も特になかった私にとってただブログを発信しているだけではなかなか顧客獲得ができずにいた。
そのうち金銭的にも苦しくなりはじめ、何か方法がないかと探していたときに「自分ビジネスやってます」というコンサルタントと出会ったのだ。

その人は以前フェイスブックで何度か見かけたことのある人で、好印象を持っていた人でもあった。
私はその人のミニセッション(いわゆるフロントエンドだ)に申し込み、あれよあれよのうちに高額セミナー(つまりバックエンドである)を申し込んだのである。

それなりの額を払うのだからしっかり学んで実践していこう…そう思い参加した初日のグループコンサルで私は真っ青になった。

……トラウマの元凶、Sさんがいたのである。

しかもあろうことか、Sさんはそのグルコンの中心人物で、全メンバーを掌握しているいわば「場の覇者」であった。

その空気に触れたとたん「あ、無理」となった。
(当時自覚はなかったが私はHSS型HSP気質なので無理なもんは無理だった)

もう参加することが完全に無理になってしまった。
私はその後、一度もグルコンに参加することなく高額セミナーの代金をどぶに捨てる形となってしまったのである。

なぜ再発したのか

高額なセミナー代をどぶに捨ててまで距離を取ったのだからもう二度と接点を持つことはないと思っていた。

しかし数か月前、以前の起業グループで親しくしていた人が「Sさんの事業を手伝っている」と言ってきて久しぶりに思い出したのである。
知らないふりをしたけれど、忘れることなんてできやしない。でも関わりたくなかったので「知らないスタンス」のままでいた。

だが、ついにインスタが余計なことをしてくれやがった。

全然別の言葉を検索しようとしただけなのに、ユーザー名でひっかかって私の前に現れたのである。

…つい開いてしまった。そして激しく後悔した。

こんな世界消えればいいのに

かつて私にシワシワの千円札をよこしたSさんは、すごい数のフォロワー数をかかえ、本を出し立派な「著者」「著名人」として活動していたのである。

それを知った瞬間、私の中にある何かが音を立てて壊れた気がした。

Sさんが私の知らないところでどんな努力をしてどんな人生を過ごしたかなんてどうでもよかった。

でも、私にあんな失礼なことをした人がこんな「大成功した人」みたいにSNS上に君臨してるんだと思ったら
この社会の仕組みも、SNSも、富も名声もこの世にある価値あるすべての物も、なにもかもがどうでもよくなってしまった。

傷つけられた私は頑張ってもこんなに小さなままくすぶっているのに。
無礼な態度とっても著名人か。

でもこの悔しさで気付いたことがある。
それは、私が意外にもSさんとの最初のやりとりに傷ついていたということ。
そしてこの件に関して味方が一人もいなかったからずっと抱え込んできていたということ。

トラウマはまだある

潜在意識の中にトラウマがあると似たような事象でつまずき永遠のループに入る。

私は自分にトラウマなんてないと思っていた。
でも、HSP気質だったことも最近になって気づいたし、もしかしたらもっとトラウマがあるのかもしれないな…と思い振り返ってみると

……ざっと振り返るだけでもかなりの数があった。

幼少期、私は比較的愛されて自由に育てられたから親に対するトラウマなど無いと思っていたけれど
意外とそうじゃない部分もあった気がしてきている。

親、というとついつい母のことを考えてしまっていたが、よくよく考えてみると父の影響もけっこうあったような。
そして父はものすごい毒母に育てられたから(つまり父方祖母がとてつもない人だった。その人との思い出もけっこうトラウマ)継承している可能性もある。

なーんてことを考えていたらもうキリがない。
こんなに大小さまざまなトラウマっぽい出来事が山積みなら、どこからどうしたらいいかわからなさすぎる。
しかもいわゆる「毒親に〇されかけました」とか「暴力をふるわれました」みたいなあからさまなトラウマではないわけで。

この無限に続くトラウマを、どう対処したらいいのかさっぱりわからないのだ。

ひとつひとつ思い出して「許す、許す」なんてやっていたら
終わる頃には棺桶に片足突っ込んでいそうである。

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